第40話「恋」
俺も凜も固まってしまっていた。
俺の腕の中にすっかり覆われた凜は咄嗟のことに何もできなかったようでただ俺にされるがままになっていた。ただその視線だけはしっかりと俺の目をとらえていた。
これから何をされるのだろうか、という不安と同じ気持ちにして期待もしているような視線を感じる。
いや、それは俺の方なのかもしれない。意図して抱き寄せたわけではなかったがそのように感じてくれていたらいいなという俺の想像がそう錯覚させようとしているのかもしれない。
何か言葉を発しようとすると喉に言葉がつっかえて出てこない。
「あ、あの」
「......」
そんなキラキラした視線で俺を見ないでほしい。抱いてはいけない気持ちを持ってしまいそうだ。
その視線に吸い込まれるようにして俺も凜の瞳から目を逸らせない。
じっと見つめ合う時間が流れていく。
もう頭の中にゲームという言葉はない。完全に消えてしまっていた。
すると凜が何かを観念したかのようにそっと瞼を下した。
華奢な身体が少し震えて俺の理性を焼き切ろうとしてくる。
細くてやわらかくていい匂いがする。
俺は一つ大きな深呼吸をするとゆっくりと彼女の身体を離した。そして極めて平静を装いながら、
「机の角に頭ぶつけそうだったから......。言葉よりも先に動いてた」
「そ、そう」
凜は俺から解放されるとすっと少し距離を置いた。その仕草にちくりと胸が痛む。だがそうされて当然のことをしてしまったのだと自分を納得させる。
凜は俺の方に顔を向けてはくれなかった。だが髪の間から覗く凜の耳は裏まで真っ赤になっていた。
それを見た俺は嫌われたわけではないのか、と少しだけ安堵した。
「......ありがと。私夢中になってて全然気づかなかったから」
「ど、どういたしまして......? ジェットコースターに乗ってるみたいな動きしてたから」
「は、初めてだから仕方ないでしょ?! 思ったよりも曲がってくれなくて壁に激突するんだから」
「少し早めにハンドル切るとか、内側に入るとかしなよ」
「そうしたらアイテムが飛んでくるんだもの。みんな考えることは一緒なのよ」
「対戦相手はコンピューターだけどな? でもこの状態だと運転免許も怪しいんじゃないか?」
「現実世界にはカメが飛んでくることもないし、奈落に落ちるような場所を走ったりしないし、そもそもレースしないから平気だもんね」
よかった。話していくうちにさっきまでの気まずさはだんだんと消えていったように思える。
俺の右腕には彼女を引き寄せた感覚はまだ残っているしその時の表情や匂いも鮮明に記憶されている。どうでもいいはずのその時の俺の鼓動の速さまでしっかりと脳に記録されている。
だがそれを凜はきっと知らない。知ろうともしないのだろう。
彼女にとって異性とのスキンシップはこれぐらい日常茶飯事のことで別に何ということのないちょっとしたハプニング程度にしか思っていないのだろう。自分で考えて悲しくなってくるが平気な顔をして話している凜からはそのように感じる。
「もう一回するか?」
「ん~もういいかな。私も動いたせいかちょっと酔った感じがするし」
「大丈夫か? 横になってた方がいいだろ」
俺は先ほどまで勉強をするために使っていた机をどかしてソファの上にあったクッションを置いた。
ありがと、と小さな礼をいいながら凜はそのまま横になった。
このゲームで酔うとは初めての症例だったが、そもそも自分の身体を動かしている人を初めて見たのでそのせいだろうと頭で勝手に片づけた。
「一日ってあっという間に終わっちゃうね」
「まぁなぁ......。朝がそもそも平日にしては遅かったし、勉強とかゲームとかしていると時間は水のように溶けていくからなぁ」
「空くんから勉強で時間が溶けていくっていう言葉が聞けるとは......! でも私はいつもよりも早く感じたよ? 何でだと思う?」
凜が横になってすっかりリラックスしたモードで聞いてくる。
凜が訊ねてくることは俺にとって難問だ。どういう風に答えたら正解なのかわからないし、そもそも何が答えなのかすらわからない。
「前にも同じような時に聞いてきたよな......。俺には難問過ぎてわからないんだけど」
「難問を解こうとする気持ちが大切なんだよ? わからないことをわからないって終わらせるんじゃなくて、どうしてわからないのか、他の解き方はないのかって模索していくことも大事」
俺だってそれができれば苦労しない。数学とかの勉学ならまだしもこれは他人の気持ちを推し量れるかどうかという問題だろうに。俺が解けるはずのないものだ。それが手に取るように分かれば俺はもっと友達に恵まれていたはずだし、もっと明るい性格をしているし青春を謳歌していたはずだ。
「凜がどうして早く感じたのかは分からない。どう頑張っても答えが出ない。けど俺が早く感じた理由はもしかしたら凜と一緒の時間を過ごしているからじゃないかって思ったよ」
俺の率直な感想。
彼女は俺の言葉に一瞬だけ瞳を大きくさせたような気がした。そしてそれを悟られまいと寝返りのようにくるりと方向転換して俺に背中を向けた。
俺の言葉は正解なのか不正解なのか、はっきりとした判断はなかったがせめて三角ぐらいはあるといいなと思った。
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