大文字伝子が行く9
クライングフリーマン
大文字伝子が行く9
依田のアパート。警察関係者が出入りしている。
アパートの大家が誰彼構わずわめいている。「止めて。あの子はおっちょこちょいだけど、悪いことはしない子なんだよお。」
「どうにか出来ないのか、愛宕。」「我々も知り合いだからって無理矢理混ぜて貰っていますからねえ。久保田先輩も署で事情聴取に混ぜて貰っていますが。」
「大家さんの言う通り、おっちょこちょいでも、悪いことはしない。」「全くの濡れ衣だ。」と、伝子と高遠は口々に言った。
「一通り終わりましたが、ブツは出ませんでした。指紋等は後で照合しますが、彼の車を調べたいのですが、愛宕刑事がお友達でしたね。」
「いや、ややこしいのですが、私の先輩の大文字伝子さんの後輩ですなんですね。依田さんは。」と、愛宕は応えた。「立ち会い許可が必要なら、私が責任を持ちます。調べて下さい。」と、伝子が口を挟んだ。
「了解です。おい!」と鑑識係は他の係員に声をかけた。
「遅くなったな。すまんすまん。」と井関が言ってやって来た。「おやおや?また会いましたな。確か愛宕刑事の先輩だとか。」「はい、被疑者、とは言いたく無いんですが、依田さんの先輩でもあります。」と愛宕が説明した。
「分かった。出来るだけ急ごう。私が約束出来るのはそれ位だな。」「感謝します。」
愛宕が敬礼をすると、井関は依田の車に向かった。
南原の車の中。「信号、長いなあ。」「焦らないで、お兄ちゃん。まだ参考人でしょ。」妹の蘭は助手席から兄を慰めた。「僕だって信じているさ。同じ大文字先輩の後輩なんだから。」
福本家。福本が電話を切る。「うちで作戦会議だ。お母さん、祥子。頼むよ」
「心得ましたよ。」「密告の電話でしょ?どこかで恨み買っているのかしら、依田さん。」
「さあな。あるとすれば仕事がらみだろうけど、逆恨みだろうな。宅配員の配達員はコロニーの頃、随分虐めにあったらしいし。(大文字伝子が行く4参照)」
福本家。2階。
「4畳半と8畳かあ。広いですねえ。福本さん、ご両親に助けて貰ったって言ったけど、2世帯住宅に。」
「その積もりです。庭もあるし。実はね、南原さん、これ『訳あり物件』なんですよ。」
「反対しなかったんですか?ご両親。」「田舎じゃよくある話だからって。あ、ここですよ。」福本が雨戸を開け、サッシ戸を開け、補修箇所を指した。
「犯人は、どこをどう探していいか途方にくれていた。って場所ですね。」
「雨戸締めてると分からないけど、元はガラス障子戸。空き家のままだと思って侵入したら、そうじゃなかった。しかも、入居者と鉢合わせ。」
南原と福本が笑い合っていると、愛宕が「見て下さい。あの家。」と愛宕が百メートル近い距離の家をさし、双眼鏡を渡す。
「ああ、あの家から覗いていたんですよね、公安が。」と愛宕が説明を加える。
「玄関や、この奥の部屋は死角になるから、慌てて駆けつけたって訳ですね。」
そこへ、女性陣がお菓子や何やら運んできた。
「何立ち話してんの。窓開けただけ?これだからね、男は。」と蘭が不平そうに言う。
「ひとの家で偉そうにすんなよ。」と南原が注意する。
「まま、お茶でも飲みながら召し上げれ。」と明子が羊羹を指す。
「大文字先輩と高遠先輩は紅茶でしたっけ?」と祥子が言うと、「すまんな。」と伝子が返す。
「なあ、福本。『人違い』じゃないかな?」と考えつけていた高遠が言う。
「私もそう思う。大家のおばあちゃんに言われるまでもなく、我々はヨーダの性格はよく知っている。自分から罪を犯すやつじゃあない。」
「たれ込みの言葉次第で変わってくるっていうのが先輩の推理でしたね。」
その時、外から「おーーい」というみちるの声が聞こえた。
「みちるが帰って来ました、先輩。」
「ただいまー。遅れました。わあ、美味しそうだわ。」とみちるが入って来た。
「ピザ食べた部屋より広いわー。」「それで、みちる。成果は?」と伝子が促した。
「さすが、久保田先輩ですね。たれ込みの電話の会話。電子ファイルで署長宛てに送って貰っていました。これが、そのデータ。」みちるはタブレットを用意し、再生した。
『ヤマトネ、ニハク、ニチュウイチ』
皆、首を傾げる。高遠が解説する。「ヨーダの会社は『倭根運輸』、221は車の識別番号だ。」
「詰まり、依田さんの名前を知らせてないわ。」と蘭が言う。
「そこだよ。警察はそのまま調べただけなんだ。」と高遠が相槌を打つ。
「多分、証拠不充分で釈放されるだろうな、条件付きで。」
「久保田先輩もそう言ってらしたわ。」「条件付きで?」と南原が言う。
「所在地をはっきりさせること。依田さんは独身だからね。」と愛宕が言う。
「ここなら、大丈夫でしょ、愛宕さん。そもそも逃げたら犯人の仲間だし。」と福本が言う。「そうですね。大丈夫。」
「この声、なんか外国訛りがあるような気がする。」と高遠が言った。「そうだな。みちる、もう一度再生してくれ。」
「再生の後。そんな気がしないでもないなあ。」「日本、よく知らない人なら『似た名前』と混同するかも。」「よし、みちる。似た名前の宅配便業者の事業所は?」
「これかなあ。ナカソネ、ヤマトヤ、ヤマモト・・・。」
「当たってみましたよ、高遠さん。」と久保田刑事が入って来た。「羊羹ですか。上手そうだなあ。」「どうぞ、お義母さんのお手製です。」と祥子が差し出した。
「恐縮です。」と1本羊羹を押し頂いた後、久保田先輩は説明をした。
「候補の内、ナカソネ運輸の支店で同じ車両識別番号211の車があったので、礼状取って、調べました。助手席側のドアから出てきました、MOが。」
「え、えむおー?」と南原が奇声を上げた。「再生機なかなかないですよ。」
「だからこそ、使っているんですけれどね。我々は中身を教えて貰えません。麻薬がらみかな?くらい。」「かな?くらい。」蘭が絡んできた。「止めろよ、蘭。久保田刑事だって、直接絡んでないと、蚊帳の外なんだよ。
「まだ途中段階なんで、福本さんが身元引受人ということで、今夜からはこちらに、ですよね。」「はい。」
「じゃ、自分は一旦署に戻りますので。これ、ごちそうさまです。」と、久保田は羊羹を少し持ち上げて、帰っていった。
1時間後、着替えを取りに部屋に戻った依田に背後から男が襲いかかり、振り向きざま、依田は頭を殴打された。幸い、両手でカバーしたから、衝撃は多少緩和されたが、出血し、失神した。大家の悲鳴に、送って来た警察官が救急と警察に連絡した。
犯人は逃走したが、捕まっていない。
1時間後、本庄病院。
病室に伝子、高遠、南原、福本、愛宕が駆けつけた。「ヨーダの、依田の容態は?」
「大丈夫よ。」
担当医師本庄まなみがリクライニング状態のベッドのすぐ傍にいて、近くにPCモニターがあった。応えたのは、本庄医師ではなく、PCモニターの池上葉子だった。
「あら、高遠君。君のお知り合いだったの、依田さんは。」「大学の同窓生です。」
「じゃ、そちらにおられるのは有名な大文字探偵ね。」「大文字伝子ですが、探偵じゃありません。」
伝子の言葉を池上医師は無視した。「頭蓋骨に損傷なし。時間はかかるけど、治るわ。手術はしない。手の打撲は痣が残る程度。」
「良かったな、ヨーダ。私がついている。可愛い後輩のお前をこんな目に遭わせた奴は許さない。きっと、敵は討つ。お前は先生達に身を任せて回復するんだ。いいな。」
「『せんぱあい』。」依田はポロポロと涙を流した。
「先輩、ホントに敵討ちするんですか?」と病室を出た後、愛宕が言った。
「愛宕とみちるは参加しなくていい。無関係だ。」と伝子は言い放った。
「僕らは、何が出来るか分からないけど、ついて行きますよ。」と福本が言った。
「僕らは・・・僕、入ってます?」と南原。「無理強いはしないよ。」と高遠。
愛宕はため息を吐いた。
翌日。伝子のマンション。
愛宕、福本、南原が来ていた。
「作戦会議、って言ってもなあ。」と南原が大量のみかんを運んで言った。
「お兄ちゃん、どこ置く?あ、高遠さん、どこ置けばいいかな?」と蘭が言った。
「困ったなあ。1ケースは台所に置くとして、2ケースは多いですよ、南原さん。」
「じゃ、うちで引き取りましょうか?」と愛宕が言った。
「ああ、助かります。お願いします。」愛宕が早速、みちるに電話をした。
「ミニパトでこっちに向かう途中だから、すぐ回収出来るそうです。」
その時、伝子のスマホが鳴った。「ああ、久保田さん。何か進展あったんですか?と、スピーカーをオンにした。
『それがあ、外事課が担当している事件なんで、MOは外事課が調べたんですが、保存されていた映像データの会話。分からない部分があるそうなんです。』
「いつもはどうされているんですか?翻訳家協会に依頼ですか?今は翻訳アプリなのかな?」
『おっしゃる通り、以前は翻訳家協会に依頼していました。でも、今は翻訳アプリを利用したりしていますが、多言語混じりだと、どうも・・・それで、翻訳家協会に依頼すると数日かかるので、大文字さんに助けて貰えば、と。』
『先日公安絡みの事件でお世話になったので、話が来たそうです。』と、横から中津刑事が割り込んだ。
「中津さんは一課じゃなかったんですか?」と伝子が応えた。
「詳細は話せませんが、実は既に犠牲者が出ていましてね。たれ込み電話の持ち主です。公安がマークしていた人物です。合同捜査です。」
「済みませんが、また、その映像データ、送って貰えませんか?宛先は久保田刑事が知っています。私自身がお力になれなくても、翻訳家仲間に照会出来ます。」
『ご協力感謝します。』と中津刑事が言った。「それじゃ、準備にかかります。」と久保田刑事が言った。
データが届いた。「盗撮データですね。」と南原が言った。
「何かスパイ映画みたいだ。」と福本が言った。
「確かに、英語じゃない部分がある。たか・・・学、どう思う?」
「ブラジル語じゃないかなあ。福本、どう思う?あ、高崎はブラジルポルトガル語学科だったよな。」
「ああ、そうだ。」「電話番号知ってる?」「ヨーダなら・・・ヨーダの持ち物はうちにある。」福本は祥子に電話した。「ヨーダの、依田のスマホでな、高崎の電話番号を高遠宛にショートメール送ってくれ。」
5分後、高遠のスマホに来たショートメールを元に高遠は高崎に電話した。スピーカーをオンにした。「暫くぶりだな、高崎。ご無沙汰してすまん。」
『え?高遠。小説家になったんだって?おめでとう。おめでとうって言えば、お前、大文字先輩と結婚したんだって?呼んでくれればよかったのに。』
「ありがとう。世話役をヨーダに任せたから、漏れがあったんだな。代わりに謝っとくよ。」『そいえば、依田は最近連絡とれないが、知らないか?』「ああ、交通事故で今入院しているんだよ。それより、高崎はブラジルポルトガル語学科だったよな。」
『うん。』「昔さ、ポルトガル語で名前のこと『飲め』って言うって教えてくれなかった?」『ああ、お前、受けてたなあ。その通りだよ。』
「じゃあ、『南西を飲め』って聞こえるとしたら、どういう意味だ?」
『なんせい・・・ははは。俺は優等生でもなかったし、殆ど忘れたけど、それは分かる。{私は、その名前を知りません}だよ。でも、何で、その質問?』
「ああっと、今書いている小説のネタにできないかな?って思ってさ。」
『出来る出来る。先生のネタよりいいかもよ。ほら、{待った待った}、って言われたら、{殺せ殺せ}って意味だから気をつけろ}って奴。お前に教えたろ。』
「だったな。ありがとう。是非ネタに使わせて貰うよ。忙しい時に悪いな。」
『いや、いいけどさ、子供生まれたら真っ先に教えろよ。いい出産祝い送ってやるよ。』
電話を切った高遠は、愛宕に「愛宕さん、久保田刑事に連絡して。」「了解です。」
「何の話?みかんケースは?」と、ミニパトから降りてきたみちるが蘭に聞いた。
「今、外に出したんですけど。」と蘭が言い、二人は出て行った。
「おい。高崎って、副部長の腰巾着だった奴だろ?」と伝子は不服そうに言った。
福本が、「弱み握られてたから、その振りしてたんですよ、先輩。他の連中もね。副部長派の振りして内心先輩に両手合わしてたんですよ。」と説明した。
「先輩、あ、伝子さんが夜襲して袋だたきにした後、みんなが教えてくれました。」と高遠が口添えした。
「夜襲?袋だたき?」と電話を終えた愛宕が眉をひそめた。
「ん?補導するか?」と伝子は愛宕に聞き返した。「そうですね。まず、タイムマシンをレンタルしないとね。」続けて、みちるが言った。「ダーリン、上手い!!」
一同は吹き出した。
「しかし、外国語の意味は分かったけど、なんで、そんなこと言ったんだろう。」と南原が言った。
「ああ、そうか。『せめて名前が分かればな。おい、お前。あったことがないのか?支持者は誰だ。お前はただの運び屋なんだろ?俺たちは、言ってみればお前の味方だ。味方に隠し事はないだろう。そうだ、隠してなんかいない。お前は善良な第三者だ。忘れたんだよな。きっとそうだよな。時間はやるよ。思い出してくれ。頭文字でもいい。あだ名っぽくてもいい。手がかりがいるんだ。<私は、その名前を知りません。>ああ、英語じゃ通じないんだ。どうしたものかなあ。』って言うやりとりだよ。」
伝子は、高遠の言った通りのメモを愛宕に見せた。
「分かったか、愛宕。私の『ダーリン』の実力を。」「恐れ入りました。」
久保田は、そのメモの内容を中津に電話した。『そうでしたか。助かります。しかし、これじゃ糸口にならないなあ。別働隊がヤマモト運輸の車も調べているので、またMOが出て、外国語が出てきたら、お願いますか。』
高遠が頷くのを見て、「了解しました。」と久保田は電話を切った。
「出前でも取りますか?」と南原が言った。「私、帰りに近くの食堂に寄って、注文しておきますよ。」とみちるが言った。
「みちる、人数分揃えば何でもいいぞ。勘定は私が払う。」と、伝子は出て行くみちるに言った。
「大文字さん、あのー、愛宕さんの奥さんも後輩なんですか?」
「違うよ、蘭。なついて後輩っぽく振る舞っているだけ。愛宕さんは後輩に当たるけど、みちるさんは違う。」「そうなの?じゃ、私も大文字先輩って呼ぼう。私のことは蘭って呼んで下さい。」
「好きにしろ、蘭。」「実は、福本さんの奥さんも同じこと言い出して、そう呼び合っている。」
「女性は公平性に拘るからね。」と高遠が言い、「コーヒーでも飲みますか。」と続けた。「あ、私は・・・。」「分かってますよ、伝子さん。紅茶でしょ。他に紅茶派の人は?」誰も手を上げなかった。
何人かの人間がリレーして、作戦会議場になった、AVルームにコーヒー、紅茶、お茶を運んだ。
「大文字先輩って多趣味なんですね。VHSビデオデッキ、ベータビデオデッキ、レーザーディスクプレイヤー。これ、ひょっとしたらVHDプレイヤーですか?」
「伯父の遺産だ。今はたまにDVDプレイヤーを使う程度だな。」
「洋画でも観るんですか?」との久保田の問いに「アダルトだ。セックスの参考にする。」照れた久保田と対照的に、蘭が大笑いした。
「おかしいか?」「いえ、面白い。あ、ごめんなさい。」
「いいよ、蘭ちゃん。そういうの、慣れているから、みんな。」愛宕が言った。
「あ、何か来てる。」と高遠が大声を上げた。
「久保田刑事。これ、また翻訳の依頼ですかね?」
「再生してみて下さい。」と久保田が言った。
再生が終わると高遠が、翻訳した文章のメモを読み上げた。
「あんパン、ありがとうございました。お陰で『低血糖』からすぐに立ち直れました。めまいがして、しゃべれなかったんで、無視していた訳じゃないんです。これを渡してくれた人の名前は分かりません。でも、前にあったことがあったので、連絡係を引き受けました。『よしみ埠頭』の2番倉庫のどこかで、4月30日に麻薬の取引があるそうです。夕食までごちそうして貰ってありがとう。日本人の親戚で食べて以来だな。とんかつ、おいしかったです。そうか。ゆっくりしてくれ。安心しろ。強制送還にはならないようにしてやる。ありがとう。どうもありがとう。」
「ありがとうのところだけポルトガル語か。ふうん。じゃ、送る必要ないんじゃないのかな?」と、伝子が言うと、「ありがとうの意味を知らなかったか、律儀なだけか、ですかね。」と久保田は言った。
愛宕が、「先輩は知ってたんですか?」と伝子が言うと、高遠が「僕が教えたんですよ。例の高崎に教えて貰った数少ない単語。」
「ちょっと、整理してみよう。たかと・・・学。」「はいはい。」高遠が白板を用意した。
丁度、出前が届き、伝子は勘定を払い、皆はしばし食事に専念した。
「MOを渡そうとした人物と、受け取ろうとした人物がまず存在する。これをそれぞれ便宜上、A、Bと表現する。」
伝子は白板にA、Bと書いた。そして、AからBに直線を引く。
「Bは多分、外事課だ。たれ込み電話は捜査一課から外事課に情報が行く。たれ込み電話はキーワードで、MOないしMOの内容は直接渡さない。我々はヨーダが襲われたからヤマトネ運輸に拘っていたが、予めあの地域の3つの宅配便会社を利用すると決めていたんじゃないだろうか?捜査一課は想定外だったろうが、外事課が知っていたのなら、調べ直した理由がつく。たまたまヨーダが襲われたから、MOを隠せなかった。それで、予備を使った。」
「じゃあ、Aってどこです?」と南原が言った。
「多分、マトリだな。」と久保田が言った。「麻薬取締官ですか?」と愛宕が尋ねた。
「我々下っ端は秘密にされることだらけだが、ブツが麻薬なら納得がいく。」
「でも、Aがマトリなら、直接外事課に連絡すればいいじゃないですか。」と、蘭が言った。「出来ない理由は・・・。」と愛宕が言いかけると、高遠が「スパイですね。」
「あ、それ、先に行っちゃうかなあ。」と愛宕が不満そうに言った。
「ごめんなさい。何故スパイが必要かというと・・・。」「先にスパイがいるから。か。」高遠は伝子に文句を言わなかった。「そいつが、その映像に映っている。ブラジル人の向こう側にいる奴。」
「そいつは売国奴だな。」と久保田が険しい顔で言った。
「取引の内容、暗号文とかじゃないんですね。」
「隠し撮りしている、BにMOを送った人物がここにいる。」と言いながら、伝子はAの下に、『スパイ』『ブラジル人』『C』と書き込んだ。「Cは麻薬の情報をブラジル人に教えて口頭で伝えさせた。わざとな。スパイはCを知っている。」
「先輩。取引の場所と時間は分かっているんですよね?」
「先輩。我々が関わるのは、ここまでですよ。」と、愛宕が言った。「大文字さん、愛宕の言う通りです。依田さんを襲った犯人が一味の中にいるとしても、ここまでです。」
「私は、運び屋を買って出たブラジル人が言った『その名前』が気にかかる。その謎を考えることにしますよ。」
「そうですか、じゃあ、我々はこれで・・・。他の方は?」
「出前、食べちゃいなよ、みんな。」と、高遠は言った。まだ食べ終わっていない者が多い。「じゃあ、愛宕、帰るぞ。」と、久保田が言ったので、不承不承愛宕は連れだって帰って行った。
『その名前』の謎はあったが、残った者で作戦会議は続けられた。4月30日はもう、翌日である。
翌日、4月30日。よしみ埠頭。午後4時半。
取引に使うかも知れない場所は、福本が1時間前に来て、車で探し回り、特定した。そして、その場所から100メートル先。福本に指示された南原兄妹は、花火の準備にかかった。
その特定の場所から10メートルほど離れた場所に伝子と高遠、福本夫妻。それに愛宕夫妻がいた。
「首になっても、知らないよ。」と高遠は愛宕に言った。「首は覚悟さ。先輩の為だもの。」と愛宕が言った。「右に同じ。」と、みちるが言った。
「僕らも同じだよ。高遠。」と福本が言った。「着替えもあるしね。」と祥子が笑った。
午後5時10分前。「よし、祥子。みちるさん。着替えを頼む。」
約5分で伝子の着替えが終わった。向こうの方に、半グレの集団とヤクザの集団が揃った。3分後。福本がキューを出し、『ワンダーウーマン』が奴ら目がけて突進した。
唖然としたのは、半グレとヤクザだけではない。待機していた捜査一課、外事課、組対、マトリの連中も同じだった。
「お前ら、そこで、何やってる?ヨーダを襲ったのは誰だ?」その時、福本の合図で花火が鳴った。
半グレとヤクザは、ワンダーウーマンこと伝子に向かって来た。伝子はアームレットに仕込んでいたトンファーで次々と倒して行く。集団の後方から、刑事達が向かって行った。
半グレから、一人離脱して、伝子に加勢する形で闘い始めた男がいた。
「久しぶりだな、大文字。」「ティー、エス、ユー、ティー、エス、ユー、アイ、筒井か。」
30分後、乱闘は収まり、半グレもヤクザも全員連行された。
中津刑事が寄って来て、伝子に一瞥してから中津刑事は筒井に敬礼して、ある布袋を渡した。「ご苦労様です。」そう言って、中津はパトカーに戻っていった。
筒井は、布袋からあるものを取り出して、見せた。「それは?」「相棒の形見だよ。」
そこへ、久保田が管理官と共に現れた。「それは、私が預かっておこうか。筒井。」
「恐縮です。」と、筒井は頭を下げた。「君の勇気に免じて、少しだけ教えよう、大文字探偵。」「探偵?探偵やってんのか、大文字。」「冗談きついでしょう、管理官さん。それより筒井は何故?」
「人物Cですよ、大文字さん、私だけのけ者ですか?」
「まあまあ。筒井は、私直属の部下で潜入捜査官だ。実は先日、筒井の相棒が殺された。残念だったよ。」
「大学を3年で中退して、警察官になったのか?」「いや、紆余曲折の末、警察官だ。私はこれで。」と、筒井は辞去しようとして、戻ってきて伝子にキスをした。
「ちょっと、何すんだよ。私は亭主持ちだ。」「分かっている。高遠くん、だったよね。よく大文字を連れてきてくれた。今度、チアガールの写真、送ってくれよ。」
「引き受けました、筒井先輩。」筒井は悠然と去って行った。
「お前、平気なのか、高遠。」「何がです?」「妻が目の前でキスされたんだぞ。」
「あの人ならやりかねない。意味がることなら、忖度しない。でしょう、管理官さん。」
「時間だな。帰るぞ。」と、管理官は久保田を促し、帰った。
1時間後。伝子のマンション。「よくやった、みんな。愛宕、まだ怒っているか?」
「怒ってます。大文字先輩。久保田先輩が来ること、分かっていたんですか?」
「尾行されていることは分かっていた。取引の時間聞かなかったし。」と伝子が言った。
高遠が後を続けて言った。「学祭の『ワンダーウーマン』の格好の件だ。」
「お前達が帰った後、もう一度動画を観たんだ。それで、ブラジル人が写真入れを見ているだが、家族の写真以外に、私の学祭の時の写真を見ていたことが分かった。どう見ても私だ。つまり、Cからのメッセージだ。」と伝子が言った。
「取引時間は、ポルトガル語でブラジル人が小声で言っていた。翻訳アプリ使って後で調べたよ。」と高遠は続けた。「だから、時間を後で我々に連絡したんだな。」と福井が言った。
「うん。Aがマトリで、Bが外事課というのは、簡単に分かった。ブラジル人の態度で。あの隠し撮りの画像を撮った人物をDとすると、。Dの相棒Cは筒井さんで、恐らく、今日の集団のどちらかに潜入していた。取引の情報を筒井さんはブラジル人に『口頭』で伝える一方、AにいるスパイEには内緒でDに隠し撮りをさせる。スパイEをあぶり出す為だ。Dは宅配便を使い、外事課宛てにMOを送る。。」
「依田さんの車にMOが無かったのは偶然?」と南原が言った。
「さあな。管理官が言っておられた筒井さんの相棒がDか?って後で思ったが、それなら殺されているかも知れない。Eの役割は、恐らく、外事課に間違った情報を流すことだった。警察は取引の時間に間に合った。つまり、Eは既に逮捕されている。ブラジル人を調べたEはマトリに内緒で取り調べを行ったかだ。」
「大した推理力だね、ワトソン君。」と言いながら、久保田管理官が入って来た。久保田刑事と共に。
「この際、全部話しておこうか。」「いいんですか?」「いいんだ。事の発端は、去年から、取引の手入れが不発に終わったことが2度続いている。誰かが情報を流し、妨害しているからだ。それで、筒井に任せた。途中、中年探偵団のお仲間の一人、依田俊介氏が襲われた。余談だが、本件とは関係無かった。空き巣狙いの反撃を食らった。その被疑者は既に逮捕してある。で、宅配便は、依田氏の件があってわかりにくくなってしまったが、初めから3社使う予定だった。MOのデータは、マトリ内にいるスパイのあぶり出しだった。高遠さんの言うCは既に別の任務についている。もうひとつ。マトリが関係しているが、ブツの正体が不明だった。」
「麻薬じゃないってことですか?」「巻き込んで悪かったと筒井が言っていた。そのことは代わりに私が謝罪しよう。この通りだ。」と管理官は脱帽をし、頭を下げた。
「あ、頭を上げて下さい。じゃ、初めから、いや、途中からか。我々は利用されていた、と。」と、伝子が言った。
「とにかく、MOの中身から取引の場所や時間は判明。『ワンダーウーマン』が活躍し、一斉検挙出来た。ありがとう。危険性は大きかった。しかし、筒井は突撃するのは大文字伝子だけだ。文字通りスーパーヒロインだし、我々が後方支援すればいい、と言ったんだ。因みに、あのアームレットはトンファーの収納するものだけじゃないよね。」
「内側に板が入っています。本物のように銃弾は跳ね返せませんが、先輩ならなんとかするでしょう。何と言っても、あのコスチュームが一番の武器ですから。」と福本が説明した。
「だろうな。警察官もマトリも、集結していた半グレもヤクザも言葉を失った、というか息を飲んだ。半グレとヤクザが取引しようとしていたものは、ある意味麻薬より危険なブツだった・・・ウイルスとワクチンとオバキュー検査キットの3点セットだ。半グレはどこからか調達し、ヤクザが売り捌く予定だった。ヤクザと言っても、ある暴力団の下部組織だがね、手柄を立てたかったんだろう。組対は芋づるを狙っているだろうが、無理だろう。さて、ここでワトソンこと高遠先生にお願い・・・切望だ。」
「え?」「『こちら大文字探偵局』には、今回のネタは一切使わないで頂きたい。あ、それと、テレビ局の事件もね。福本氏のおじさんも関係しているし。利根川を攪乱させる為にワザと下手な運転するタクシードライバーなんて、そんじょそこらにはいない。あの人はベテランだし。」
「ちょっと待って。『こちら大文字探偵局』?初耳だが。」と伝子は高遠の耳を摘まんで持ち上げた。
不穏な気配を察した全員が廊下に飛び出た。「まなぶううううう!!」中から大きな伝子の罵声が響き、ものが壊れる音が聞こえた。
「誠。私は言い過ぎたかな?」「今の小説の話は、失敗だと思います。みなさん、解散しましょう。」
「犬はダメなのよう。」と隣のおばさんが顔を出し、言った。
「夫婦げんかは犬も食わないさ。」と管理官は呟いた。
愛宕の車。「裏事情が多すぎたね。」「私、ますます大文字先輩のこと、好きになっちゃった。高遠さん、今度会ったら骨折しているかしら?」
「骨折ならいいけどね。多分骨折しないように筋肉を痛め付けるワザを・・・ま、いいか。」
福本の車。「地獄だな。」「あなたは知っていたの?」「小説のこと?っ知らなかった。そいえば、高遠は筒井先輩のこと知っていたみたいだな。」「元彼よ。」「元彼?」「大文字先輩の。」「なんで高遠は知っていたんだ?」「それは分からないけど。学祭の大文字先輩の写真見て、『ワンダーウーマン』の格好をさせよう、って言ったのは高遠さんよ。」
「祥子。それ、女の勘?」「女の勘。」「で、なんで大文字先輩って言っているの?」
「だって、みちるさんだって、そう呼んでいるじゃない。蘭ちゃんもよ。」「ふうん。」
南原の車。「なあ、蘭。ファミレスかインターチェンジで食べて帰ろうか?」「うん。今日はピザ無かったし。」「ははは。美容学校決まったのか?」「明日の午後、面接。」「じゃ、前祝いだな。」「前祝い?事件解決の『打ち上げ』じゃあないの?」「両方。お前なら合格する。」「変な自信。」「あ!」「何、大声出さないでよ。」「依田さんのこと、みんな忘れている。」「え?」「今夜退院だ。」「あー、大変。」「僕は知らない。思い出さなかった。」
「呆れた。」
その頃。病院救急口。依田に付き添う、依田のアパートの大家。泣いている依田を慰めている。「きっと、急用が出来たのよ。しっかりしなさい。男の子でしょ。」「はい。」
「ええ、今大家さんと帰宅するところです。はい。支払いは現金がない、とおっしゃっておられるので、誓約書を書いて頂き、明日支払いに来られる予定ですが。大文字さんが支払いに来られるのですね。では、○番までお越し下さい。」
伝子のマンション。電話を切る伝子。「大家さんが迎えに来たらしい。借りが出来たな、ヨーダに。」「大丈夫。これでよし、と。」と高遠が伝子の傷の手当てを終え、包帯を巻いていた手を離した。
「気づいた人、いるかな?」と伝子が言うと、「久保田刑事の伯父さん、管理官は気づいていると思うな。だからこそ、小説の話を持ち出したんだよ。あれって、別にみんなの前で言う必要もないよね。僕にネタを禁じればそれでいいでしょ。あと、福本も気づいたと思うな。アームレット、色変わったし。さてと、伝子さん、チャーハンでいい?」
「何チャーハン?」「かに玉チャーハン。」「そりゃ楽しみだ。」「明日、ヨーダの支払い済ませたら、診察して貰おうよ。あ、順番めちゃくちゃだけど、ごめんね、黙ってて。小説連載のこと。」「怒ってないよ。夫の収入増えて喜ばない妻はない。」
「ペンネーム、本名だったでしょ。クライングフリーマンってペンネームにしたんだ。で、題材を僕らの周りの事件にしたら、編集長が編集会議にかけてくれて、連載が始まったんだ。管理官に注意されたから、今回とテレビ局の事件は書かないけど。」
「学。ホントにいい奴だ。」「今頃そんなこと言う?」「チアガールの写真の件だけど・・・。」
「嫌なの?」「いや、ヨーダに仕切らせたら、少しは罪滅ぼしになるかな?って思ってさ。」「なるなる。はいはい。出来たよ。」伝子は満面の笑みで、見ていたアームレットの内側に仕込んでいた、血のついた板を離し、食事に取りかかった。
久保田刑事の車。「跳弾?大文字さん、怪我したんですか?」「花火の音で聞こえなかったかも知れないが、ヤクザの子分の一人が一発撃った。幸い直接は当たらなかった。親分が血相変えて叱った。万一ウイルスが巻き散らかされたら?って、ヤクザも思うさ。あのブラジル人が『その名前を知らない』って言ったのは、中身を知っていたのは極一部の人間だったから、子分は麻薬だと思っていたんだろう。まさか、ウイルスが入っているブツの取引だとは思いもよらなかったろうな。後は知っての通り、半グレはヤクザが『ワンダーウーマン』を連れてきたと思い込み、ヤクザは半グレが連れてきたと思い込んだ。で、乱闘。直接撃たれた気配はなかったから、答えは?」
「跳弾ですか。じゃ、おじさん、あの夫婦がんかは?」「夫婦げんかの芝居は下手だったな。福本氏ならうまく演じるだろうが。そうだ、お前、エビフライ好きだったな。」「はい。」「『ウチ内のヤツ』がな、昇進祝いに鯛の尾頭付きにするか、って言ったら、あの子はエビフライが好きなんですよ。エビフライにしましょうって。」「伯父さん、昇進されたんですか?おめでとうございます。」「何を聞いているんだ、誠。お前だよ。警部補昇進おめでとう。」
「え?私が?自分でありますか?」「半グレとヤクザの取引を抑え、『陽動作戦』を用いて鎮圧させた、殊勲だ。」「は?」「今は誰でもカメラマンになれる。どこかでスマホで撮影して、『ワンダーウーマン』をネットで拡散しないとも限らない。詰まり、お前という指揮者がいて、流血した者が『ひとりもいない』事件解決だったというストーリーが必然だ。」
「素直に喜べないな。」「何?」「いや、喜んで拝命致します。しかし、大文字さんは・・・。」「高遠氏がいるさ。
1週間後。伝子達の卒業した大学。チアガール部のキャプテンがやって来る。「本格的な演技は出来ませんが、基本的な動きの写真は撮れました。大文字先輩の運動神経は抜群ですね。武道されていたとか。」「柔道と合気道。合気道は師範だよ。」と依田が応えた。
「ありがとう、ヨーダ。」と高遠が写真を見ていると、当の本人、伝子がやって来た。
「いい写真だ。協力ありがとう。」と伝子はキャプテンに礼を言った。
「じゃ、挨拶に行って来るよ。」と、依田はキャプテンと去って行った。
「確かに、いい写真だ。まるで、現役の大学生だ。」と久保田管理官が言った。
「では、一枚をお預けします。」と、高遠は写真の一枚を管理官に渡した。
「管理官。筒井はまた、きつい任務ですか?」「それはお教え出来ない、たとえ君でもね。写真は私から送らせておく。傷は修復したのかな?」
「やっぱりばれてましたか。」と伝子は舌を出した。「結果オーライですよね。」
「そうだ。依田氏を襲った犯人の空き巣は別件で逮捕していた貝塚という男だった。後で伝えておいて下さい。しかし、チアガールの写真もいいが、君たちもいい夫婦だ。このキャンパスを通して愛が芽生えたんだね。」と管理官が言うと、「後輩達も褒めて貰えませんかね、管理官さん。」と依田達がやって来た。皆、微笑んでいた。
―完―
大文字伝子が行く9 クライングフリーマン @dansan01
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