盗賊は鼻が効く
横山記央(きおう)
盗賊は鼻が効く
「鼻の効くヤツが長生きするんだ」
マシニーノの師匠の口癖だった。
その言葉を信じて今日まで生きてきた。
五体満足で引退した師匠は、八十歳になろうとしている。その言葉は、重い。
マシニーノは盗賊だ。ダンジョン内では、斥候として周囲を探る。宝箱を見つければ、罠の解除をする。魔物との戦闘では、戦士たちが闘っている側面から、相手の隙をつく。
ひょろっと背の高いマシニーノは、手も足も長い。それでいて手先は人並み以上に器用だったし、動きも素早かった。その代わり、戦士に比べて力は数段劣る。
マシニーノは、盗賊は自分の天職だと思っていた。
「技術や知識はもちろん大切だ。どちらもある程度のレベルは必要になる。もしなければ、ダンジョンの中じゃあっという間に死んじまう。でもな、最終的な生き死にを決めるのは、技術でも知識でもない。その場で感じた自分の感覚だ。それを大事にしろ」
師匠の言葉は今も胸に深く刻まれている。
嫌な感じのする罠は、セオリーではない解除の仕方をして事なきを得たことは、今まで何度もあった。そのたびに、師匠に感謝していた。
十代の半ばから一緒にパーティーを組んでいるメンバーとは、十年来の付き合いになる。運良く一人もかけることなく、ダンジョンに潜り続けている。
今日はオフ日だった。昨日までのダンジョン探索で、かなりの分け前があったことから、十日間の休みになっていた。
マシニーノは一人、ダンジョン街を歩いていた。街はダンジョンから徒歩二時間のところにある、ダンジョン探索者のための街だった。
既に日は落ち、多くの人は宿に引き上げている。月明かりが通りを明るく照らしているが、歩く者は少なかった。
マシニーノはこの街に家を借りていた。宿に泊まるより安上がりだからだ。その代わり、食事や掃除は自分でしなくてはならない。
なじみの酒場で料理と酒を楽しみ、家に帰るところだった。
ダンジョン街は計画的に作られた街ではないため、あちこちに狭い路地があり、思わぬ場所につながっていたりする。あるいは行きどまりになっている。まるで地上に作られたダンジョンのようだった。
マシニーノは十年以上この街に住んでいるが、未だに知らない場所の方が多い。
治安が悪い場所もあるため、普段は知らない通りは歩かないことにしていたが、ふと脇道に入ってみた。家に向かうにはまっすぐ進めばいいのだが、なんとなくそうした方がいい気がしたからだ。
その先で、マシニーノはまだ幼い女の子を拾った。
正確には、路上で寝ていたのをお持ち帰りすることにした。
季節は秋口。路上で寝ていても風邪を引くことはないが、それでも体調を崩すかもしれない。だからこれは助けていることになる。
試しに女の子を抱き寄せると、目を閉じたまま胸にしがみついてきた。寝ぼけているのかもしれないが、少なくとも嫌がってはいない。お互い合意の持ち帰りだ。
少しばかり後ろめたい気持ちがあるため、そう自分に言い聞かせた。
家には誰もいなかった。
マシニーノは月の半分は家にいない。そのため、留守の間の掃除と管理を人に頼んでいた。ずっと、マシニーノの兄弟子で探索者を引退した人にお願いしていたが、去年から、師匠の四番目の奥さんの子供に変わっていた。マシニーノより五歳年下のミラルという娘だ。
ダンジョンに潜るため、月の半分は家にいない。留守の間は家を勝手に使っていいと言うと、ときどき泊まっていくようになった。なんとなく男女の関係になっていたが、はっきりと付き合っている訳ではなかった。
今夜はいないようだ。ちょうど良い。その間に既成事実を作ってしまえば、何も言えないだろう。
家に入ると、リビングの床に毛布を敷き、その上に女の子をそっと降ろす。軽く寝返りを打つが、起きる気配はない。すっかり寝ている。
ここまで来てしまえば、大丈夫だろう。
マシニーノは寄り添うように横になる。
「何してるの!」
背後からの突然の声に振り向くと、ミラルが立っていた。窓から差し込む月明かりが、その手にあるナイフを鈍く光らせている。
「マシニーノじゃない。泥棒かと思った」
「ごめん、いないと思って。驚かせて悪かった」
ミラルがふっと気を抜いてナイフを降ろしかけて、手を止めた。
「ちょっとまって、どうしてここで寝ようとしてたの?」
「たまには、気分を変えようかと思ってね」
「ふーん、何か隠してるでしょ」
いつもと違うマシニーノの態度に何か感づいたようだ。ミラルはづかづかと近づいてくると、マシニーノの背中越しにのぞきこんだ。
「こんな小さい子を連れ込んで、どういうつもり」
「路上で寝ていたから、風邪を引くと行けないと思ってね」
「だからって、連れてくることないじゃない」
「でも、ほっとけないだろ」
「すぐそう。簡単にお持ち帰りするけど、この前の子の里親探すのだって、たいへんだったんだから」
「それは申し訳なかったと思ってる。だけど、この子を見て見ろよ。こんなに可愛いんだぜ」
「確かに可愛いけど、誰が世話をすると思ってるの。潜ってる間、この子は一人になっちゃうんだよ」
「それなら、ミラルがここに住めばいい。わざわざ通ってくることもないだろ」
「それってどういうこと」
「俺と、一緒にならないかってこと」
ミラルが口を開きかけて、やめた。
「この前のときは、なし崩し的にここに住むことになるかなって思ったけど、ちゃんと言わないとダメだなって気がついたから。だから、偶然この子を見つけたとき、これはチャンスだって思ったんだ」
マシニーノは立ち上がると、ミラルに向き合った。
「俺と結婚しないか」
ミラルの顔が、月明かりでも分かるほどに赤く染まる。
「急に、何を」
「前から考えてたんだ。でも俺は家にいないことが多いから、なかなか言い出せなくて。犬を飼えばその世話もあるし、きっかけにできるかなって」
「それじゃ、この前の子も」
「改めて、返事を聞かせてくれないか。俺と結婚してくれるかい」
「そんなの、決まってるでしょ」
ミラルが背伸びをしてマシニーノにそっと口づけると、マシニーノはミラルを抱きしめた。
「それじゃこの子の名前を決めなくちゃね」
「女の子なんだ、ミラルが考えてよ」
「そうね、ゆっくり一晩かけて考えることにする」
ミラルが微笑んだ。
二人でのぞき込むと、目を覚ました子犬が、毛布の上で小さくあくびをした。
盗賊は鼻が効く 横山記央(きおう) @noneji
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