先輩、私とお笑いをしませんか?

呂兎来 弥欷助(呂彪 弥欷助)

第1話

「先輩、私とお笑いをしませんか?」


 卒業式が終わって声をかけられた──が、まさかの勧誘だった。


「へ?」


 よく聞くようなシチュエーションと言えば、告白だろうに、なぜ『お笑いをしないか』と、言われているのか。


「ご、ごめん。俺、お笑いをしようとは……」

「じゃあ! その……ネ、ネタを書いてくるので、見てはくれませんか?」


 彼女の黒い髪に、桜の花びらがハラハラと降ってきた。



 大学に進学して、大学を出たらどこかの企業に就職できればいいと思っていた。一般的な会社に就職すると思っていただけで、芸人になるなんて考えたこともない。それなのに──。


「わ、わかった。ネタを見るだけなら」

 なぜか、了承してしまった。


 桜色よりも明るい色で彼女の顔色は染まり、流れで連絡先を交換する。


「カンナ……ちゃん」

「は、はい!」

「ああ、俺はシノザキ……って、知っているか」

「は、はい!」


 背筋をピンと伸ばして、しっかりとした返事を返してくる。偏見だけど、お笑いを目指すような女の子には到底見えない。どちらかといえば、アイドルとか、女優とか、そっちを目指した方がキャラに合っているような気がするが……まぁ、本人の意思なので、俺の言うことでもないだろう。


「じゃ、今度、ネタ見せてくれるの楽しみにしているよ」

「は、はい!」


 ピンとした背中を九十度に曲げて、すっと一礼。──そんなに深々頭を下げなくても。


 ばっと顔を上げたカンナちゃんは頭に血が上ったみたいに真っ赤な顔をして、でも、幸せそうに笑っているように見えた。


「そ、それでは、先輩。ま、また」

「おう」


 走り去るカンナちゃんを見て、呆然とする。あれ? 俺、まさかの芸人道へ?! ブルブルと頭を振る。


 いやいや、そんなつもりは毛頭ない。


 ただ、ネタを書いてくるから見てほしいと言われたのに了承しただけだ。一緒にお笑いをするとは言っていないし、ネタを見るだけならいい……よな?


 走り出す前のカンナちゃんがスマホを大事そうに握っているように見えたのは、きっと気のせいだ。



 それから何度かカンナちゃんと連絡を取り合い、数日後に会うことになった。


 それにしても、カンナちゃんのレスは早い。それだけお笑いに対する熱があるのだろう。



 数日後。

 待ち合わせのファミレスに向かうと、カンナちゃんは先に着いていた。

「ああ、先に入っていてくれてよかったのに」

「あ……でも、わ、私、来たばかりだったので……」


 かわいらしいワンピースは、やっぱりお笑いを目指すにしては不釣り合いな気がする。桜が近くにあるわけではないのに、カンナちゃんの頬が桜色のように感じるのはなぜだろう。

 ネタ帳を入れているであろう大きな鞄が、カンナちゃんを一層華奢に思わせる。


「じゃ、入ろっか」

「は、はい!」


 ファミレスへと入ると、背筋を伸ばしたカンナちゃんがついてくる。


 こんなにかわいい子を連れてファミレスだなんていいのか? と思いつつ、お笑いのネタを見るだけだと煩悩を消す。


 席に座り、とりあえずドリンクバーを頼み、各々に取ってきて着席。一口、二口飲んだところで、

「あ」

 と、カンナちゃんは鞄を開ける。取り出したのは、ネタ帳と思われる物。


「見、見て下さい」

「ああ」


 手に取り、どれだけの力作が書いてあるのかと期待して頁を捲る──が、その内容はとてもシュールだった。


「あの……さ、カンナちゃんってお笑いは、いつから目指そうと思ったの?」

「え、そ、その……」


 もごもごとし出したカンナちゃんを見て、もしかしたらお笑いをしたいと言うのは、嘘ではないかと疑う。


 だって、やっぱりカンナちゃんがお笑いをする姿が浮かばないのだ。彼女なら、アイドルなり、女優なりを目指せばいいと素人の俺でも思うのだから、きっとオーディションを受けてもそう言われるだろう。


 そんなことをモヤモヤと思っていたら、『●●は知っていますか?』とカンナちゃんは言った。

 俺はドキリとした。そのお笑いは、決して有名なお笑いではなかったから。


「知ってる……ってか、俺、そのお笑い大好きだけど……え? カンナちゃんも?」


『はい』と小さな声が聞こえた。

 確かに●●のお笑いはシュールだ。わかる人にしかウケず、ハマる人にしかハマらない。だから、メジャーなお笑いではない。

 でも、俺は『ハマる人』だった。そして、カンナちゃんも側の人間だったとは!


「わかった!」


 グッと胸が熱くなる。

 SNSでも同志を探すのが大変なくらいの同志が、目の前にいる!


「カンナちゃん、このノート……俺が預かってもいいかな? ふたりでネタを出し合ったり、改善案を出したりして……いいネタ作ろうよ!」


 俺は謝罪したい気持ちでいっぱいだった。お笑いをしたいなんて嘘じゃないかと疑ったりしてごめんと、心底思った。


 カンナちゃんには、疑ったのが伝わったのかもしれない。潤ませた瞳で俺を見て、


「は、はい!」

 と、今にも泣きそうに言った。



 それから何回も何回も連絡を交わし、打ち合わせをするみたいに会い、その度に交換ノートのようにネタ帳は俺とカンナちゃんを行き来した。



 そうして月日は流れ、一年経とうとした日。

 ネタが完成した。


「いや~、いいネタができてうれしいよ! カンナちゃんもそろそろ卒業だね! 卒業したら、オーディションを受けに行く?」


 渾身の一作がようやくできたと俺は上機嫌だった。


「あの……先輩……」

「ん?」

「私、先輩に言わないといけないことがあります」


 スピーカーにしたスマホから、カンナちゃんの悲し気な声が聞こえた。

 一人暮らしだから誰もいないけれど、大事な話ならスピーカーで聞いては失礼な気がして通常の通話モードに直す。


「なに?」


「あの、言おう、言おうと思っていて、ずっと言えなかったんですけど……」


「うん」


「私、お笑いを……したくて先輩に声をかけたわけでは、ないんです……」


「え?」


 この約一年が吹き飛んだように、真っ白になった。


「ごめんなさい。でも、先輩とお話できるのがうれしくて、仲良くなれたのもうれしくて……」


「待って。じゃ、●●が好きだって言ったのは?」


「あれは……嘘ではないですけど、●●を知ったのは……先輩が、●●を好きだと話しているのを聞いて……その、先輩はお笑いが好きなんだと思って……」


 目指して来た未来が真っ白になったからか、カンナちゃんの話の意図がまったく見えない。彼女はお笑いをしたいわけでも、●●の元々のファンでもなかった。


「ん~と、じゃあ……初めに見せてもらったネタって……」

「初めて書きました」


 ですよね~としか返答できない。

 どうして当時気づかなかったんだ、俺。


「先輩の好きな●●に似せるように、でもマネだと思われないように……ネタを見てほしいなんて、言ってしまったのは私なので、頑張って書きました」


 ん?


「ネタを見てほしいなんて、言うつもり……なかったんです。そもそも、お笑いをしましょうなんて、言うつもりでもなかったのに、どうしてあんなことを言ってしまったのかって……」


 んんん?


「でも、先輩に連絡先を教えてもらえて、名前まで憶えてもらえて……連絡まで、きちんと返してもらえて……もう、どうなってもいいと、舞い上がってしまいました」


「え? カンナちゃん?」


「ごめんなさい、先輩。一緒に一生懸命ネタを考えて下さって、これからのことまで考えて下さったのに……私、こんな人間なんです。だから、もう、先輩に会う資格も、連絡する資格も、ないって思って……」


 カンナちゃんは、かわいい。

 第一印象から、ずっとそうだった。

 どちらかといえば、アイドルとか、女優とか、そっちを目指した方がキャラに合っているような気がしたし……でも、まぁ、本人の意思だ。俺の言うことでもないと、ずっと言わないできた。


 もうひとつ、ずっと言わないできたことがある。


「あのさ、カンナちゃん」


「は、はい……」


 カンナちゃんは涙声だ。

 こんなかわいい子を泣かせるヤツなんて許せないと思うけど、その許せないのは俺なんだよな。


「資格がないなんて、言わないでよ」


 いつの間にか、舞い上がっていたのは俺なんだよな。

 ネタを考えて、話し合って、ネタ帳を交換して、そんな日々が楽しいと思っていた。いや、思い込むようにしていた。


 カンナちゃんと会う口実だなんて、カンナちゃんに知られたら、もう、会ってもらえない気がして。

 コンビを組めないような気がして。


 カンナちゃんのとなりを、誰か別のヤツに取られたくなかったんだ。


「卒業式、俺が迎えに行っても……いいかな?」


「え?」


「新しいスタートを、ふたりで歩きたいから」


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