第34話「手を繋ぐ」
夕飯の買い出しをしていなかったのに気づき、帰宅中にあるスーパーで買い物をしようということになった。
前回は凜に作ってもらいっぱなしだったので今回は俺が作る、というと「危ないでしょ」と怒られた。いつも俺は一人の時は自炊しているので危ないも何もないと思うのだが、結構真面目に怒られた。
折衷案として一緒に作るということで合意した。ただあくまでもメインは凜で俺は手伝いなることが条件だった。これはあれだ、もしも凜と付き合うことになったとしたら俺は尻に敷かれるタイプなのだろう、とこのとき確信した。
「肉じゃがとだし巻き卵と法蓮草のおひたしと、みそ汁ぐらいでいいかな?」
「いいんじゃないか? 肉と玉ねぎと調味料を買わないと多分家にない」
「え~それでどうやってご飯作るのよ。さては空くんいつも適当に作ってるんじゃないでしょうね?」
「適当に作ってたら調味料がなくなったり玉ねぎだけがなくなったりはしないだろ。ちゃんと作ってるさ。父さんがたまに帰ってくるぐらいには美味しい自信がある」
俺の飯のために帰ってきているのか、俺が用意した備品を回収するために帰ってきているのかは正直微妙なところだ。おそらく後者の方が強いような気がする。あの人は母さんのごはんが一番だったからな。
凜は俺の言い分にある程度納得したのか、ふぅん、と意味ありげな相槌を打った。
恐らく意味はないのだろうが。
「今日はお義父さん帰ってくるの?」
「さぁ? いつも気まぐれだからな。帰ってくるかもしれないし帰ってこないかもしれない。ただまぁ何というか、間だけはいい人だから帰ったらいるかも」
「......私、本当に行ってもいいの?」
「? あぁ、いるかもしれないけど泊まるわけではないよ。すぐに出ていくから挨拶だけしとけば大丈夫」
あの父親なので突如として「私も今日は家で」などと言い出さないかは少し心配だったがまぁその時はいろいろと言って出て行ってもらおう。
「あ! たぶんあっちにあるはず!」
凜はそう言いながら俺の手を引いた。
誰もいない教室でいい雰囲気になって自然の成り行きで手を繋いでいるのだが、どちらともが意識をしているにも関わらず、それに触れずに今に至る。
柔らかくて小さい。それに俺とは微妙に違う体温が手から感じられて何だか安心するような包まれているような感覚に襲われる。
今は普通に手を繋いでいるだけだが、恋人にでもなればより密着した手の繋ぎ方にでもするのだろう。その時の感情はどんなものなのか気になるところだが、今の俺ではこれが精いっぱいであった。というか今後も慣れることはないだろう。
「あ、凜ちゃん? 最近見てなかったけど元気してた?」
俺が凜に従って調味料コーナーに入り醤油を取った時だった。声の方を見るとそこには如何にも噂好きそうなおばさんが口に手を当てて嬉しそうに微笑んでいた。
俺は全くの初対面だが、それでもにじみ出る人の好さがあった。
「坂口さん、ご無沙汰してます。この通り、元気です」
なるほど、この人は坂口さんというらしい。
凜の口調からも親しみが取れるのでそれなりの関係があるのだろう。
「その隣の子、もしかしてこれ?」
坂口さんは小指だけを天井に突き出してにやにやしていた。これ、とはどういう意味なのだろう。
婚約などを表したいのなら薬指ではないのだろうか。もしかして俺の知らないところで何かほかに意味することがあるのか?
「ち、ちち違います!」
「そう? けど凜ちゃんとっても嬉しそうだし......。そうそう、それに前に言ってたじゃない? 『私好きな人が......」
「あーー何も聞こえないし、何も言ってません!」
こんなに動揺する凜は初めて見たな。
いつもは凜として冷静にいることが多い。たまに表情を和らげて楽しそうにすることはあるが、今のように動揺して一人の少女のような姿を見せるのは珍しい。俺は凜の意外な一面を知りながらその光景を傍観者のようにしてみていた。
「手も繋いでいるのに......まだ恥ずかしい年ごろなのかしら?」
まだって何だろう。平気になれる年齢でもあるのだろうか。
ツッコミを入れたいところはたくさんあったが坂口さんと接触すると絶対に相手のペースに飲み込まれてしまいそうだったので黙ることにした。
「まだ付き合ってないので!! じゃあ坂口さん、失礼します!」
と思ったら凜も強制終了させた。
ぐいぐいと先行されてそれに従うようにして歩く。途中途中で必要なものを買い物かごに詰めながら歩く。さきほどまでののんびりした感じとは打って変わって急いでいるような気がした。
坂口さんが原因なのだろうか。面白そうなおばさんだったがあのまま喋らせると止まらなくなりそうだったからな。それを考えると撤退して正解のような気もしなくもない。
「ねぇ空くん」
「ん?」
「私と坂口さんの会話、聞いてたよね?」
会計を済ませて、スーパーを出たとき、ふと凜が訊ねた。
あの距離で聞こえていないといえるはずもなく、俺は正直に頷いた。あれで聞こえなければ難聴どころの話ではなくなる。
「さっきの会話はできるだけ早く忘れて。いいえ、今すぐに」
「どこからどこまで?」
「最初から最後まで!」
その必死な凜に俺は「まだ」とはどういう意味なのかを聞くことはできなかった。
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