……きりぎりす

(これは……フランス料理?)

 白い皿の中央に緑色のドームのようなものが鎮座している。いや、ドームというよりは吊り鐘か。くすんだ緑も背の高い形も吊り鐘に近い。

(これはホウレンソウかなにかで色をつけた薄焼き卵か? だとするとオムライス? いや、超幅広のパスタ? パイ生地? わからん)

 ドームの淵から流れ出るように色鮮やかなソースが盛られている。三人娘がいることもあり、ソースは振り袖を思わせた。

 見えないだけに、ドームの中身が気になる。もしもドームが冑を模しているならば、下にいるのは、きりぎりすということになる。この句が詠まれた時代では、きりぎりすは確かコオロギで秋の季語だったはずだ。現代で言うキリギリスは、はたおりだったと記憶している。

(今は秋じゃない。季節ではないしコオロギじゃないだろう。コオロギだったとしても、乾燥したもののはずだ)

 覚悟を決めて、えいやと緑のドームにナイフを入れた。

「そうか、わかった!」

 胸のうちで叫んだつもりだったが、声に出していたらしい。ぴたりとおしゃべりがやみ、三人娘がこちらを見ている。

 気まずさを振り払うように私は黙々と料理を口に運んだ。美味い。

 よく似ているが微妙に異なる甘さが二重に重なって、ハーモニーを奏でている。そっくりの双子が、かすかに音色の違うフルートを吹いているような光景が脳裏に浮かぶ。眩暈がするようだ。

 楽器はフルートだけではない。辛味はトランペット、酸味はティンパニ。そして、もう一つ。これは苦味だ。これは……

 コントラバスだ。

 大満足で“むざんやな冑の下のきりぎりす”をたいらげた。

 店を出る際、入れ替わるように入ってきた小柄な男とすれ違った。飛白の対の羽織と着物、縞の細い袴。そのどれもが皺だらけでくたびれている。ちびた下駄に傷んだ紺足袋、形の崩れた帽子からはもじゃもじゃの長髪がはみでている。

 とにかく風采のあがらない青年だった。

「あら、お久しぶり、お元気でしたか――」

 店員が着物の青年の名を呼ぶのを背中で聞いた。みょうちくりんな名前だったが、覚えていない。

 店の前に赤黒い花が一面に咲いていた。あれは曼珠沙華だろうか。

(馬鹿な、季節外れだ。いや、くるい咲きということもあるか……)

「ご馳走様」

 ぼろぼろの暖簾に合掌した。

 さきほどの青年の着物にも劣らずくたびれていたが、かろうじて文字が読める。

 ――横溝食堂、と。

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冑の下の蟋蟀は舌鼓を打てるか? アカニシンノカイ @scarlet-students

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