第3話 新しい家
文乃さんは瑞希さんにいくつか指示を出してそのまま外出した。どうやら新しい取引先と契約を結びに行くらしい。この段階でそのようなことをしているあたり、本当にまだオープン前なんだと実感してしまう。そして、残された俺たちは
「二階が倉庫と事務所だ。あんま気軽に入んなよ」
「は、はい」
瑞希さんの案内のもと階段を上がった先を見て回った。この建物は三階建てで一階がカフェ、二階が倉庫兼事務所、三階が居住スペースとなっているらしい。先ほどよりも会話が成り立つようになったので俺は瑞希さんにいろいろ質問してみることにする。
「瑞希さんも、ここで働くんですか?」
「当たり前じゃん。説明してる時点で察しろ」
「す、すみません」
口調は相変わらず荒々しいが、質問に真面目に答えてくれる当たり人柄の良さが伺える。とはいえ怖いことに変わりはないが。
そうして瑞希さんは倉庫にどのようなものが置かれる予定なのか、事務所でこれからどのようなやり取りをするのかなどをぶっきらぼうながらも詳細に話してくれた。
そして一通りの説明を終えた瑞希さんは、俺を連れて三階へと上がりとある扉の前で止まった。かと思うと、俺に銀色の物体を渡してくる。
「これ、アンタの部屋の鍵。無くすなよ」
「あ、はいどうも」
そして瑞希さんはこの鍵で扉を開けるように催促してくる。俺は促されるままに鍵穴に鍵を入れて回し、そのまま扉を開けた。
「わぁ、結構綺麗ですね」
「リフォームしたばっかで新しいらしい。ご丁寧に風呂とトイレも付いた1Kの部屋だし、生活には困んねぇだろ」
「思ってたより広い……」
瑞希さんはそのまま矢継ぎ早に部屋の中の説明をする。どうやら既に家具が付いているようで、ブレーカーをつければすぐにでも使えるようだ。キッチンも広いし風呂も俺が入れるくらいには広いのでかなりレベルの高い部屋であることが伺える。
「水道費や光熱費は使った分だけ給料から差っ引かれるから。家賃も似たようなもんだとさ。あと、部屋の掃除は自分でな」
「まあ、もちろん覚悟してますよ」
「鍋とか食器とかそういうのは今度給料が出たら勝手に買え。そこまでは知らん」
「はい」
給料が出るまではしばらく生活は縛られるだろう。とはいえ今の俺には料理ができるのかもわからないし、趣味や娯楽などもこれといってピンとこない。ネットとかはあるようだがスマホも使えないし意味がないだろう。
「で、他になんかある?」
一通り説明を終えた瑞希さんは俺にそう問いかけて来る。多分質問がなければ自室に帰るつもりだろう。ぶっちゃけ質問することは今は特にないが、少しだけ込み入った質問をしてみよう。
「えっと、瑞希さんもここで一人暮らしですか?」
「そうだけど、なんか文句ある?」
「い、いえ別に」
高校一年生の女子がこんなところで一人暮らしを始めることに違和感を覚えていたのだ。俺の記憶が間違っていなければだが、大抵の人は実家かアパートで暮らしているはず。それなのに、どうしてまだオープンしてもいないカフェの従業員としてここで生活しているのだろう。そう疑問を持っていたが、さすがに突っ込みすぎた話題だったらしい。
「えっと、じゃあ別の質問を。どうすればコーヒーとかカフェの事を勉強できますか?」
「仕事熱心かよ。事務所に作りかけのマニュアルがあっから、それでも見とけ。見るのに誰の許可もいらん。ついでに事務所に入るのもだ」
「はい、ありがとうございます」
「いや、アタシに礼を言われてもな……」
そう言って瑞希さんは玄関の方へと向かってゆく。どうやらもう帰るらしい。そして帰り際にブレーカーのスイッチをあげてくれた。細かな気遣いをしてくれたのでちょっと感謝。ああいう些細なところに気が付くのはさすが女子というところか。
「そうだ、アンタ」
「なんですか?」
「名前、まだ聞いてない」
「……あ」
そう言えば先ほどは『よろしくお願いします』とかそういう社交的なやり取りしかせず、自分の名前を名乗るのをすっかり忘れていた。いや、名乗り忘れた時点で社交的ですらないな。
「七識、七識舞宵です」
「七識舞宵……そ、覚えた。アタシの部屋隣だから、なんかわかんないことあったら聞きに来い」
「はい、ありがとうございます!」
そう言って瑞希さんは少しだけ微笑んだ。どうやら多少は気を許してくれたらしい。短い時間しか話してないのでわからないが、多少の信頼は稼げていると信じたい。もしダメでも、それはこれからに期待するしかないだろう。
そうして瑞希さんは扉を開けそのまま廊下に出て、こちらに一度向き直り
「それじゃ舞宵、夜中に騒いだらブチ殺すから」
「は、はい~」
なんというか、とんでもなく物騒なことを言って扉を閉めた。まあ部屋が隣なんだから最低限のマナーは守らなければいけないし、これから気を付けよう。もしルールが守れなければ追い出されるのは俺だし。
俺は部屋の電気をつけて改めて部屋の中を見渡す。冷蔵庫や洗濯機などもそろっているし、本当に恵まれた環境を手に入れたものだ。いや、手に入れたのではなく貸してもらっているだけか。
ちなみに使い方は忘れていない。備え付けの電子レンジの使い方も、お風呂の沸かし方もなんとなくわかる。もしかして俺は、家事などをよくしていたのかもしれない。それともこれらのことは子供でも知っているくらい常識なことだから、体が自然に覚えているだけなのだろうか。けど、覚えている知識はどんどん有効活用していくべきだな。
「ベッドだってあるし本当にありがたい」
そうして俺はベッドへと埋もれ込む。どうやらこの部屋自体が新しく掃除が行き届いているようで埃などは一切なく、部屋もきれいだしベッドだってふかふかだ。文乃さんには感謝しなければならないな。
「でも、どうして文乃さんは俺なんかをこんなところに……」
瑞希さんのこともそうだが、文乃さんのことも謎に包まれたままだ。二人の詳細を一切知らないし、今聞いても何も多分二人は教えてくれないだろう。まあ俺の人生だって教えようにも覚えてないので教えられないが。
「そういえば瑞希さん、俺が記憶喪失だってこと知ってるのかな?」
文乃さんのことだから事前に説明をしてくれているかもしれないが、その逆だってあり得る。どちらにしろ俺は文乃さんや瑞希さんと良好な関係を築いていきたいし、失礼なことをしたくない。こちらに関しては探り探りといったところだろうか。
「けど、記憶喪失だって言い訳しても格好悪いだけだ」
大きなハンデかもしれないが、この場ではそんなことは関係ない。文乃さんが雇ったのは『ナナシマヨイ』ではなく
学校にも通えるかはいまだに検討中だが、とにかくまずはアイデンティティを獲得する。それが新しい自分を形成していくものになるだろうし、覚えた知識は武器になることを知った。今の俺は知識がないので素手の状態と同じようなもの。これでは大したことができない。
「学校はとりあえずそれまで当分お預け。今の俺は高校生じゃなくて、カフェの店員だ」
まだ店はオープンしていないのでその肩書を名乗っても意味がないだろうが、きちんと自覚はするべきだろう。高校生『ナナシマヨイ』ではなく、カフェの従業員、七識舞宵として。
俺の居場所なら、文乃さんが与えてくれた。叶うなら彼女の想いや情熱に応えたい。そして努力をしたその果てに、彼女に恩返しでもして見せよう。
それが、俺の新しい人生だ。
「よーし、これから頑張るか!」
そうして俺は新しい
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