第62話「腕枕って痺れて痛い」

 俺が風呂から上がると、凜はどこからか取り出してきた電機マッサージ器を肩に当てて、気持ちよさそうにまったりとくつろいでいた。

 あっと声が出そうになったが、そういえばその機械の本来の使用用途はそれだった。健全健全。


 俺は全く何も知らないふりをしてベッドに腰かける。

 下手に聞かれた時に何と誤魔化していいか分からないからだ。俺は凜の保護者ではないので普通に話してしまってもいいのかもしれないが、その後の気まずさは容易に想像できるし、俺以外の誰かに教えてもらった方が精神的なダメージは小さくなるのではないだろうか。たとえば高市とか。


「空くん出たみたいね。なら恋バナしようよ、恋バナッ!」

「え~。罰ゲームじゃん」

「空くんが言ってたから気になっちゃってさ。それに雰囲気は修学旅行の消灯時間が過ぎてからみたいな雰囲気してるから恋バナにはもってこいでしょ」

「それは女の花園だけだろ。男はもっと別の話をしているんじゃないのかな?」


 主に、誰が可愛いとか、付き合ってる人がいるとかいないとか。狙うならだれがいいかとか。

 結局、恋バナなような気もするが黙っておこう。おそらくだが、女性がする恋バナの種類と男性がする恋バナの種類は微妙に差があるような気がする。


 男子同士ならば盛り上がれるところが女子にはさっぱりわからないところだったり。また逆も然りだが。


「でも私の恋の話は空くんに聞かれてるからなー、私だけ知らないのはちょっと不公平な気がするなぁ」

「しょうがなくない? 俺だって別に聞きたくて聞いたわけじゃないし。たまたまプライバシー皆無のリポーターに話してるところを聞いただけだし」

「それでも私だけ知られてるのは何か嫌だ」


 俺の恋バナを聞きたい人がこの世にいるとは思わなかった。友達としてすら誰にも興味を持ってもらえなかったから一人で生きてきたというのに。その興味に答えてあげられるだけの恋愛経験をしていればよかったのだが、あいにくとそういう経験も少なく、話せることはほとんどない。


「まぁ、しょうがない。凜と同じで相手の名前をはっきりとは言わないからな。誰か予想するのはいいけど、確かめはなしな」

「気になったら聞いちゃうかも。でもわざとじゃないから許して」


 凜が嬉しそうにベッドにダイブするのを見ながら俺はもう一度深くベッドに座りなおした。こういう話は寝ながらした方が雰囲気が出ていいのだろうが、風呂から上がったばかりでもう少し時間を空けておきたい。


 俺は冷蔵庫から冷えた水の缶を取り出した。カシュ、という音ともに俺はぐびぐびと流し込む。


「美味しそうに飲むねぇ~。私も欲しくなっちゃう」

「ん」


 凜がそういうので俺はその飲んでいた缶を差し出した。完全に無意識だった。

 そして俺は気づく。これは本当の彼氏と彼女がするもので偽物同士がするものではないということに。しかし、そう考えている時間の内に凜は俺の手から取ってごくごくと飲んだ。


「確かに美味しい。はい、ありがと」

「お、おう」


 何事もないかのように平然とした顔で俺に缶を返してくる。

 あれ、これは気づいていない感じか? それとも普通を装っているだけか?


 しかし相手がどうであろうとも、俺がそう感じてしまうとどうしてもそれを考えずにはいられないわけで。俺は凜が口をつけた部分をぼんやり眺めていた。

 俺が間接キスで恥ずかしがっているのがバレるのも問題だが、普通に飲むのも問題がありそうな気がする。

 俺は折衷案として、近くのテーブルに置いた。


「あれ、飲まないの? せっかく冷えてたのに温くなっちゃうよ」

「......」


 俺は無言で表情を消して何も悟られないように置いたばかりの水を飲んだ。


「どうして顔が赤いの? もしかして何かあった?」

「......その聞き方は絶対に分かってて聞いてるやつだろ! 俺をからかって遊ぶんじゃない」

「からかってないよ。空くんはそういうことを意識する人なのかなぁって思っただけよ」

「気にしないやつの方が少数派だろ」

「小声で反論するのかわい~。ほら、拗ねてないでこっち来て」


 拗ねてない。

 自分でもどうかと思うが、凜に呼ばれるがままに俺はベッドに上がった。家のものよりもずいぶんと低反発で沼にはまってしまったかのようだ。


「空くん、寝て」

「え。まだ眠くない」

「そういう意味じゃない。とりあえず横になって」


 俺が少し抵抗しながらそれでも最終的には横になると、凜は俺の腕を取ってぐいっと伸ばしたかと思うとその腕の上に頭をぽんっと乗せてきた。

 これは腕枕というやつではないだろうか。

 俺が気付いた時と凜がこちらを向いて妖艶にほほ笑んだのはほぼ同時だった。


「こっちの方が空くんの顔がよく見える。嘘をついてたら一発で分かるし、恥ずかしがって瞳がきょろきょろしているのもよく見える」

「そういうのを観察するのはもうとめないからせめて口には出さないで」

「やだ」


 そういって凜は瞳をとろけさせて笑った。


 さっきから急に凜が積極的で俺の心臓が悲鳴を上げている。せめて、来るときは来ると言ってくれないと準備ができないのだ。準備していても簡単にそれ以上になってしまうのだが。

 俺はもうすっかり諦めて語ることにした。たった一つだけの俺の恋の話を。


「あれは高校受験の時だったんだけどな......」

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