宇佐木~五感に降り立った闘牌-

gaction9969

一九①⑨19東南西北白發中

 葉桜が下からのライトアップを受け、宵闇の只中に無音で浮いているように見える。西新宿の夜は一向に更けぬまま、足元で湿るタイルのすぐ上で巡る生暖かい空気と共に、薄い闇がいぎたなくそこらじゅうに転がっているかのようだ。


 「角筈スカイクリスタリアレジデンスタワー」。地上四十八階の一室が、今宵の賭場となる。


「……アンタが『ウサギさん』かぃ、何でも相手の危険牌を敏感に察知しちまうって、ええ? 大したエスパーじゃねえの。サマってわけじゃあねえのかい?」


 壁一面に切られた窓から臨む地価なら百万ドルどころの騒ぎじゃねえほどの夜景をもプラマイゼロ未満にしてしまうくらいの悪趣味なラグジュアリー感のある部屋に通された俺に掛けられたのは、これまた悪趣味な柄のセーターに織り込まれた風神雷神とトリオが組めそうな、でんと張った腹と、対照的にたるんだ頬の血色のよい壮年の張りのある声であった。初っ端からわきまえてねぇ野郎だ。大事な顧客。それは重々分かっていたものの、


「『宇佐木うさき』だ。二度と間違えるな。消されるぞ? そして人の『能力』をべらべらと口にするんじゃあない……消されるぞ? ……お前も俺も」


 威嚇を多分に込めた三白眼でねめつけておく。大事なことなので二度言った。理解不能の迫力に押されたか、壮年はオ、オゥス……のような呻き声を上げて椅子の上で居住まいを正すが。


 賭け麻雀。あまり時間も無いので説明はそれだけに留める。ここに至った経緯も省く。とにかくデカウーピンのワンスリーという、はしたなさすら感じさせる高レートのこの場に座るまでの曲折は筆舌に尽くしがたい。


 と言うことも無い。


 とある時から、俺は自身に宿る「能力」に気づいた。そこから始まった不敗街道。あらかたの手練れたちをも手玉に取って養分とさせてもらった。今の界隈で俺の名を知らない奴はいないだろう。よく読みは間違われるものの。


 だがそれも今日で終わりだ。潮時。最後にひと修羅場をくぐって伝説を締めくくったのならば、こんな暮らしとも縁切り、女とケアンズに飛んで飽きるまで大自然に埋もれて羽を休めるつもりだ。


「いや早速手が入るとは。リーチ」


 対面の壮年がバカラを傾けながらそんな、弛緩しきったかのような声を発するが。親の三巡目、お前こそイカサマかと思わないでも無かったが、河には北、三萬、六索。バカヅキって奴か。だが。


「ポン」


 躊躇せず俺は牌を倒すと、力みを毛ほども見せずにその隣にあった赤五索を切り飛ばす。場に走る緊張感と、舐め切られて頭に血が上っただろう壮年の醜い感情が卓上の空気を淀ます。が、


「チー」


 一切構わず、上家の二萬を両面で喰って打四萬。ますます肉の垂れた顔が歪むのが見える。その御仁が最初のたまった通り、俺には「危険牌が察知できる」。五感で。


 何故かは分からない。とにかく全身が訴えかけてくるのだ、相手の待ちを。


 索子なら視覚が、一四七待ちならば青く染まる。


 萬子なら聴覚が、筒子なら味覚に、風牌なら嗅覚、三元牌は触覚。それらの複合した待ちも、張った相手が何人であろうとダマであれ、すべて感じることが出来る。最初は違和感しか無かったが、かなりの時間をかけてそれらを自分の中で咀嚼し、支配できるようになった。


 サマでは無い。ゆえに看破は出来ない、というか無用。そして「絶対に振り込むことが無い」というのは、長いスパンで見れば、すなわち「不敗」ということになる。


「失礼、千点です」


 忌々しげに切られた対面の六萬をロン。奴の待ちであるところの四・七索を四枚抱え込んでのアガリ。今日もまた上々の仕上がりだ。


 穏やかな流れながら、その流れは一方的のまま場は進み。


「……」


 手洗いに立った俺は洗面台の鏡の中の自分と目を合わせる。あとひと半荘、それで全て手仕舞いだ。だが気は緩めない。さらに引き締め過ぎないようにするのが肝要だ。平常心。能力をそれに寄り添わせて、静かに勝つ、それだけだ。自分に改めて言い聞かせるように、よし、と小声を出した。その、


 刹那、だった……


「……?」


 鏡の中の自分の顔が何かを訴えかけるような顔をしてきた。何だ?


「……」


 気の……せいか。自分自身では何とも思ってはいないつもりだったが、やはり大金が懸かった勝負、気が付かないうちにプレッシャーを感じていたのだろう。第六感? いや、気にするな。俺が頼りにしているのはあくまで「五感」、なのだから。


 再び卓に着く。起家。配牌は……一向聴、これはもう出来上がったかも知れないな。が、俺はここで気づくべきだった。


 対面の顔が喜悦で歪んだことを。自分の迂闊さを。四巡後、順調に聴牌。好形三面張。一萬ならば三色が付く。無論ダマでいくが、次巡下家が八萬を切ってリーチを掛けてきた、その瞬間だった……


「……!?」


 視界が弾ける。不協和音をさらに四重奏したかのような爆音が鼓膜の内側で響く。舌には何とも言えない苦味? 収斂味? 溶かしたバターで雑巾を煮込んでいるような不快臭、毛穴全てに細く冷たいワイヤーを刺し込まれる感覚……


 身体の震えが止まらない。さらに対面、上家も図ったかのように牌を横にしてきた。違う、謀られた。広がる感覚、感覚、感覚……


 これは……危険信号だ。それも最大級の。相手の手が高いほどに感覚も強烈になる、が……ッ、ここまでのは、今まで感じたことが無かった……ッ!!


 はっきり嵌められたと分かったが、今更だった。だが、最後の最後、運命は俺に味方してくれたようだ。ツモったのは指の腹でも分かる、一萬。紙一重でのアガリ。しかも高めだ。が、


「ツ……」


 発声しようとした、俺の舌がもつれる。視界がぐわぐわと収縮しながら回転する。指がバラバラに蠢き始める……そして、


 自分の河に取り落としてしまった牌の跳ねるサマと、「ロン国士!!」とサラウンドしてきた三重奏が、俺の感知出来た、最後の感覚だったわけで。


(終)

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