オペレッタ・黄色い財布
倉沢トモエ
オペレッタ・黄色い財布
それは出し抜けに、お嬢様のハンドバッグから飛び出して来たんです。
ペラゴロたちがやかましい、オペレッタの幕間を2時頃抜けて、洋食屋でひとやすみをしていたそのときに。
「あら……」
うちの
「ヨネや。これはなんだと思いますか?」
畳まれた黄色の紙入れでした。
「それは……」
覚えのない財布であれば、こんな話をきいたことがあります。
追われたスリが、手近にいた人間に獲物をあずけて素知らぬ顔で逃れ、後日その預けた人間のところへ回収に来る、とか。
「まあ。そんな物騒なものなのかしら」
その時に、その獲物が手元にないともなれば、何をされるかわからないとも聞きます。
困ったこと。お嬢様も、どうしてそんな連中に見込まれたのか。
「そんなものでは、ないと思うのだけれどねえ」
レースの幅広リボンを巻いた帽子で小首をかしげ、同じくレースの手袋の手、ソーダ水をストローで混ぜながら、お嬢様のお下がりの水色のドレスを着こなすと言うよりはただひっかけている私を見つめ、
「だって、それを私にくれたのは、ほんの子供だったのよ?」
どこのどいつでしょうかね、付き人の私の目を盗んでついさっき、そんなことをやってのけた、けしからん子供は?
* *
「やあやあ。お二人とも昨年、スケートでご一緒したきりでしたね」
探偵事務所を訪ねると、所長はおらずに、あまり頼りない助手の小早川探偵がおりました。
「嫌あね。まだ、あたくしにスケートで負かされたの、根に持っていらっしゃるの?」
お嬢様は、殿方にそういうことを仰るから、いけない。
「ぜひ、今年の冬も、再挑戦させてくださいね」
小早川探偵も、そのように色男ぶるので、なおいけない。
「ところで、先生は?」
こちらの所長は名探偵・
「先生は、助手なしで、という条件でのお呼び出しがありましてね。僕はみそっかす扱いの留守番というところです」
「あら。助手なしで、お一人で」
私が申しましたところ、
「あら、
またお嬢様が、余計なことを仰る。
「先輩は先輩で、先生のおつかいがありましてね」
「まあ。お目にかかれなくて残念だわ」
そんなところで切り上げ、さっそく先ほどの出来事を話しました。
* *
「財布の中味を検分しましょう」
洋食屋で財布に気づいたその足でこちらに参ったので、まだ我々は中を知らないのでした。
「鍵?」
中には、重々しい鉄の鍵が一本きり。
「まあ」
お嬢様は、手を口元にやり、
「子供がこんなものをよこすなんて。
こんな小さな坊やでしたのよ?」
さて、どんな子細があったのでしょうか。
* *
頼りないとはいえ、小早川探偵も、一応探偵です。
「お嬢様は事務所でお待ちいただいて構いませんのに」
これから向かうところは、彼の情報網のひとつではないかと私はにらんでおります。おそらくお嬢様が足を踏み入れるには、ふさわしくないのでしょう。
「いいえ。私には、あの坊やに責任がありますわ」
ここがお嬢様の、ほかのご令嬢がたとの違いなんでございます。
「参りました。
お二人とも、この場所は内密に願いますよ?」
向かった先は、小唄師匠の看板を下げた、ひっそりとした構えの家でした。
「おや。トシ坊じゃないか」
「姐さん、どうも。
母さんいるかい」
小早川探偵が、いつもと違う様子で、出てきた婦人に挨拶します。粋筋の方らしく、衿元でわかります。
「ごめんください」
お嬢様と私も挨拶をいたします。
「あら。驚いた」
するとそのお姐さまは、お嬢様を見るなり申すのです。
「その節は」
「どうも」
「これもご縁ですかね。
どうぞ」
お嬢様。何か私に隠しておりますね?
* *
「あらあら。珍しい顔が来た」
この家の主人にして小唄の師匠らしい、恰幅のよい堂々とした女性が、案内された先にいらっしゃいました。
「お嬢さんふたりも連れて」
「はじめまして。
お嬢様が挨拶し、一通り名乗ると、
「驚いた。そんな名家の方がいらっしゃるなんて、よほどのご事情だね。
あたしは、このトシ坊の親代わり、浅草の小唄おきんていうババアですよ」
浅草の小唄おきん。
私でも聞いたことのある名前です。隠居したという噂の、女スリの大親分とか。
でも小早川さんは、とてもよい方です。きっとこのおきんさんが、その点、素晴らしいお母様であったからに違いない、と、私もお嬢様も動揺しませんでした。
「あら」
お茶を出しに来た婦人がまた、お嬢様を見て驚くのです。
「その節はどうも」
「あら、こちらにもお久しぶりの方が」
お嬢様、ほんとうに私に何を隠していらっしゃるんです?
「やだあ。
お母さん、このお嬢様がいつかお話ししたあの方ですよ。みんなこの方にわざを仕掛けては見破られて、見逃していただいてたんですから」
……お嬢様?
「おやまあ。
この通り、未熟な連中ばかりでね。隠居したのに、世話が焼けるんですよ」
お嬢様は涼しい顔で、
「あら。みなさん、とても素晴らしいお手並みでしたわ」
「そんなお嬢様が、今日はあえて受けた品物があるんです」
小早川探偵が、黄色い財布を取り出します。
* *
「鳥打ち帽の子供だって?」
財布の中味と、これまでの子細とで、おきんさんは顔色を変えました。
「鳥打ち帽で、ハンドバッグに品物を入れるような手さばきの子供といえば、
「お母さん。あの子は近ごろ、」
お茶を出しに来た方の言葉にうなずいて、
「そう。兄貴が泥棒仲間に引き入れられた、って悩んでいたんだ。寅吉一家にねえ」
「寅吉一家?」
小早川探偵が声を上げます。
「そりゃあ、今、うちの先生が呼ばれてる家を脅してる奴らですよ」
「邪魔するぜ」
そこに、数人の男どもがどやどやと入って参りました。いずれも粗野な風体。
「なんだい。こんなふるまいをされるなんて、あたしも落ちぶれたね」
「あんたへの用件じゃねえよ。疾風小僧はいねえか?」
「いやしないよ」
「隠すとためにならねえぞ。あいつ、こちらの仕事を邪魔しにうろちょろしてやがる」
小早川探偵が、お嬢様と私に目配せします。
承知いたしました。
* *
少々手間取りましたが、小早川探偵の捕縛術と、お嬢様と私の護身術で、荒くれものどもは今、細引で縛られ庭に並んでおります。
「で? この鍵は?」
疾風小僧のお兄様が手に入れ、手柄とした、ある屋敷の宝物部屋の鍵だということ。
「まさに先生が呼ばれた件だ」
名探偵・水鳥川帯刀先生、本日、失われた鍵の探索について相談のお呼び出しだったとか。
「先生の名探偵ぶりは、かなりご強運もありますのね」
お嬢様、そういうことは仰らない。
「疾風小僧さん、お助けしなければいけないような、そんな顔をされましたのよ」
さすがお嬢様のご慧眼。
「さて、どうしますかね」
小早川探偵。
「疾風小僧さんと、お兄様をお救いしなければ。
ねえ? 教えてくださいな。疾風小僧さんのお兄様はいま、どこでどのようにされていらっしゃいますの?」
* *
「兄ちゃん、馬鹿なことやめて、おいらと逃げよう」
とある河川敷、簀巻きにされ、あとは川へ放り込むばかり、という様子の若者に、生い茂る芦の陰から声をかける子供。
「馬鹿。お前だけ逃げろ。これは俺の不始末だ」
殴られて腫れた顔で、そんな風に返したそうです。
「あっ!」
見張りの三下が声を上げると、パァン! お嬢様が拳銃の腕前を披露し、悪漢どもの手にある武器はことごとく砕かれます。
「お邪魔いたしますわよ?」
続いて、息もつかせず小早川探偵がボクシングの妙技を披露、私も薙刀で応戦します。
騒ぎを聞きつけた巡査の笛の音も響き、上へ下への大混戦、これにて『オペレッタ・黄色い財布』、全巻の終幕でございます。
オペレッタ・黄色い財布 倉沢トモエ @kisaragi_01
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