第9話「父」
俺はその場で安心させるよりも実際に行った方が早いと思い、立ち上がった。凛が心配そうなしかし決死の思いを乗せた視線を送ってくる。不審者と戦いに行くと勘違いしているのだろうか。
俺はゆっくりと首を横に振り、手を取って凛も立ち上がらせた。少々キザなことをしてしまったかなと反省しつつ、玄関へ。
するとそこには身なりに全然気を使っていないが俺とほとんど似たような風貌を持つおっさんがいた。
「今日は遅くなるかと思ってもう食事は済ませたから父さんの分ないよ」
「えぇっ?! 父さんはおまえの作る料理を食べたいがために急いで仕事を終わらせてちょっぱやで帰ってきたっていうのに……。今から作れ」
「無茶言うな! 事前に連絡くれよ、大人だろ?」
「まぁ固いこと言いなさんな。家族だろ?」
「いつもバラバラのくせにこう言う都合のいい時だけ家族を主張すんな。……頼まれてたものはそこに追いてあるから」
「おっありがとう。流石は私の息子だ。……ふむ。ところで、さっきから空の服をぐいぐい引っ張って何か言いたそうにしている超美人さんはどなたかな?」
父に言われて凛に視線を向けると、確かに俺の服をぐいぐいと千切れそうになるまで引っ張りながら何か言いたそうな表情をしている。意外と人見知りなところもあるのか、言葉を使わずに視線だけで訴えてくる。
「これは残念ながら俺の父親だ。もう少しまともな身なりの日もあるが……今日は残念な日だな」
「空の父です。よろしく」
父は右手を軽くあげて軽い挨拶をする。凛は釣られるように深々と頭を下げて、
「どうも初めましてお父さん。私は空くんと同じクラスの吉川凛と申します。いつも空くんには仲良くしてもらっています」
「俺の方が仲良くしてもらってるって感じだろ? 俺、友達と呼べる人ほとんど、と言うか全くいないたいっ」
凛に余計なことを言うな、とばかりに脇腹を突かれた。せめて突くなら突くと先に言っておいて欲しいものだ。俺と凛が戯れていると思った父は嬉しそうにけらけらと笑った。
「うちの空と随分と仲がいいようで。もしかして空の彼女だったりするのかな?」
「いいやっ! まだ彼女じゃなくてただの友達だ! なっ!」
実の父親に彼女などの恋愛話を根掘り葉掘り聞かれるのは流石に恥ずかしい。俺ははぐらかすように大声を上げて遮り、凛に同調を求めた。しかしなかなか増援の声がこない。何事かと思いチラッとみると、顔を赤くしていた。どこにその要素があったのかは謎だが、助けて欲しい。
「まぁいいさ。それよりもあそこまで一人に執着していた空がまさか友達を、しかも女の子、それも超美少女ときた。何か天からの啓示でもあったかな」
「そんなものはないからそろそろ上がったら? ご飯は食べたからお茶しかないけど。お風呂もまだだけど湯も沸かしてない」
「いやいや、そう言うことなら私は仕事に戻るとするよ。実はやり残してきた仕事があってね。空が心寂しく私の帰りを待っているとばかり思っていたものだから……」
ちらっちらっ、と凛にいいお父さんアピールするのはやめてくれ。
凛もあからさまなアピールに「ははは……」と乾いた笑みを浮かべるしかなかった。しかしその次には笑みがぴたりとやみ、一点に集中してじっと見ていた。釣られて顔をあげるとそこには時計があった。時刻はあろうことに午後九時を知らせていた。
「私ったらこんな時間まで人様の家に……。長居しました。そろそろお暇させていただきます」
慌てた口調でバッグなどを取りに行こうとしたその背中に父が静止の声をかけた。
「今日はもう遅いから泊まっていきなさい。連絡先を教えてくれれば親御さんには私から連絡しておいてあげるから」
「いえ、あのですが」
「今から帰す方が危険だ。空はヒョロガリだから襲われても盾の役にも役立ちはしないし」
「流石に肉壁にはなるわ」
「お風呂は沸かして入念に温めること。空はこれ以上ひどい転け方はしないように特に気をつけなさい。凛ちゃんには杏里さんの服を着せてあげなさい。どうしても、と言うなら私のか空の服でも構わないよ。布団も二人で一つならそれでもいいし、使っていない布団があったからそれを使ってもいい」
「わかったよ。俺なりに責任を持って丁重にもてなすから」
「よろしい。あとエチケットはしっかりしなさい」
「色々と台無しだよ、ちくしょう」
凛から連絡先を聞いた父は最後にとんでもない爆弾を置いて去っていった。俺と凛は父が推測しているような関係ではないのだ。あくまで仮。そしてあくまで偽物なのだ。
しかしそうとわかっていても照れてしまうものは致し方がないわけで。
そっと凛の方を見ると彼女もまた頬を赤くして俯いていた。変な空気になっている。これはダメだ。何とかしなければ。
俺は頑張って声をかけようとした時、逆に凛から言葉を発した。
「空くんのお父さんって結構強引な人?」
「強引というか自分勝手というか。自分がいいって思ったことに対してはどんどん突き進んでいっちゃうタイプかな」
「でもジェントルマンだよね。……あと、不快な思いをさせたらごめんなさい。その杏里って?」
「俺の母さんの名前だよ」
ただその母は病気で死んだ。あっという間だった。じわじわと病魔に蝕まれていく方だったならば俺だって心の整理が徐々にでもできたかもしれないが、言い方は悪いがぽっくりだった。悲しむ間も無く通夜と葬式を終え、俺が現実を受け止めることができたのは全てが終わって誰もいなくなった家に一人で座っていた時だった。
それからだろうか。俺が人付き合いを避けるようになっていったのは。
心の中の何かがぽっくりと穴が開いてしまったような錯覚に襲われる。何をするにもやる気がなくただ無駄な日々を過ごすばかり。感情も薄く、どれもこれも冷めた感覚でしか物事を捉えられない。
そこから段々と立ち直れたのは父が俺にバイトと称して仕事を回してきてくれたのと凛と会話をするようになってから。
つまり、俺は拗らせの最低野郎というわけだ。
「お母さんのものを勝手に使って大丈夫なの? 後で怒られたりしないかしら」
「大丈夫。母さんは遠い旅に出ているから」
俺の有無を言わせぬ物言いに何かを感じたらしく、凛はそれ以上を言うことはなかった。
俺だってこれが良くないことだとはわかっている。だがどうしても言えなかった。凛に言うべきではなかった、と言うには建前すぎる。
「ごめん、言い過ぎた。気にするなら俺の服を貸すけど、どうする?」
「服は貸してもらってもいい? でも……その、できれば下着は近くのコンビニで買いたい、かな」
言い辛そうに言ったことは当たり前なのにすっかり失念していたことだった。父はそれも含めて母の物を使えと言っていたのかもしれないが、それは乙女心として複雑なものがあるのだろう。幸いにもコンビニは隣なのでこの程度ならば外出にはならないだろう。
俺が買ってくる、とも一緒に買いに行くとも言えない中でどうしたものかと頭を悩ませていると。
「一人で買ってくるから空くんはお風呂沸かしてて。絶対戻ってくるから」
「あ、おい! 待っ」
俺が止める間も無く凛はスタタタっと駆けていった。まぁ大丈夫だろう、と思っていながらも少し心配した。そして俺は風呂を沸かした後に追いかけることに決めた。
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