第33話「本物のカップルみたい」

 気を失ってしまった、ということで俺はしばらくの間は絶対安静を言い渡された。特に運動部に入っているわけでも、過激な運動をしているわけでもないので、俺としては今まで通りに普通に過ごしてくださいと言われたに等しかったのだが、凜はそう捉えてはくれなかったらしく、心配が抜けていないようだった。


 放課後になるまで俺は寝ていたようで空はすっかりと夕焼けに染まっていた。

 荷物を取りに教室に返ろうとすると、凜も置いたままだったのか何も言わずについてきた。

 何か言いたそうにしているが言わないところを見ると俺が助け舟を出して聞いてみた方がいいのだろうか。いや、逆に俺が急かしているようになってしまいそうなのでやめておいた方がいいのか。

 そんなことを考えていると、気づけば教室の扉の前に立っていた。


 建付けの悪い扉を結構な力でこじ開ける。扉は痛そうに鳴いていたが俺は気にせずに席に向かう。

 随分と久しぶりな感じがする。


「......あの、あのね」


 俺が荷物をまとめて机の上に置いたとき、凜が突然話し始めた。俺はやっと切り出したか、と思ったがそれを表に出すことはせずにその先を待った。


「保健の先生は大丈夫って言ってたけど......。私はまだ心配」

「ありがとう心配してくれて。でも養護教諭の人が大丈夫って言ってるんだから多分大丈夫だろ。今のところ何の弊害もなさそうだし」

「今のところはそうかもしれないけど、家に帰ったときにどうなるかはわからないじゃない。先日みたいにお風呂でこけたらどうするの? お義父さんはお仕事でしょうし、一人だと危険だと思うの」


 こういう時に限って俺の嘘を用いてくる。

 危険か、危険じゃないか、と問われると確かに俺が一人でいることは危険なのかもしれない。普段の時ならいざ知らず、ちょっとした衝撃で再び意識が飛んでしまうのだとしたら、誰にも助けを求めることはできない。萩もいないので連れて行ってもらうこともできない。それはわかる。


 だが、そうはいっても俺が一人でいること以外にできることがあるのだろうか。まさかホテルにでも行け、ということなのだろうか。


「だから、今日は私が空くんの家にお泊りします」

「......はい?」


 俺の耳に届いてきた言葉は想像すらしていない突飛なことであった。

 今、泊まっていくとか言わなかったか? 俺の空耳か?


「空くんの家にお泊りして看病します」

「え」

「ちなみに拒否権はありません。空くんの安全のためと、私が心配で眠れない夜を過ごさないためにお泊りします。......今晩、空くんの彼女が家に来るっていうなら仕方なく諦めるけど」


 彼女がいれば凜との契約は破棄することになる。それが破棄されていないということは俺に彼女がいないということだ。というかそもそも凜という表向きの彼女がいて俺によって来る女子がいるとは思えないし、俺に好意を寄せる人がいるとも思えないのだが。敵意ならいっぱい食らったことある。


「別に彼女とかいないから......。拒否権がないならこれ以上言っても無駄だし言わないけど、家に来ても何もないぞ?」

「空くんの家に遊びに行くわけじゃなくて、看病しに行くので大丈夫」


 これは何を言っても引かないやつだな。

 まぁ、これが男だったら思い切り眉間にしわを寄せていたかもしれないが、吉川凜という絶世の美女に言われるといいかな、という気になってしまう。


 我ながら甘いな、と思わずにはいられないが恐らく本当の彼女に対してもこういう風になるのだろうな、とも思った。


「じゃあ、帰るか」

「......え、いいの?」


 あれだけ押せ押せで来ていた凜が拍子抜けた表情でこちらを見てくる。何だよ、無理だと断られると思ったのか。

 これはもしかしたら断った方がよかったのか、と早速脳内で反省会が開かれようとしていると。


「ありがと。一緒に帰ろ」


 満面の笑みで言われると気恥ずかしくなって照れてしまう。

 俺の選択はどうやら間違ってはいなかったらしい。それに安堵しつつ、俺は凜の荷物を持った。

 こういう時は男が荷物を持つのが鉄則だとどこかの本に書いてあったような気がしたからだ。


 それは案外外れではなかったようで凜は一瞬だけ驚いた表情を見せたものの、素直に渡してくれた。

 二人分の教科書の重みが右肩にかかるが、そんなに重くはない。気分が軽いのでそれのおかげかもしれない。


「何だが、本当のカップルみたい」

「そうだな、何なら手でも繋いで帰るか?」


 少し茶化していってみる。もちろん本当に繋ごうなどと思ってはいない。ただそれっぽい雰囲気に流されて自然と口から漏れ出た言葉だった。

 彼女はその俺の言葉をきき、俯いた。どうしたのだろうかと彼女を見ると、耳が真っ赤になっていた。もしかして恥ずかしいことを言ってしまったのではなかろうか、と俺が慌てかけたそのとき。


「じゃあ、はい」


 凜がその白くて華奢な手を俺の方へと差し出してきた。いざそういう雰囲気になったとたんに俺は恥ずかしくなって、言葉に詰まる。

 だがここは男を見せないと始まらない。萩という漢に魅せられた俺はここで立派な男になる、と謎の決意を胸にその少しでも力を入れると簡単に折れてしまいそうな手を取った。


「空くんの手、あったかいね」

「凜の手は細くて折れそう」

「ばか」


 罵倒の後にふふっと笑われる。

 だが、俺が意識を取り戻してから初めて心底嬉しそうに笑ってくれたので俺もつられて笑った。

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