弁当 in the『マ゛ンバ』
とは
第1話 弁当とはつまり、小さな芸術作品なのだ
「うっ……」
小さく呟き、私は弁当のふたをとっさに閉じた。
慌てて重ねようとしたふたは、当然のように素直に収まることなく、弁当箱の隅についていたご飯粒をすりつぶす嫌な感触を私の指に伝えてくる。
油断していた、うちの母はちょっと。
いや、かなりおかしいということをどうして私は失念していたのだろう。
私はもうじき高校生になるのだ。
海苔で書かれた文字ごときで喜ぶお年頃ではないというのに。
しかも今日はその高校が決まる入試日なのだ。
なぜそんな日の弁当に彼女は中学三年間、作り続けた弁当においても書くことなど無かった海苔文字に挑戦しようとしたのだろう。
母は料理こそかろうじて出来るものの、芸術系の神様に一切の祝福を貰えなかった女性である。
はっきり言おう。
センスがない。皆無。いやむしろマイナスだ!
ふたを押さえたままの状態で私は深呼吸をする。
……一回、二回。
オーケー、覚悟は出来た。
さぁ、現実と向き合う時間だ。
そもそもこんなところで時間を食っている暇はない。
食っていいのは弁当の中身だけだ。
改めてふたを開く。
敷き詰められたご飯の上に書かれた文字は三文字。
おそらく『ガンバ』と母は書きたかったのだろう。
だが運命のいたずらとは残酷なものだ。
ふた側についてしまったであろう海苔により『ガ』の二画目の文字が下にずれ込んでおりそれは『マ』という文字に変わっていた。
つまり『マ゛ンバ』という文字が、白く輝くご飯の上にのせられているということ。
なお、私の人生において『マ゛ンバ』という言葉は聞いたことも話したことも検索サイトで調べたこともない。
さらに言えばうちの母親は、どうやら『バランス感覚』というものを祖母のお腹の中に置いて来てしまった人だ。
『マ゛ン』の文字だけでご飯の面積の三分の二以上を占めている。
そのために最後の文字の『バ』が非常に小さい。
つまりは。
『マ゛ンバ』
このような状態になっているのだ。
白い世界でいびつな存在感を放つ黒の三文字。
そんな文字を眺めている私から生まれたのは、笑みだった。
「まぁ、お母さんらしいといえばそうだよな。……ふふ。ありがと」
多少の心の乱れこそ起こったものの、それは同時にいつも通りのリラックスした気持ちも芽生えさせてくれていた。
「うん。がんばるよ、私。このお弁当にかけてね」
朝早くに作られた、すっかり冷めてしまっているお弁当。
でもそれは三年間、食べ続けたいつもの母の味で。
『普段通りに頑張りなさい』と伝えているように私には感じられるのだ。
なぜだか鼻がツンとして、視界がぼやけた私は下を向く。
お弁当がしょっぱくなる前に食べるんだ。
そしていつも通りの力を出せるようにしよう。
気合が入った私はきれいに弁当を食べ終える。
――大丈夫だ、きっと頑張れるから。
不思議な自信と共にテキストを開き、私は午後の試験に向けて集中を始めるのだった。
◇◇◇◇◇
「ただいまっ! 試験は無事に終わったよ!」
「そう、よかったわね。三年間、あなたはずっと頑張って来たものね。きっといい結果が出るわよ」
いつもならくすぐったくってしょうがない言葉だ。
でも今日は素直に私の心にすっと入ってくる。
鞄から弁当箱を取り出し、台所にいる母へと手渡す。
「お弁当、美味しかったよ! 明後日の受験も頑張って行ってくるね!」
「ふふ、いい手ごたえだったのかしら? じゃあお母さんも次のお弁当、しっかり作らなきゃね」
受け取った弁当箱を洗いながら母は笑った。
その言葉に私にも笑顔が生まれていく。
きっと明後日も頑張れる。
そんな気持ちで私はその日を過ごしたのだった。
そして私は二日後の試験会場にて、パワーアップした海苔文字弁当に会うことになる。
でもそれはまた、別のお話。
弁当 in the『マ゛ンバ』 とは @toha108
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます