第75話「時間の流れ」

 あの球技大会から数週間経った。

 その間に俺は普通に今まで通りの生活に戻れると思っていた。だがことはそう簡単に行くことを許してはくれなかったようだ。俺が拒んだわけではないのだが、凜とは少し疎遠になってしまったような感じがする。


 俺が戻りたいのは凜が連れてきてくれたそれまでとは違う日常であって、それ以前のつまらない現実に戻ってきたとしても何も面白くない。


 どれだけ嘆いていたとしても何かが変わるわけではない。いつも心に刻んでいることがある。


「何かを変えたければ、自分から行動しろ」


 もう時間は十分熟しただろう。

 いや、熟しすぎたのかもしれない。


 球技大会からの熱はもう冷めて、俺も凜もすっかり冷静になっている頃だろう。だがそれでももどろうとすることができない。それは何故か。


 答えは俺の方にあるのではないだろうか。

 あのキスを凜の告白に近い告白だとするのならばその答えを俺が答えなかったせいではないだろうか。いや、結局のところ、思い当たるすべてのことに関して原因があるのはいつも俺なのだ。

 意気地のない自信のない俺の心が問題なのだ。わかっている。急かされているのも、自信をもって前に進まなければならないこともわかっている。


 キス程度で、と思えたらどれだけ気持ちが楽なのだろう。

 もしも凜が俺のように誰からも見つけられない存在だったならば、捨てられた子犬のように誰にも見向きをされない存在だったならば、今よりも告白することなんて簡単なのだろうか。


 そう考えて、ゆっくりと俺はそれを否定する。

 告白する相手に罪はない。誰からにも認められているということはそれだけ今まで努力してきたということ。認められ、褒められこそすれ、貶される要因はどこにもない。


「俺だって、やるときはやる男だってところを見せないとな」

「おう、その意気だぞ」

「?! 萩?! 何でここに」

「何でって......。俺だって何も考えずに気持ちのいい風を浴びにくるときはあるさ。まぁもちろん、何か考え事をするときにもな」

「......どこまで聞いてた?」

「どこまでって、気合を入れていたことしか知らないぞ」


 萩はそう言って俺の前のフェンスを掴む。それ以上力を加えると簡単に落ちてしまいそうなのだが、彼はそんなことを気にした様子もなく、俺に笑みを浮かべてきた。

 その笑みはなぜか俺のすべてを見透かされているような気がして、ちょうど凜の笑顔と重なった。

 野郎の笑みと愛しい人の笑みが重なるのはあまりいい気がしなかったが、そこで難しく考えるのはやめようという気になった。


「星野」

「......?」

「思い詰めているようだから役に立つかはわからないが俺から助言をしてやろう」

「萩が俺に助言?」

「意外か? まぁ見当違いなことを言ってたら聞き流してくれていいんだけどな、俺が面白いと思った男には俺の信条を話すのも悪くないと思ってな」


 漢は基本的に自分のことを話すことはしない。いつも他のことを優先して、自分が決めた大事なものを最優先で守る。無口であり、頼りになり、けっして弱音を吐かない強い人。


「信条......」

「男には絶対に引いてはならない時がある。それがいつか分かるか?」

「......愛する人が危険にさらされた時」

「おう。なら絶対に覚悟を決めないといけないときは?」

「......分からない」

「自分が決めたことをするとき」


 俺は萩の一言で雷に打たれたかのような感覚に陥った。

 自分が決めたものは絶対に成し遂げなければならない。

 そんな簡単そうでとても難しいことを萩はやれ、と俺にいってくる。俺の悩んでいる内容を知らないくせに言うことだけは確信をついてくる。その的確さに舌を巻く。面倒だなと思いつつも、ありがたいとも思う。


「萩。お前は怒るかもしれないがひとつ、俺の独白を聞いていてくれないか」

「おう、俺はいないものとして存分に吐き出すといい」

「俺は凜とは付き合っていない。凜の告白を止めるために強引に偽彼氏になっただけ。最初はその程度の認識だったんだ。でも、ずっと話していくうちに凜のことが忘れられなくなったし、ずっと一緒にいたいとそう思うようになった。それによくよく聞いた話では高校受験の時に俺と凜はすでに出会っていたらしい。運命だと思った。俺にはこの人しかいない、と。でも同時に俺は他の今まで告白して振られてきた人と同じように扱われるのが怖くて辛かった」


 俺は萩の表情を見ることなく淡々と語った。

 そこには話してはいけないこともたくさんあったし、まじめに話すには恥ずかしすぎるようなものもたくさんあった。けれど、ここで話しておこうと思ったのだ。

 何故か? そんなものは決まってる。


「だから俺は今までその好意を隠してきた。もしかしたらバレていたのかもしれないけど、それでもよかった。その生ぬるい感じが俺には心地よかったから。けど球技大会を機に俺と凜の仲は今まで通りとはいかなくなった。なぁ、萩。俺は凜に告白しようと思う。どうだろう、成功するかな」

「......軽々しく成功すると請け負うのはやめておこう。今まで知らなかったことも多くて混乱しているしな。ただ言えるのは、うじうじしている星野よりもそうやって覚悟を決めた星野の方が断然かっこいいということだな。そして、分かってるな?」

「自分が決めたことは絶対の覚悟を持つ、だろ」

「あぁ。もしダメだったら落ち着くまで付き合ってやるから、全力で行ってこい!」


 そして俺は凜に教えてもらった連絡先で、初めて凜にメールを送った。

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