第60話「まだ帰らない」

「ねぇまだするの? これで空くんは三戦三敗だよ」

「一点も取れないのは男として恥ずかしいだろ。でも手を抜かれるのはもっといやだからなっ」


 凜の辟易しているような声を聞きながら、俺はもう一度気を引き締めた。

 結局、俺が選んだのはバスケットボールだ。完全に悪魔に負けた形にはなったがそれを望んでいた俺もいたのは事実なので悪魔のせいにしてしまうわけにもいかないだろう。

 凜は大手スポーツメーカーの服を着ていた。俺はジャージでも着てくるのかと思っていたのだが、彼女曰く「パジャマの代わりで昨日使ったから洗濯中」とのことだ。


 ジャージの凜も見てみたかったのだが今の容姿もスポーツ少女という感じがしていてとてもいい。髪は邪魔になるらしく後ろでポニーテールに纏めている。凜の身体が左右に揺れるときに反対方向に揺れるポニーテールの髪は俺の集中力を結構削いでくる。厄介な敵である。


 そして俺は意外にも負けず嫌いであった。


 凜もびっくりするほどの負けず嫌いらしい。基本的には事なかれ主義で通しているのだが、一度心に火がついてしまうと完全消化するまでは絶対に収まらない。


「シュートさえうまくいけば一点ぐらい取れるんだ」

「私もう疲れてきたんだけど、休憩もしない感じ? テニスも卓球もバレーもPK戦もしたのに......。空くんの体力がこんなにあるなんて知らなかった」

「俺だって知らなかった。というかたぶんだけど、これアドレナリンが出て無理やり動かしている状態だと思うから、アドレナリンが切れたらぶっ倒れそう」

「だったら尚更休憩しようよ?! 水分補給だけでも」


 俺は必死に止めようとする凜の声にゆっくりと首を横に振った。

 休憩したらアドレナリンが切れてしまうので休憩できないのだ。


「じゃあ、最後。これで終わりにするから。勝っても負けても」

「......わかった。でも絶対に倒れないでね」


 凜もこれ以上の制止が意味をなさないことに気づいたようでゆっくりとポジションへと戻った。俺は凜のディフェンスを躱し、ゴールにボールを入れこまなければならない。それでようやく凜から一点をもぎ取ることができる。


 俺の軽い「スタート」の合図で試合は始まった。

 一気に間合いを詰めて脅かす作戦だ。だが彼女は引く気配すら見せず、むしろ来るなら来いという感じだ。すべてを読まれている気がして突然抱き着いてしまおうかとも思うのだが、さすがにそれをしてしまうと嫌われてしまうし、正直嫌われるどころでは済まないかもしれない。


 そう考えて俺は空中にボールを放った。これは一種の賭けでもあった。完全初心者な俺がこの技を成功させれるとは思えなかったが、アドレナリンの力とずっとぶっ続けでしてきた集中力をフル稼働させて成功させて見せる。


 あっ、と凜から小さく声がこぼれる。どちらかに避けるとばかり思っていたらしい。今までも俺だったらそうだったかもしれないが、今回はそうはいかない。俺だって学習して成長するんだ。


 そして俺は凜が気を抜いた瞬間に横を通り抜け、落ちてくるボールを取る。完全にフリーのチャンスだ。


「入れぇええええっ」


 力は入れすぎず、しかし気持ちは溢れんばかりに。

 俺が放ったボールは吸い込まれていくようにゴールへと向かう。そしてリングに当たり、少し回転した後、すとんと落ちた。


「やった......。入った」

「お、おめでとぉ。疲れたぁ」


 ぱちぱちと拍手しながらその場にペタンと座り込む凜。

 俺は初めて入った喜びを噛み締めていた。運動があまり得意ではなくてもバスケットボールは楽しいスポーツなのだと知ることができた。


 すっかり俺の留飲は下がったのだが、そこでアドレナリン量も下がり、凜の体力の限界も来たようで。


「もう限界......。今日はもうおしまいにしよ」

「そうだな。あんまりやってると体痛くなるしな」

「多分明日には筋肉痛で腕上がらないと思うよ」

「そうか? でもまぁ次の日にもその楽しかった思い出の一部が残っているって考えたら別にいいかなって気がするよ」

「筋肉痛を思い出の一部に組み込まないで?! 勝負に負けた空くんは罰ゲームがあることを忘れてない? そっちを思い出にすることね」

「うわぉ、辛辣。もしかしてちょっと怒ってる? 俺がなかなかやめないから拗ねてる? ......大人げないというか本気になったのは謝るのでどうかきつい罰ゲームにはしないでください」


 罰ゲームは勝った方が自由に決められるということにしている。それは俺が単純にいい罰ゲームを思いつかなかったからそうしたのであって、口では言えないようなことを強引に同意させようという魂胆は俺にはない。

 そこまで男を捨てたつもりはないし、それを要求できるような間柄でもないことを俺はよくよく理解している。もしかしたら、という可能性すら今はダメだというぐらいはわかっているつもりだ。

 ただ、相手がどう思っているのかはまた別の話だが。


「じゃあ、軽い罰ゲームならいいの?」


 凜はきょとんとしたような表情で一言呟いた。その言葉は俺に向けられたものなのか、それとも自分に言ってるものなのか。

 俺は何故か変な気持ちがしてごくりと生唾を呑んだ。

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