第8話「料理」


 あれだけピーマン嫌いをアピールしたにも関わらず、作ってくれた料理はピーマンの肉詰めだった。作ってくれたこと自体はありがたかったが、どうにも素直に喜ぶ気になれないのはピーマンだからだろう。

 俺は普段から自炊しているので手伝おうとしたのだが、誰かが一緒にキッチンにいると気が散ってしまうタイプなのか凛は俺を入らせようとしなかった。俺の家のはずが主導権を握られてしまっていた。


 引き攣った顔が面白いのか凛が嫌に笑顔で俺をみてくる。


「苦手がない方が強くなれるよ」

「強くなってどうするんだよ」


 俺の問いには答えず、視線で食べろ、と合図してくる。出された手前、食べないのは礼儀に反する。

 それに凛に好意を持つ人間からすればこの瞬間は夢にも見たシチュエーションなのだろう。俺は彼らの思いも一緒に胃袋の中に詰め込んでしまおうと恐る恐る箸をとった。


 せめて緑色でなければ、とかせめてピーマンとしての原型をとどめていなければ、とか思うがいくら願ったところで魔法が使えでもしない限り変わるはずもなく。

 俺は確実に口元に入るという瞬間に目を閉じた。そして口の中に放り込む。


 肉の香りが口の中いっぱいに広がり、肉汁と合わさって満足感に満たされる。そして後からピーマンの独特な食感があるが不思議と恐れていたほどの圧力は感じなかった。

 むしろ肉の丁度いいバランサーとして主張は抑えめにではあるがしっかりと役割を果たしている。


 これは純粋に、


「美味い」

「でしょ。ピーマンの苦いところって実は内側のところにある部分だけなの。だからそれを丁寧にとってあげたら苦味は少なくなる。さらにしなしなになるまで火を通してあげることで肉の食感を引き立てながらピーマンの食感も残せるってわけ」

「なるほどな。その工程を見せたくなくて俺を入れなかったのか」

「まぁ、そうね。あとは単純にいつも一人でしてるから手伝ってもらうにも何を手伝って貰えばいいかわからないしそれなら自分でした方が早いかなって」


 一人の自炊だとそういうことは多々ある。

 自分流というものがありそれを乱されることを何よりも嫌う。


 俺の反応を見て満足したのか凛も同じように皿を並べて一緒に食べる。

 その自然な動作を目で追いながらそういえば女子を家に招き入れたのは初めてだなぁ、と他人事のように思う。友達すらいないのだから当たり前といえば当たり前なのだが、俺だけの空間だった場所が共有の場所となったことに何かしらの感動を得た。

 素直に嬉しいという感じでもなくそれでいて特別感を失ったわけでもない。


 今の空間を居心地の良いものとして感じている自分に俺は驚いた。

 そして、凛が同時に頭を下げたことにも驚きを隠せなかった。


「ごめんなさい。今日は本当はそれを言いたくて一緒にいたの」


 頭を下げたままいう凛の声は少し震えていた。

 俺はしらばくれようかと思ったが流石に無理だろうな、と考え直して凛の先の言葉を促す。


「私が持ちかけた契約を私が破ってしまった。空くんを危害から守るって約束したのにそれを守ることができなかった。私が気にするのをわかって風呂場で転んだって言ったけどそれは本当のことじゃないよね? 本当は誰かに殴られたからじゃないの?」

「……たとえ、本当に誰かから殴られたとしても凛が気にする必要はない。だってこれは放課後のことなんだ。放課後まで凛を束縛する気はないしそうしてもらうつもりもなかった。生粋の帰宅部だから急いで帰れば良いのに呑気に下校しているからこんなことになるのであって凛のせいじゃない」


 確かに契約はあった。

 凛は俺に迫ってくるであろう危害から守り、俺はその見返りとして偽の彼氏として演じ、告白するのを躊躇させる。その契約を結んだことは覚えているし、そうであるように俺は凛に接してきた。


 しかし、それを相手に強要することはしていない。あくまでも契約に基づいた自己判断である。

 だからそこまで気にする必要はないのだが、凛にこのように伝えてもきっと理解はしてくれないのだろう。


「約束したのに…..。私が守るって」

「俺は充分守られてるよ」

「え? そんな嘘はいらないよ。守られてるならどうして空くんの身体は包帯でいっぱいになってるの? おかしいよ、だってだって」

「危害は肉体的なことだけじゃない」


 俺の一言に凛はぴたりと固まった。そしておずおずと見上げて俺の顔を覗き込む。


「確かに見た目は包帯なんか巻いてボロボロになってるかもしれない。けどここまでボコられても凛がいてくれるから次の日にばかみたいに学校に行けたんだ。俺の精神的な支えになってるんだよ。だから……そんなに自分のことを責めないでくれ」


 自分で言ってそうか、と思う。俺が身体の節々が痛いにも関わらず学校に登校できたのはいけば凛がいるからだ。精神的に支えられている。それが俺の中でストンと落ちていった。


 俺がぎこちない笑みで凛の笑いを誘う。

 凛は俺をみて泣いているのか笑っているのかよくわからない笑みを浮かべていた。口角が上がっているのに、瞳からは一筋の涙が流れ落ちていった。俺はそれにどう反応して良いのかわからなくなり、おろおろとしていると凛が突然に声を漏らして笑った。


「ふふふふふふっ、何だろうこの変な感じ。悲しいのに嬉しくて謝りたいのに笑いたい」


 凛が全てを投げ出したかのように両手を上に上げるとそのまま寝転んだ。

 その自由さに俺は自然と口角が上がっているのを感じる。凛が「おいでよ」というので俺もまた両手をいっぱいに広げて盛大に伸びをしてから一気に寝転んだ。

 天井が見える。

 普段から生活している家なのにこうしてまじまじと天井を見ることは何気に初めてだなぁ。


「……男の子に泣かされた」

「えっ」

「空くんが初めてだからね? 私を泣かせた男の子なんて。他の人が知ったらどうなるか」

「これはまた不名誉な初めてを頂いてしまったようで。やっぱり凛に守ってもらうしかないかなぁ。俺がこれ以上傷つくと泣いてしまうお姫様がいるようなので」

「そんな可愛らしいお姫様はナイトがしっかりと守ってあげないといけないんじゃない?」


 全てをわかった上で挑戦的な笑みを浮かべてくる。

 俺がカッコよく言葉を紡ごうとしたその時ーー


「おっ、何だ? 空はもう帰ってたのか。ん? それに見慣れない靴が一足……。しかも女性もの?」


 玄関でガサガサゴソゴソと遠慮なく物音を立てる誰かが帰ってきた。思い当たる人は一人しかいない。ただこの時間に帰ってくるのは珍しい。

 ここまで聴こえるぐらいに大声を出しているということは俺に帰ってきたことを知らせたいのだろうが……。


「大丈夫か?」


 不審者がきたとでも思ったのだろうか、凛が俺の背中に隠れて服をぎゅっと掴んでいた。彼女にとっては緊急事態なので完全に不謹慎なのだが、俺は不覚にも可愛いと思ってしまった。

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