第97話「ぽんぽん」
俺が仕事終わりにパソコンを触っていると気になる広告が目に入った。それは「長続きするカップルの特徴」というものだった。俺は凜と末永く楽しく暮らしていきたいと思っている。そんな俺にその文言は逆転ともいうべきものだった。迷うことなくクリックして記事を読む。
そこで得た情報に俺は驚愕した。
なぜならば俺と凜がしていることのほとんどが書かれていたからだ。俺と凜は無意識に長続きするカップルの行動をとっていたらしい。だが、それはすべてではなかった。その中でも数個はまだしたことのないことやあまりしていないこともあった。すべてを鵜吞みにして実践するつもりはないが、ある一つの行動についての記事が俺の目に留まった。
「どうかな......触ると怒られるかな」
俺は少しだけ思案する。その行動とは頭をぽんぽんと撫でる、というものだった。彼女の頭を撫でるという行為を憧れに抱いたことはあるが凜に今まででしたことはなかったなと思い出したからだ。
ただ状況も含めてでなければ効果は薄いような気がするし、何より俺がやりにくい。
その状況を作るためにどうすればいいかと考えていると、こんこんと扉をノックする音が聞こえた。
「どうぞ」
「あ、ごめんまだ仕事中だった?」
「いや、もう終わってるから大丈夫だよ。どうしたの?」
「今日は今からお菓子作りをしようと思います。なので空くんもどうかなって」
もじもじと身体を揺らしながら誘ってくれる凜。なぜ敬語というかかしこまっているのかは疑問だったが俺が断る理由もないので、笑顔で肯定して椅子から立ち上がる。
その俺が立ち上がったのと同じ瞬間に凜が俺に抱き着いてくる。ぎゅっと身体を絞られそうなぐらいきつく締められる。
「凜さん?」
「空くんエネルギーを補充してるの」
「俺のエネルギー?」
「そ。エネルギーを補給すると私は今日一日を元気で過ごすことができるのです」
「それはとってもいいことだと思うんだが、俺のエネルギーが減ってない?」
「むふふ」
「おい、どうして笑顔で濁すんだよ」
全世界で一番かわいい彼女に抱き着かれて嬉しくないわけがないのだが、その笑顔ひとつで許してしまう俺が情けない。
俺からのエネルギー供給がすんだのか、ある意味ですっきりしたような表情をしていた凜は台所へと消えていった。
お菓子作りをするらしいので俺は手伝いをしようと凜の後に続いた。
俺が台所に立って料理をする場合、お菓子を作ることはまずない。朝昼晩のそれぞれのごはんを作る程度だ。それも最近は凜が代わってしてくれるので出番がなくなってきた。
「ベーキングパウダーと卵と牛乳と......」
何のお菓子を作るのかは分からないがともかくもてきぱきと調理材料を並べて確認している凜の姿は先ほどの甘えた姿とは異なりとても大人びて見える。
俺は手伝った方がいいのか呼ばれてから参加した方がいいのか。
少し考えたのち、呼ばれたら参加しようと決めて邪魔にならないところで凜の作業を見守る。
「今日はクッキーとシフォンケーキを作ります」
「いっぱい作るんだな」
「急に食べたいって言われてもすぐに出せるように」
意味ありげな視線にびくりと肩を揺らす。
たまにふと口をついて出るのだ。今までお菓子を食べて自由な時間を過ごすということをしてこなかったせいか、一度凜に至福のひと時を教えてもらうとそれに抜け出せなくなってしまったのだ。
その時は聞いていないふりをしてくれていたようだがどうやら気にしていたらしい。
「ごめんな、独り言だと流してくれてよかったのに」
「そんなことできないわ。だって空くんが食べたいって言ってるんだもの。他の人ならともかく空くんが言うなら私はいつでも作ってあげる」
「気持ちは嬉しいけど、嫌な時は嫌だって言っていいんだからな」
俺はそういいながら凜の頭を軽く撫でた。
何となく俺の手が勝手に動いていたように思う。もしかすると頭のどこかで今こそいい雰囲気だと断定したのかもしれない。
凜は普段俺がしないような頭を撫でられるという事象に目を白黒させて困惑していた。だがそれも束の間で今度は気持ちよさそうに目を細めた。
猫を飼うとこのような気分になるのだろうか。
「空くんには力仕事を手伝ってもらうからね」
「うんうん」
「ちょっと話聞いてる? そろそろ撫でるのやめていいよ」
「まぁまぁそういわずに」
じとっとした視線を向けられてようやく俺は凜の頭から手を離した。
自分とは違う髪の質感やじんわりと伝わる体温。それに撫でることで鼻腔をくすぐる凜のシャンプーの香り。それらすべては俺が酔いしれるのも無理はないほどのものだった。
「凜」
「ん? なーに?」
「好きだよ」
「......ばか」
俺はもしかすると酔っているのかもしれないな。
凜の照れた顔を見て俺は表情を緩め、その頬を指でつんつんと付く。されるがままにつつかれる凜はぷくぅと頬を膨らませた。
「膨らむと押しやすい」
「そのために膨らませたんじゃない!」
結局、俺は邪魔になるからと台所から追い出されました。
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