第2章「そういえば定期更新だったっけ」

第26話「取引」


「安部くんを呼んでくれないかな」


 その日、隣のクラスが激震した。

 あの絶世の美少女であり、誰にも手が届かないとされていた吉川凛から直々に御指名のある日がくるとは誰も思ってもいなかっただろう。俺は後ろに控えながら隣のクラスの全員が浮かべている驚きと困惑の表情を眺めていた。


「たい〜! 呼ばれてんぞ」


 たい、と呼ばれた一人の男子が立ち上がった。その顔はいつの日にか見た顔と同じであった。ただ心底嫌そうな顔をしていたが。

 わざわざ注目させて嫌がらせか、という視線を向けられるがとんでもない。これは俺が仕掛けたわけではなく、凛たっての希望だから俺を責めるのは間違っている。


「それで、何の用ですか? あまり長居をしていると変に勘繰られるので嫌なんですが」

「まぁそういうなよ。一度は彼氏役を務めたんだろ、仲良くしようぜ」


 俺が口を挟むと殺される、と錯覚するほどに睨まれた。ちょっとしたジョークがわからないやつだな。俺と状況が一緒だったから勝手に舞い上がって親近感を沸かせていたのにとんだ期待はずれだ。

 俺が一瞥すると、鼻で笑われた。……どうして俺ってばこんなに舐められるのかしら。


「あ、そういえば怪我、治ってよかったですね」

「今更かよ。……まぁおかげさまで全回復とまではいかないけどそれなりには動くようになってる」

「また同じようにならないといいですけどね」


 安部が意味深なことを言ってくる。しかしそれを聞いて俺はやはりと納得する。こいつは構成員Aという肩書きからかその生来のものかはわからないが情報の収集が早い。


 敵に回せば厄介なことこの上ないが、味方にする、またはうまく利用すれば心強いことこの上ない。


「同じようにはならないわ。私が絶対に守るから」

「非力で見てくれだけが取り柄のあなたでは守るなんてこと不可能でしょう? 自分の実力に見合った言動をなされてはどうですか」

「安部くんって絶対モテないよね」

「今それ関係ないでしょ」


 凛が正論で負かされていた。事実ではあるが守ると言ってくれただけでも嬉しいものだ。凛と安部がじりじりと火花を鳴らし始めたところで。


「少し場所を変えないか? この辺りは人目が多すぎて話したいことが話せない」


 そして移動した場所はいつもの屋上。毎度来すぎてお馴染みになりつつある場所だ。しかし屋上はいい。なんと言ったって景色がいいから。それ以外には特に何もないが。

 移動中もぎゃいぎゃい言い争っていた二人を呆れながら見ているとふと安部が彼氏役の時はこんな感じだったのかな、とも思わなくもない。

 だが彼の場合、少し特殊であり、見かけでは誰とも付き合っていないように見せながら根回しとして付き合っていることを秘密、と称して教えていたらしい。過激派には見つからないように、そして凛の要望には応えつつ。俺にはできない芸当だな。


 ……ということはさっきのはある意味で公開処刑となったのだろうか。

 今では流石に凛の彼氏は俺として認知されているので安部との交際を知っている人は元カレ、という認識になっているはずだ。それは恥ずかしいことこの上ない。

 いつにも増して怒っている理由がわかりすっきりしていると。


「で、話しとは? この人関連は嫌ですよ。面倒ですから」

「この人って私を指差しながら言わないでくれます? 前は喜んでやってくれてたのにこの変わりようって何なのかしら」

「利益があるか、ないかです」


 凛が弄ばれている。

 もう少し見ていたいような気がしたがあまり時間をかけていられない。


「凛とはあんまり関係ない。俺と取引をしないか?」

「あなたと……? なるほど、そういうことですか」


 納得したように頷く安部。察しが良くて助かるが凛が疑問符を頭の上に浮かべているので少し対話に付き合ってもらおう。


「実は困ったことがあって、俺が五体満足で学校生活を送るのが嫌で嫌でしょうがないやつっていうのがいるらしいんだが、俺はそいつと一度、じっくりと話がしたくてな」

「それで、その人の情報を伝えればいいですか? それとも縄で縛って連れてきましょうか?」

「いやいや、そんな手を煩わせるようなことはしないさ。ただ一言、伝えてくれればいい」


 俺はそっと安部に耳打ちした。

 安部は一瞬だけ驚いた表情を浮かべたものの、すぐににやりと笑みを浮かべる。


「まさかまさか、あの人がそのような考えをお持ちだったとは……!! これは逆に情報をいただいてしまったようだ。今回の報酬は先払いということで仕事はさせてもらいます」

「あぁ、極上の情報だっただろう? さらに報酬が欲しかったら凛との交際チケットもあげるぞ」

「それは結構です」

「なんでよーっ! そこは感謝して受け取る流れだったじゃん! 私、安部くんのこと本当に嫌いになりそう」


 口を窄めて拗ねた表情をしている凛に対して安部はそんなこと知ったものか、とばかりにふっとばかにしたような笑みをこぼす。

 彼には凛に対する想いがない。付き合っていることになっている時にはあったのかもしれない。だが今は完全になくなってしまっている。そこに俺は賭けることにした。構成員などと呼ばれている以上、仕事に対しては忠実でどんな私情も押し殺してくれるであろうこの男に俺は決着の切符を渡すことにした。


「既に嫌いなので大丈夫です。しかしあなたも面白い考えをされるのですね。……たかが構成員にここまで接触するとは」

「たかがって何だよ。凛が困るほどのストーカーの腕前を持ち、偽彼氏として充分なほど働き、今もこっそり凛を見守ってくれてる安部にだから頼めることだ」

「ねぇ、それって見守ってるんじゃなくて見張られてるんじゃないの?」

「……既に先方から何か言われているとは思わなかったのですか?」


 それは確かに俺も考えた。俺程度が考えつくことなど、相手にだって当然思いつく。だからタッチの差になっていたとしたら圧倒的にピンチになってしまうだろうことも。

 だが。逆に俺だって相手のことを詳しく知ってきた。


「大丈夫。例え俺がタッチの差で負けていたとしてもここで俺をどうにかしようとはしない。あいつは俺が一人の時に勝負を仕掛けてくるから、誰かが隣にいるときは絶対に襲ってはこない」

「ある意味の人質というわけですか」


 言い方悪いが、つまりはそういうことだ。

 俺を痛めつけてくる奴は俺が一人の時を狙ってくる。つまり誰かと一緒に行動していればまず襲われることはない。凛を安部のいうように人質として扱うのには抵抗があったが本人には黙っているのでわかるようにはなさないでほしいな。


 俺のその視線が届いたのか安部はふっと笑っただけでそれ以上を口にすることはなかった。


「面白い人ですね、あなた」

「そうか? 誰も気づいていなかっただけで俺は元々こんなもんだ」


 凛だけが話に入れずに不思議そうな顔を浮かべていた。

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