雇い止めを聞かされた話

群青更紗

第1話

 たぶんこれで終わりだな、とは思っていた。だから派遣担当から「次回契約更新のことで、明日あたりにお打ち合わせのお時間を頂きたいのですか」とメールが来たとき、紗矢は即刻「お手数ですがお電話ください」と返した。その時、紗矢は買ってきたばかりのドトールの桜ラテ(美味しい)を手にしており、中身の分からない打ち合わせの予定など入れたまま飲みたくは無かったのだ。幸い担当さんはすぐに電話をくれ、予想通りの雇い止めの旨を伝えてくれた。「直接お伺いしてお伝えするのが失礼が無いかと思ったのですが」「いえ、失礼とかそんなことより、明日まで内容不明を持ち越す方が嫌でした」「それもそうですよね」理解が早くて助かる。結局打ち合わせの必要は無くなり、紗矢は安堵と失意の両方を抱えながら桜ラテの蓋を開けた。優しいピンクと白の混沌の上、ホイップとアラザンに彩られた、桜の花びらを模した小さなマシュマロが行儀よく円座していた。ドトールオリジナルマシュマロだろうか。

 この五ヶ月を振り返る。大きな会社が新規部署を立ち上げることになった。その人手を急遽補う人員として紗矢が呼ばれた。

「正社員雇うのは時間かかるんですよね。募集から採用まで、数ヶ月かかっちゃう。その点派遣だと、一ヶ月もすれば来て貰えるじゃないですか」これは入社後のランチで、紗矢が上司から言われた言葉だ。この上司には色々と驚く言葉を頂いた。「派遣って楽しそうですよね、色々なところに行けて」「派遣の人に在宅勤務って要りますか?成果が見えないじゃないですか」「家は買うべきだと思いますよ、絶対に」――箱入り娘ならぬ箱入り企業。箱入り企業の箱入り社員。紗矢は上司の、紗矢より一回り近く年下の彼女の、毎日違うハイヒールとか、ハイブランドのIDカードケースとか、大振りの指輪なんかを眺めながら言った。「そうですね、私が氷河期世代じゃなくて、今がコロナ禍じゃなければそう思いますね」上司は何一つ意に介していないようだった。おそらくコロナ禍で激増した失業者や自殺者のニュースは、この箱の中からは遥か異国の発展途上国の飢餓のニュースと同じ扱いなのだろう。それならそれで、募金くらいしてくれても良さそうだ。

 最初の契約が二ヶ月。その次の契約も二ヶ月。結果的に最後となった契約も二ヶ月。「おそらく年度末を挟むからだと思います」と派遣担当さんは言っていたが、それはあまりにも楽観主義だと思った。もしやこの人も箱入りかと思った。大体入社時の、相手方の説明の「ロジ関係」を、貿易関連だと思っていた人だ。入社後に自分で検索して理解した(主に複数人員のスケジュール手配の調整のことだ)。派遣担当者が理解していないのはダメだっただろ。

しかし、紗矢が自分の雇い止めを予感したのは、実のところ大した勘では無かった。二月の終わり、上司のスケジューラーに「復職者面談予定」が入ったのだ。復職ということは休職していた誰かがいたのだろう。その人の名前を調べると、別の部署に所属していたことが分かった。産休や怪我なら同じ部署に復職するのが筋だ。それが変わるということは、心療内科系か。そんな人に務まる業務とも思えないが(そもそも派遣にやらせる仕事としておかしいくらいの負荷業務だ)、いずれにしても「正社員が増える」ことは「派遣を減らす」理由として十分だろう。

その人が来たのは三月一日だった。紗矢の出社に即座に反応して、自席からわざわざ駆け寄って挨拶に来てくれた。その間、上司たちは一切紗矢に介さなかった。彼女を含めのランチの誘いも無かった。つまり、紗矢と共に仕事をする事はないということだ。ここから雇い止め連絡まで十日。遅い。この日付の差を考えれば、「第六感が働いた」と言えるだろう。――所詮、勘など、データの蓄積による推察なのだ。それが無意識に行われるから、第六感などという言い方をされるのだろう。

 考える間に、桜ラテのマシュマロは溶け始めていた。蓋をし、ゆっくりと口に含む。優しい甘さだ。収入が途絶えるのは痛い。やっと貯金も出来るようになって、一年以上行けずにいた美容院のトリートメントも受けられたというのに。社会保険も自分で払えるようになったばかりだというのに。

という気持ちこそあれど、やりたい仕事だったかと言われれば全力で首を横に振る仕事だった。時給が高いのは事実だったが、それに見合う仕事の責任度合いとは思えなかった。さすが、「すぐ来てくれる人が欲しいから」というだけの理由で派遣にしただけの会社である。早出も残業も当たり前で、一晩中メールが飛び交う。そんな環境で、派遣社員を使い続けるのは使い勝手が悪かっただろう。良い縁切りだ。

 幸い失業保険は出る。自己都合なら足りないが、会社都合だから出る。しかも紗矢は、基礎疾患のために受給期間が一般より長かった。のんびりやろう。焦燥感はあるけれど、無策の半年だった訳じゃない。それに。

――仕事どころか、命があるかも分からないものね。

 桜ラテを飲みながら、紗矢はインターネットブラウザを開いた。読み下せるようになってきた英語で書かれた、ロシアとウクライナの戦禍のニュース。その最新情報を読みながら、紗矢はふと、何かを感じた。財布を持って、スマホを持って、ミニタンブラーを持って、化粧室へと立った。


 紗矢のいたフロアが、後に「第三次世界大戦」と呼ばれる戦争の、日本における最初の爆撃に巻き込まれたのは、その直後である。

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雇い止めを聞かされた話 群青更紗 @gunjyo_sarasa

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