第15話「事態の収拾」
すっきりしてクラスに戻るとその場にいたほぼ全員のクラスメイトが俺の方を見た。だがその視線は先程までの妬み、嫉みの主張激しい物ではなく、人畜無害そうな俺が声を荒らげたというある意味で新鮮な衝撃があったからだろうか、俺が次に何をするつもりなのか、という視線に代わっていた。
俺はそれに気づきながらも特筆して何もすることもなく自分の席に座った。
「大丈夫? ちょっと落ち着いた?」
凛が小さい声で心配してくれている。普段しないようなことをした俺に対して、感情のコントロールが効かなくなったからだと思っているらしい。当たらずも遠からずだが、心配は素直に嬉しかった。
「まぁ。ちょっとだけ。これで俺も凛も望む方向に好転していけばいいけどな」
「まぁそれが一番だけど……。このままだと私は良くても空くんは危ないかも。さっきので確実に目をつけられたから。……まだ完全に身体も治ってないんだからまた同じように襲われたから死んじゃうかもよ?」
「死んだら月に一回ぐらいは墓参りに来てくれると嬉しいかな」
「そう言うつもりで言ったんじゃない」
俺がおどけて言うと凛は真面目な顔で俺の顔をじっと見てきた。凛はきっと俺以上に俺の身体のことを心配してくれている。この身体が見た目以上に危ないことを見抜いているのだろうか。
回復が遅いのも、単に俺の免疫システムが仕事をしていないだけではない。調べて見たところによると、どうやら治りにくいところ、つまりは運動していてもしていなくても使わないような筋肉の部分や関節の部分を狙って俺を襲ったらしい。全体的に身体が重く感じるのもそのせいだ。
整体などにいけばわかるが、身体を指圧でほぐしたり、場所によっては針を刺してツボを広げることをする。その時の場所は運動していても使わない場所ばかり。そこを刺激して治すのが整体で、壊すのが今回俺を襲った犯人というわけだ。
「わかってるよ。それに俺はただ感情が爆発して叫んだわけじゃない。ちゃんと策略があってしたことだからあんまり心配するな」
「空くんの策略は自分の安全をどうでもいいと思ってる節があるから心配なの! 私が心配しているってわかってるなら回復するまでは大人しくしててよ」
凛の悲痛な叫びに応えられない俺が情けない。一人でいる時には決して味わうことのなかったこの不自由感がむしろ心地よく感じられる。自分の存在が誰かの一部に溶け込んでいると感じる。それが何より嬉しかった。
「あの、密談してるところ、いいか?」
俺が感慨に浸っていると、一人の巨漢が話しかけてきた。
本当に高校生か、と三回は訊ねたくなるほどに大きな身体とがっしりした肩を持ち、筋骨隆々とは彼のための言葉なのではないかと疑うほど、ムキムキだった。あの腕で殴られたら一瞬で意識が吹っ飛びそうだな。
「萩くん」
萩……。そういえばそのような名前の人物がいたことを思い出す。確か下の名前は宗晴だった気がする。
「何だ?」
「いや何、お前が言いたい奴は言いに来いと言っていたから来た。正直、このクラスになってからお前のことは全く眼中になかった。誰にも属さない代わりに何の意思もない、俺はそんな中途半端な奴が嫌いだからな。だがまぁさっきの言葉には震えたよ。やっとお前の声が、お前の意思が俺に届いた感じがしてとても気持ちがよかった」
「え、あ、ありがとう……?」
「礼なんかいらないさ。これから仲良くしてくれればクラスメイトがこれだけいるなかであの演説は痺れたぜ」
これはお礼な、と言いながら飴ちゃんを置いてどこかへ行ってしまった。あんなかっこいい漢は他のどこを探してもいないだろう。俺は話しかけられないだけで、やっぱり誰かは俺のことをしっかりと見ている人がいたのだなぁ、と改めて思った。
俺が呆気に取られて固まっていると、凛が俺の裾をくいっと引っ張ってくる。
「何か、並ばれてるわよ」
はっと現実に戻ると、そこには長蛇の列ができていた。俺の演説に感動してサインを求めて並んでいる、というわけではもちろんないのだろう。それは並んでいる人の表情を見れば一目瞭然だ。
一言言ってやろうと意気込んでいる者。
言いたいことだけ言いやがって、と怒りに燃えている者。
嫉妬深い、ねちっとした表情をしている者。
俺を手玉に取って遊んでやると言わんばかりの三下感漂う者。
萩のような俺に感嘆して声をかけてくれる人はいないらしい。どれだけ人気者なんだ、凛は。俺の人付き合いがなさすぎるせいか、俺を俺としてみてくれているのは今のところ萩と凛しかいない。しかも萩は男として俺を見てくれた。そこに俺は親分のような親しみを感じてしまっていた。
「凛と話したいから並んでるんじゃないか? 別に俺のことはいいからその並んでいる人たちとアイドルの握手会のように数十秒間だけ話してもいいんだぞ?」
「私はアイドルじゃないからそんな握手会みたいに自分を軽く売るような真似はしたくないわ。空くんにならどこまででも売り込むつもりだけど」
「そういうことを公衆の面前で言うのはやめてください。誤解が誤解を生んで後戻りができないところまできてしまいそうですッ」
「なら空くんが全部責任をとってくれれば解決じゃない」
そう言うことではないのです。
俺と凛がぎゃいぎゃいと言い合っていると、先頭に並んでいた女子からんんっと大きな咳払いをされた。別に俺があなたたちのために時間を作らなければならない道理はないのだが、と思いながらも何人かは相手にしないと休憩時間が終わっても留まり続けるかもしれない。
「あおちゃんが一番最初に並んでるなんて……びっくりだよ」
「あたしの方がびっくりよ。急に彼氏ができたって言うからあたしはてっきりジュンと付き合うのかと思っていたのに。こんないてもいなくても変わらないような奴のどこがいいのよ」
「本人の前でそんなことを言っちゃダメ」
「あ〜あ、ジュンと凛のカップルおめでとうパーティまで用意してたのに完全にお通夜だったんだけど」
「その話はまた後でゆっくり聞くから……」
絶対だからね、と言いながら帰っていった。
結構はっきりと言うタイプの人か。俺も影が薄いのは否定できないのでむしろあそこまではっきり言ってくれた方が好ましい。罵倒されて嬉しいと言っている訳ではないので悪しからず。
「ま、前原くん」
次はいつしか告白して散っていった前原が立っていた。彼は顔面蒼白で今にも吐き出しそうなほど辛い表情をしている。これは誰かバケツでも持ってきた方がいいのではないだろうか。
凛に目配せすると彼女は頷いて。
「暴言なら受けて立つけど、何か言いたいことでもあるの?」
違う! 煽ってどうするんだよ。
元々体調が今日は優れていなかったのか、振られた記憶が蘇ってきたのか、凛に煽られて気持ちが沈んだのか、理由は不明だが、一言だけ言って去っていった。
「俺の下の名前は潤って言うんだ」
わーお。
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