イメージトレーニング

明弓ヒロ(AKARI hiro)

電車内で妄想すると危険です

『おい、電車の中ででかい音で音楽なんか聞くんじゃない』

 中年サラリーマンが、隣に座ってイヤホンで音楽を聴いている学生を注意した。年は50前後、くたびれたよれよれのスーツ、生気のない顔色、会社で出世できず、家庭にも居所がない、典型的な中年サラリーマンだ。


『うるさいって言ってるだろう』

 だが学生はガン無視だ。


『お前みたいな奴がいるから、社会が悪くなるんだ。俺の若いころを見習えー』

 いきなり、中年サラリーマンが学生を殴った。

『ひぇー、お許しを』

『謝っても遅い、お前なんかボコボコにしてやる』

 きっとストレスが溜まっていたのだろう。普段おとなしい人間ほど、キレると手がつけられない。


『おっさん、謝ってんだから許してやれよ』

 他の乗客たちが目をそらして知らないふりをする中、向かいの席から俺が颯爽と立ち上がった。


『なんだ、お前は。余計なことに首突っ込むな』

『あいにく、俺は他人が困ってるのは見過ごせない性分でね』

 俺はサラリーマンの手を捻じり上げる。


『な、なにをする!』

『車内で他人に迷惑をかけるんじゃない、わかったか!』

 捻じった手に力を入れると、サラリーマンの顔が苦痛に歪んだ。


『わ、わかった、放せ!』

『もう、若い奴に絡むなよ』

 俺が手を離す。


『コノヤロー!』

 しかし、サラリーマンは俺が手を離したとたんに殴りかかってきた。


 だが、こんな逆切れは想定内だ。

 サラリーマンのへなちょこパンチなど俺の顔面を捕らえることはできない。俺は、右、左と軽く体を振って躱す。


『舐めやがって!』

 サラリーマンが頭突きをしてきた。たとえ素人でも頭蓋骨は脅威だ。当たり所が悪ければ死ぬこともある。

 

 かといって、カウンターで膝蹴りなどをかましたら、こちらが大けがをさせてしまう。


 仮にも俺はプロの格闘家だ。俺の体は生きた凶器だ。


 俺はサラリーマンの突進を上から払い、鍛え上げた腹筋で頭突きの衝撃を吸収する。そして、羽交い絞めにしながら頸動脈を押さえて失神させた。


◇◇◇◇◇◇◇


 準備運動はこんなもんでいいだろう。


 頭の中で想像した戦いは、俺の圧勝で終わった。


 プロの画家は常に頭の中で絵を描いているという。特に電車の中は絶好のデッサンスポットだ。老若男女、年齢も職業も様々な人がいて、これらの人々の特徴を瞬時に的確に捉えることで描写力が鍛えられるという。


 この話を聞いたとき、「これだ!」と俺は思った。


 俺はいちおうプロの格闘家だが、最近はなかなか試合に勝てない状態が続いている。どうも俺の格闘スタイルは単調で、トリッキーな相手との相性が悪い。


 そこで俺が思いついたのは、電車を使った「イメージトレーニング」だ。車内の乗客を相手に頭の中で死闘を繰り広げる。


 実際、車内には強敵がうじゃうじゃいる。一見、普通の老人が拳法の達人だったこともある(俺の頭の中でだが)。


 ドアの横のスペースで竹刀の入った袋を持っている高校生も只者ではない。次の相手はあいつだ。

 

 俺は、あいつと異種格闘戦のリングを想像した。

 

 たとえ竹刀といえど武器を持っている方が圧倒的に有利だ。相手の射程外から一方的に攻撃することができる。


 俺の戦術は決まった。相手が上段に構えたときに、タックルで足を狙う。剣道は下半身への攻撃が禁止されているから、どんな達人でも初見では足への攻撃は防げない。高校生相手に大人げないとは思うが、こっちも人生がかかっている。


 相手は竹刀を正眼で構え、俺を牽制する。


 おいおい、ちょっと待て!

 こいつ、竹刀を右手一本で持っていやがる。そして、後ろに下げた左手には逆手でもう一本の竹刀がある。


 二刀流か! それも大小二本ではなく、大刀二本の二刀流だ!


 現代では二刀流は使い手自体が少ないのだが、一般的に二刀流は太刀と脇差の長さの異なる二本を使う。太刀で攻撃し、脇差は防御用だ。屋外戦闘用の太刀と室内戦闘用の脇差の二本差しの侍が、二本の刀を有効活用するための戦術だ。


 だが、こいつは同じ長さの竹刀を二本構えている。つまり、両方とも攻撃用だ。竹刀袋に竹刀が二本入っていたのは袋の膨らみからわかったが、てっきり一本は予備だと思っていた。


 手強い。道場剣道ではなく、実戦剣術の使い手だ。


 俺が足を狙いにタックルに行けば、こいつは身をかがめて右手の竹刀で俺を阻む。俺がそれを避けるや、ただちに体を半回転し、左手の持つもう一本の竹刀で俺の側頭部を狙うつもりだ。


 どうする。奴が一歩進んだ。俺は一歩後退する。このままじりじりと追い詰められたら不利だ。また、奴が一歩進む。俺は一歩下がる。まずい、コーナーに追い詰められた。

 

 奴の能面のような顔に残忍な笑みが浮かんだ。

 なんて奴だ! こいつは、まさか、人を斬ったことがあるのか!


 こんな奴を野放しにしてはおけない。たとえ俺の命を捨ててでも、こいつだけは倒す。


 俺は奴の足を狙って、タックルに飛んだ。

 奴が右の竹刀を正眼から上段に構え直し、神速で振り下ろす。


 速い。だが、この攻撃は俺の想定内だ。俺はローリングで躱し、ローキックで奴の足を払いに行く。奴は八艘で飛び、それを躱す。


 たとえ躱されても、俺はしつこく奴の足を狙う。上からの攻撃は剣術使いには効かない。


 そして、横に動くと見せかけて、真正面から奴の両足を取りに行った。


 だが、奴の剣の方が速い。俺が奴の足をとる寸前、俺の両肩に奴の竹刀が振り下ろされ激痛が走った。


 肉を切らせて骨を断つ。


 真剣だったら俺の両腕は斬り落とされて勝負はついていただろう。だが、竹刀では俺には勝てない。


 俺は奴をマットに転がし、逆十字で腕を絞めた。勝負ありだ。


◇◇◇◇◇◇◇


 ふう。俺は深く息を吐いた。いまのはきわどかった。末恐ろしい高校生だ。十年後に再戦したら、はたして俺は勝てるだろうか。もっともっと精進しなければ。俺は気を引き締める。


 さて、次は誰だ。俺は車内を見回したが、これといってめぼしい相手がいない。

 残念だが、今日はこれまでだな。

 俺は腕を組んで、うとうとし始めた。

 ……

 ……

 ……

 な、なんだ!

 鋭い殺気が俺を浅い眠りから覚ました。


 今まで感じたことのない殺気だ。まるで実際に体を何かで刺されるような痛みを感じる。第六感というやつだ。


 誰だ! どこにいる!

 俺は車内を見回す。


 いた! 俺の真正面だ!


 殺気は、俺の正面の座席に座って文庫本を読んでいる女子高生から放たれていた。隣には、最初にやっつけたサラリーマンがぼぉっと座っている。この殺気に気付かないとはボンクラが。


 一見、おとなしそうな女子高生だが只者ではない。それに、俺は彼女にどこかで出会っているような気がする。


 どこだ? どこで会った?

 俺は記憶の中を探った。駄目だ、思い出せない。あと少しで思い出せそうだが、その少しが出てこない。


 まぁいい。どこの誰であろうと、まずは戦うのが先だ。


 俺はリングに立つ。そして、彼女と向かい合った。


 カーン、試合開始の鐘が鳴った。

 直後、俺はマットに沈んでいた。


 なんだ! いったい、何が起きた! 俺は何をされた!


 鐘が鳴ったことは覚えている。だが、次の記憶はマットに沈んで天井を見上げている姿だ。


 何か武器を使っているのか? いや、腹部に感じる鈍痛は強烈な一撃を受けたことを物語っている。


 あんな小さな体のどこに、こんな力があるというのだ。


 勝てない。何度戦っても、どんな努力をしても勝てる気がしない。


 その時、俺の記憶が呼び覚まされた。


 『戦闘少女ミリア』だ。両親をテロリストに殺され、復讐を誓った少女。自ら武装組織に志願し、心を鬼にして実戦経験をつんだ。超絶アクションが売りの俺の今期イチオシのドラマだ。原作者の正体は謎に包まれており、ストーリーのリアルさから、フィクションではなく実際に著者が経験したことがベースになっているのではないかとネットで囁かれている。


 つまり、俺の前に座っているのは、だ!


 実戦経験を売りにするプロの格闘家もいるが、しょせんは街中での喧嘩ぐらいだ。戦場で命のやり取りをしたものなどはいない。ましてや、人を殺したものなどいようはずもない。


 だが、ミリアは違う。十代の少女ながら、手を血で汚している。それゆえの強さだ。本人が望む力ではなかったのだろう。死んだ両親が蘇るのであれば喜んで捨てる、そんな力だ。


 しかし、彼女は手に入れてしまったのだ。そして、その力を使い続けるだろう。両親を殺した相手を見つけるまで。両親の仇を討つまで。


 この強さが、俺に可能なのかはわからない。俺には手にすることのできない力なのかもしれない。


 それでも、俺はこの力が欲しい。プロの格闘家として、世界の頂点に立つために。


 俺は心を決め席を立った。そして、彼女の前で土下座して言った。

「俺を弟子にしてください」



◇◇◇◇◇◇◇


「勇敢な会社員、痴漢逮捕に協力」

 本日の夕方5時ごろ、○○線××行き電車の中で、突然一人の男(職業:自称格闘家)が女子高生の前に跪き、スカートの中を覗こうとした。恐怖のあまり動けなくなった女子高生を救ったのが、隣の席に座っていた会社員、鈴木正さんだ。


 その場を目撃していた乗客によると、皆、おどおどして遠巻きに眺めているだけだったが、鈴木さんがさっと立ち上がり、男を後ろ手に締め上げ、次の停車駅で駅員に突き出した。男は、自分は弟子入りしたかっただけだとか、わけのわからないことを言っていたとのことだ。


 近くには竹刀を持った高校生もいたが、真っ先に逃げ出してしまった。


 鈴木さんは一つ前の駅が最寄り駅だったが、正面に座った男の態度が何かおかしいと第六感が囁いたため電車に乗り続けたところ、嫌な予感が当たってしまったという。


 成績優秀だった鈴木さんは、小さいころから柔道も習う文武両道の二刀流で、万が一の時は自分が立ち上がらねばと、普段からイメージトレーニングをしていたことが今回役にたったと述べている。


 すでにネットでは鈴木推しを名乗る人たちが、鈴木さんのイラストを多数アップしてトレンドとなっている。


―了―

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