彼の背中

箕田 はる

彼の背中


 恋愛って、つくづく厄介だと思う。

 一目惚れから始まった恋。交差点を渡る彼の姿を見て、私は一瞬にして恋に落ちていた。

 スッと伸びた背筋ときっちり締めているネクタイから、彼の育ちの良さが伝わってくる。顔立ちも爽やかで、だけど男らしい精悍さもあった。

 初めは彼の素性が分からなかった。スーツを着ていることから、どこかでサラリーマンでもしているという予想だけ。年齢は私と変わらないぐらい。二十代半ばってところだと思う。

 その日から私は何度となく、この交差点で彼を見かけていた。だけど、私が彼をどんなに見ていても、気付いていないみたい。でも、気付かないで欲しいという気持ちもあったから、これで良かったのかもしれない。

 彼を好きだという気持ちが、日に日に増していたある日。

 私はとうとう彼の背を追っていた。彼のことをもっと知りたいという気持ちが、抑えきれなくなっていたから。

 声をかけようとしたけれど、拒絶されたらと思うと、怖くて出来なかった。だから私は少し離れた所から、彼を見守ることにした。

 彼はやっぱり会社員で、大きな駅の近くにある企業で働いていた。営業マンみたいで、いろんな所に足を運んでは、そこで自社の製品を案内していた。

 私はその仕事振りと彼の熱心な姿に、より一層想いを募らせていく。

 彼は知れば知るほど魅力的で、休日になると一人で映画を見に行ったり、きちんとスーパーで食材を選んだりして、私と趣味も嗜好もぴったりだった。それに彼女もいないみたいで、その事が私の気持ちを更に盛り上げていた。

 見ているだけで充分。最初はそう思っていたけれど、最近では彼に触れたいと思うようになっていた。

 だから一度、彼の近くに立ってみた。交差点だったら、人も沢山行き交っているから、私の存在も紛れるはず。そう思って、すぐ後ろに近づいてみる。気配に気付いたのか、彼が少しだけ首を後ろに向けようとする。だけど、ちらりとこちらを見ただけで、また正面を向いてしまう。

 残念に思えるけれど、私は内心ほっとしていた。



 それから数日が経ち、いつものように彼についていくと、駅の近くにあるカフェに入っていった。

 人と待ち合わせをしているみたいで、彼はソファ席に腰を下ろす。

 しばらくして、コーヒーを飲んでいた彼に近づく若い男の姿が目に入る。私は瞬時に、この男が嫌いだと思った。嫌悪から睨み付けると、向こうも私に気付いて眉を寄せる。

「相変わらず、モテるな」

 そう言いながら、その男が彼の目の前に座った。彼は素敵な人だけど、付き合う人間を選んだ方が良いように思える。

「悪いな。毎回お願いして」

 彼が申し訳なさそうに苦笑する。そんな顔をさせるこの男に、私は更に嫌悪を募らせる。

「別にいいけど。何処で、いつからだ?」

「一週間前ぐらいからかな。交差点で」

「一週間もよく我慢したな」

 呆れたように男が言う。一体、何の話をしているのか分からなかったけれど、とにかくこの男が嫌いだった。

「まぁいいや。とにかく、早いとこ済ませよう。勘づかれたまずいしな」

 男が早々に立ち上がる。それにつられるように、残りのコーヒーを飲み干し、彼も立ち上がった。

 この男と一緒にいるのは嫌だったけれど、私は仕方なく二人の後を追う。

 道中で二人は仕事についてや、私の知らない知人の話で盛り上がっていた。普段見れないような彼のフランクな姿に、私は胸をときめかせる。

 だけど、そんな私の甘い気持ちは着いた先の神社を前にして、あっけなく散っていた。

 私は愕然として、鳥居の前で立ちつくす。

 これから行われることを察して、私は怒りと悲しみにブルブルと体を震わせた。

 立ち止まる私を置いて、二人は鳥居を潜る。そのまま行ってしまうように思えたけれど、二人は足を止めて私の方に振り返った。

「気付いたみたいだな」

 男が私に向かって言う。

「悪いけど、君の気持ちには応えられない」

 彼の目は悲しそうだけれど、きっぱりと断言した。

 私はショックと混乱で、無言で立ち竦む。まさか彼が、私の存在に気付いているとは思っていなかった。

「分かってるだろ? 今なら間に合う。元の場所に戻るか、それとも祓われるか」

 男の言葉に私は臍を噛む。殺してやりたいという気持ちもあったけれど、この男にかなわないことは、本能で分かっていた。

「早く成仏して、幸せになりな。ここに留まってないで」

 彼が優しい口調で私に言う。幸せを願ってくれる彼が愛しくもあり、憎くもあった。

「あんま優しくするなよ。だから憑かれんだ」

 行くぞと、男が彼を促す。彼は私に「一緒に来なよ」と言ってから、男に連れ添う。

 私は彼に促されるまま、鳥居を潜る。

 その先で待ち受けている苦しみや悲しみがあることを知ったうえで、私は彼の背を追っていた。

 だって、死んでから初めてのことだったから。

 好きな人が、気付いてくれたのは――




 


 

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