第2話 コーヒーと家族


 俺たちが駅を降りてやってきたのは人通りが全くない住宅街で都会のわりには静かなところだ。そんな中、俺はキョロキョロ周りを見渡すという田舎者ムーブを繰り広げているが、文乃さんは特に興味を持つことなくずかずかと先を進んでいく。さながら仕事ができる女上司のようだ。なんというか、声を掛けずらい。


 だが、今の俺にはどうしても聞かなければいけないことがあった。



「あの!」


「どうしたんだ舞宵君?」


「その、カフェというのは?」


「さっきから言っているだろ? 行けば分かるって」



 文乃さんは電車の中で詳細を語らず行けば分かるの一点張り。ただ一つ教えてくれたのは、俺がそこで働くことが面倒を見る条件なのだとか。嘘かどうかもわからないが、行ってみるしかあるまい。



「住宅ばっかりですけど、こんなところにカフェがあるんですか?」


「あるよ。今は住宅街ばっかりだけど」



 この場所は住宅街でおしゃれな家がそこかしこに点在し、逆にコンビニなどの店舗は全く見かけない。しかも昼間だからか人通りもまばらだ。だが文乃さんの足取りに自信があるところを見るに本当にカフェとやらがあるのだろう。とりあえず今はそれを信じてついて行ってみることにする。



「そういえば舞宵君、来月から学校がまた始まるらしいけど君はどうする?」


「え、学校ですか?」


「舞宵君が学業を優先するなら私としてもそちらを優先してほしいし、それに合わせてスケジュールを今から考えないといけないんだ」


「は、はぁ」



 今、世の中は夏休みシーズン真っただ中ということで俺は学校に行かなくて済んでいるが、担任との交渉で夏休み明けも出席停止扱いにしてくれるらしい。だから急いで知りもしない学校に復帰する必要はなく、今は生活を安定させることの方が重要だと判断する。



「とりあえず、しばらくは学校のことを考えず自分の生活のことを考えていたいです」


「そうか。舞宵君がそう言うならその考えを尊重するよ。確かに、よく覚えていない学校に一人で行くというのは勇気がいるからね」


「はい、ありがとうございます」



 意外にも俺の考えを汲み取ってくれて肯定してくれる文乃さん。この人はたぶん部下に好かれるタイプなんだろうなと思ってしまう。カリスマ性と言うべきなのか、この人に頼れば大丈夫だという気がしてならない。あまり良くないと分かっているが、依存してしまいそうだ。



「さて、舞宵君。ここが君が働くことになるカフェであり、新たな家でもある場所だ」


「え、ここが?」



 俺の目の前には確かに店があった。正確には三階建ての建物の一階部分に広い空間があり、奥には積み上げられたテーブルや椅子、そして冷蔵庫などが見える。この一階部分がカフェとなる場所なのだろう。想像していたよりも立派なお店だ。しかもリフォームしたばかりなのかかなり新しい。



「さあ入ってくれ。まだ借り始めたばかりで整ってはいないけどね」


「お、お邪魔します」



 俺はまだ整っていない店内に入り、周りを見渡す。広さは15~20坪くらいで、カウンターが既に設置されており、段ボールの中には店で使うと思われるコップやスプーンがしまわれていた。



「どう?」


「綺麗なところですね」


「ああ。店の窓から近くの川が見えるし景観も悪くない。うまく宣伝すればたくさんの人が来てくれるだろうね」


「はい、俺もそう思います!」



 そうだろうと頷きながら、文乃さんはダンボールをゴソゴソと漁りコップを一つ取り出した。そして既に棚に置かれているコーヒー豆を手動で焙煎し始める。



「えっと、文乃さん?」


「とりあえずコーヒーでも飲んで落ち着いてもらおうかなって。もちろんお代はいらないよ。今のうちに聞いておくけど、砂糖は?」


「えっと、たぶんブラックで大丈夫です」


「そうか。なら任せておけ」



 文乃さんはカウンターに椅子を持ってくるように俺に指示して、ゆっくりと手動でミルを回す。そうして豆をあらかた挽き終わると、ペーパーフィルターをドリッパーに敷きし、ドリッパーをガラス製のサーバーにセットしてゆっくりとお湯を注ぎ始める。



(おお、いい匂い)



 コーヒー豆を挽いているときから匂いは漂っていたのだが、お湯を注ぐことで湯気に乗ってより一層匂いが店内に充満する。文乃さんは三回に分けてお湯を注いでドリップし、そのままコーヒーカップに綺麗な黒の液体を注ぐ。



「本来ならカップとかを事前に温めておくべきだし、カップを置くソーサーもないと来たもんだから本当に申し訳が立たないけど、まあ勘弁してくれ」


「は、はい」



 捲し立てるように専門的な知識を披露されてしまって度肝を抜かれたが、いったんそれを忘れて出されたコーヒーに口をつけることにした。

 一気にコーヒーの香りが鼻を突き抜け、じんわりとした苦み。通はこの中に旨味を見出すらしいが、俺にそこまでの舌はない。しかし、このコーヒーが上質なものだということは分かる。その証拠に、この苦みが嫌いではない。



「とっても美味しいです。最初は苦いと思ったけど嫌な苦みじゃないし、飲みやすくて落ち着く」


「コーヒーにはリラックス効果があるからね。これで緊張はほぐれたかな?」


「はい」


「そうか、ならよろしい」



 文乃さんはそう言って紙袋に入ったクッキーを直接手で差し出してきた。俺はそれを手づかみで受け取り、そのまま口に入れる。



「これ、すごくおいしいです。コーヒーの苦みに合ってるし、クッキー自体も砂糖が控えめなためか食べやすい」


「おや、君は結構舌が肥えているのかな? 私が選んだクッキーの特徴を一瞬で見抜くなんて」


「病院食ばかりで、繊細な味付けが基準になってしまっているんです」



 というか、それ以前に美味しかったものなどをあまり覚えていないのだ。記憶喪失というのは、思っていた以上に厄介だ。しかしそれ以上に多くの事柄に新鮮感を覚えるので楽しいという反面もある。こう思ってしまうのは俺が子供っぽいからかもしれない。



「それでも、いい舌を持っているよ。コーヒー豆もクッキーも、結構こだわって見繕ったからね」


「それぞれ何円なんですか?」


「今のコーヒーが一杯で600円。クッキーは五枚で200円で提供する予定だ。原価率は……まあ、あれだけど」



 今の俺には値段の基準が分からないのだが、どちらもリーズナブルな価格だと思う。合わせると千円近くになってしまうが、どちらもかなり美味しいので妥当な価格なのだろう。いや、このクオリティならむしろ安いくらいなのかもしれない。



「今はまだ完全にメニューが決まってないけど、これから徐々に増やしていく予定だ。多分、舞宵君にも協力してもらうことになると思う」


「俺にですか?」


「当然だろ。君は今日からこの店の店員になるんだ。ああ、もちろん嫌なら断ってもいいよ。その後の生活は保障できないけど」



 最後のは半ば脅しに近かったが、このようなものを提供する店であれば働いてみたいと思ってしまう。それに、ここで出て行って代金を請求されても無一文な俺は困ってしまうのだ。どちらにしろ、答えは決まっていた。



「働きます。いえ、働かせてください!」


「うん、いい返事だ。この店の店員になった以上君は私の家族同然だ。これからよろしくね」



 そう言って文乃さんは俺に手を差し出してくる。俺は一瞬だけポカンとして固まってしまうもののすぐに自分の手を差し出して固い握手を結んだ。文乃さんの手は冷たかったが、彼女の顔はどこか温もりを感じる。



(家族……か)



 お父さん、お母さん。見てますか? あなたたちのことは覚えていないけど、俺のことを家族と言って迎えてくれた人に出会いました。これからどうなるかわからないけど、俺は頑張ってみます。







「ああ、そうだ。早速だけど顔合わせが必要かな。ちょっと待っててね」



 俺が天国の両親に自身の熱意を伝えていると、文乃さんは何かを思い出し店の奥にある階段を上がっていく。顔合わせとは、一体何のことだろう?



 俺がそう疑問に思っていると、階段から文乃さんの声が聞こえて来た。



「だから、頼めるかな?」


「ったく、なんでアタシなんすか?」


「君以外に人がいないんだ。私はこれから新たな取引先にご挨拶に行くことになってるし」


「予定詰めすぎだろ。それで、アタシに面倒を見ろと?」


「そゆこと」



 そうして階段から文乃さん……と、誰かもう一人が降りて来た。可愛いというより美人というような人で大きくも強い眼光。髪は茶髪で肩まで伸びているも、サラサラで整っている。



「さて舞宵君。さっきは君に働いてもらうって言ってたけど、働くのは私と君だけではない。君より先に家で働きたいって子がすでにいるんだ。それがこの子」


「……」



 その少女は一言も発することなく、俺のことを値踏みするようにジロジロと見つめる。もしかしたら俺が来るということを文乃さんから事前に聞いていたのかもしれない。とりあえず、自己紹介でもしておいた方が良いだろうか?



「まったく、相変わらず無愛想だな君は。私から紹介するよ。君と一緒に働いてもらう柊瑞希ひいらぎみずきちゃん。君と同じ高校一年生だ。仲良くするように」


「えっと、どうも」


「……」



 俺が声を掛けてみるも、向こうから何かを言い返してくることはない。恐らく記憶を失う前の俺のことを知っているというわけでもないだろうし、初対面からこんなんじゃ先が思いやられてしまう。



「この子は見かけによらず照れ屋なんだ。だから優しく接してやってくれ」


「ちょいテンチョ。勝手にアタシのイメージを捏造しないでくんないっすかね」


「捏造されたくなかったら、さっさと握手を交わすんだな。それがこの店のルールだ」


「は? そんなルール聞いてないけど」


「私が今決めた。さあ二人とも、握手しなさい」



 文乃さんはちょっとだけニヤつきながら俺たちに握手をするように促してくる。よく見ると柊さんは俺と握手をするのを躊躇っているように見えなくもない。俺が開幕早々嫌われているのか、それとも本当に照れ屋なのか。彼女の表情が硬いので判断に困るところだ。


(というか目つきこわっ! でも、とりあえず俺から寄り添ってみるか)



 照れ屋にしては鋭すぎる目つきに俺はたじたじになってしまう。だが怖がっていても何も進まないので俺から話しかけることにする。



「えっと、よろしくお願いします、柊さ……」


「おっと、待ちたまえ舞宵君。また新しくルールを決めたよ。この店の中では苗字ではなく下の名前で呼び合おう。その方が、家族っぽいだろ?」


「……はぁ」



 俺が戸惑っているのと対極的に、柊さんは呆れているようにも見えた。先ほどの会話も所々砕けていたし、いったいこの二人はどういう関係なのだろう。だが、そんな疑問は後だ。



「よろしくお願いします、瑞希さん」


「……よろしく」



 彼女は不愛想だったが、ようやく俺に喋り返してくれ同時にがっちりと握手を交わしてくれる。この人、最初は怖いと思ったけど悪い人ではないのかもしれない。


 所々に、相手を思いやるような態度が見えるし、俺から目を逸らさない。その瞳は、冷たくもどこか芯の部分が温かく感じる。まるで文乃さんのようだ。



(というか、文乃さんが協調性のない人を雇うはずないか)



 本当に態度が悪いだけの人だったら文乃さんは雇わないだろう。彼女が既に文乃さんに雇われている。それがこの人が信頼に足る人間だという何よりの証拠だ。



(いや、少し文乃さんのことを過信しすぎか?)



 まだ短い時間しか一緒にいないが、俺はどこか文乃さんのことを信じ切っている。良くないことだとはわかっているが、今はこの人を信じてみたいし、信じるしかない。どちらにしろ俺には頼る人がいない。ならば、迷惑をかける覚悟でお世話になろう。そして改めてこの人たちを見極めるのだ。



「それじゃ、これからみんなで頑張っていこう!」



 文乃さんの張り切った呼びかけと共に、俺の新たな生活が始まろうとしていた。

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