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 医者の資格を持つものは全員真っ当な人間だ。真面目に勉学に励み、人を救うべく必死に働くその姿は、アンドロイドである47にはそんな風に見えていた。

 だが、目の前で『実験結果』を語るこの男はどうだ。先ほど黙らせた研究員たちはどうだ。自分達の知識や利益とするためなら倫理観を捨てられるような人間は、はたえして真っ当な人間か?

 

「俺たちがやっていたのは医療界に新しい風を吹き起こすための実験だ。アンドロイドは人間より頑丈でちょっとやそっとのことじゃ死なない、与えられた役目は必ずこなす。人間だけでは届かなかった領域に手を伸ばし始めているアンドロイドに、職や地位を奪われ今も路頭を彷徨う弱き者を救うため、俺たちはこの実験を続けてきたんだ。そして、その『手術方法』がもうすぐ完成しそうだったのにお前らが来たもんだからよぉ……」

「……人間の体に機械を埋め込むという物でしたら、それは既に確立された技術です。研究室に籠ってばかりで頭の中にある情報が古いのでは?」


 白衣の男は47の言葉にピクリと反応した。

 ひらめいたというよりも、どこか恨みや憎しみを感じさせる怪しげな挙動だった。


「あんなの、俺たちは医療行為とは認めない。人間の体に機械を埋め込んで何が『手術は成功です』だ。機械に頼って病気や怪我の本質から目を背けているだけだろうが」

「では、あなたの語るその『手術方法』とやらは違うと?」

「あぁそうだとも。治療のために人間の体に精密機器は埋め込まない。手術室から出てきても生身の人間のままさ。術後の定期メンテナンスの必要もない、機械の不調による事故もない。アンドロイドのお前には何もわからんだろうが、を除けばこんなにも完璧な医療行為は今まで存在しなかった! どうだすごいだろう!」


 ゲラゲラと高く笑い白衣の男を、47はただ真っ直ぐ見つめていた。構えた銃はそのままに必死に手の震えを抑えようと試みながら。深く息を吸って細く長く吐き出す、その繰り返しだ。

 ここで、口に銃を突っ込まれたままのカミヤギがもぞもぞと体を動かし始めた。何かを言いたげにウンウンと唸っている。


ほあふひっへんっへとある一点って?」


 47には彼が何と言ったのか理解できなかったが、白衣の男にはそれが聞き取れたらしい。「そうかやはり気になるか」と、まるで質問されることがわかっていたかのように白衣の男は答えた。

 

「その手術は、代償として人間から余計な感情を奪ってしまう」


 47は何かの宗教や、神や仏の存在を信じるような者ではない。

 そんな彼女が神にすがり、自分の願いを叶えてほしいと祈ったことがある。


 ––––神よ、どうか私から『感情』と呼ばれる不純物を取り除いてくれ。


 自分がこんなにも罪の意識に捕らわれ、役立たずのアンドロイドとして生きることになったのは全て『感情』のせいだと、47は考えていた。

 かつての相棒への信頼、愛によく似た友情。それを喪った時の悲しみ。『自分のせいだ』と嘆き苦しむ罪悪感や無力感。

 自分の苦しみの源流は『感情ここ』にある。それを取り除いてくれるのであれば、自主解体を進んで希望することも、存在を否定している神に祈ることも厭わない。

 自分がこの場でカミヤギを救えないまま、じっとしていることしか出来ないのも、すべて『感情』とかいうバグのせいなのだ。

 ……きっとそのはずなのだ。

 ならばどうして、今の自分はのだろうか。47と同じような苦しみを味わっている人間は、感情さえ取り除いてしまえば二度と苦しむことはないはずだ。感情を取り除いてほしいと願う47が、なぜ白衣の男に対して怒りと殺意をむき出しにする必要があるのか。


「あなたに、ぜひ聞いてみたいことがある。……人間から感情がなくなることを、医者としてどうみましたか?」

「別に何も。感情がなくなったからどうこうは俺たちからすれば『どうでもいい』ことだ。ここでの目的は『機械に頼らない方法を探すこと』だったからな」


 白衣の男は冷たい言葉を返した。カミヤギと同じ『人間』という類に含まれているとは到底思えないほど。

 ……いつかの誰かが教えてくれた。

 アンドロイドに求められるのは性能だけが全てではない。『友人』のような関係を築き上げられることの方が何よりも重要だ。

 そして、アンドロイドの理想として求められるものは人間にも同じこと。

 感情のなくなった人間と一緒にご飯を食べに行きたいと思う奴なんか、人間だとか機械だとか関係なくひとりもいない。


「武器を捨てなさい。話はもう充分です」


 47は白衣の男を睨みつけた。

 不気味な手術方法と、この施設に残されている情報全て外部には漏らしてはならない。それが47が最後に導き出した結論だった。

 

「……で、アンドロイドのお前に何ができるんだ? 『安全装置』を外さないと銃が撃てないことくらい今の世の中じゃ全員知ってる。その安全装置を唯一外せる相棒が人質に取られてるんじゃ、なおさらお前が出来ることなんて時間稼ぎくらいのことだろうに」


 全くもってその通りである。

 カミヤギが安全装置を外してくれない限り、47は今構えている銃の引き金を引くことは、安全装置を無視することは何がどうであっても不可能だ。

 かといって殴り合いに持ち込むには少し距離がある。ちょっとでも下手な動きをしてしまえばズドンだ。自分のせいでカミヤギが死ぬことになる。それだけはなんとしても避けたい。

 47はカミヤギにちらりと視線を移す。彼の目の光り具合、彼まだ諦めていないらしい。どうにかしてでもこの場を乗り切ってやろうという強い意志を感じる。

 ふと、カミヤギの左腕に目が行った。風に揺れる木の枝のようにゆらゆらと肩を支点に揺れている。だがその揺れ方がどうにも不自然でおいでおいでと子供を誘うような動きには、ただ揺れているのではなく何かしらの意図があるように見える––––。


「待て。少しも動くなと言ったはずだ」


 白衣の男が口を開いた。

 カミヤギの腕の動きを注視するあまり、知らず知らずのうちに体がゆっくり前の方に進んでいたらしい。


「止まれ。お前の相棒の口には銃が突っ込まれてるんだ」


 それでも47は男の声に怯むことなくゆっくりと進んだ。徐々に距離を縮め、その間はもう5メートルも無いほど狭まった。

 近づいて男の鼻先に拳をぶつけるにはまだ遠い。もう少し近づかねば。

 男の体がわなわなと震え始めた。そして、47の体に唾が飛んでくるほど声を荒げて、


「そんなに死にたいなら殺してやるよ!」


 と、引き金をグッと引いた。

 ズドン、という発砲音が手術室に響く……かと思ったが、聞こえてきたのは何でもないただのカチッという空撃ち音。

 弾が出ない。

 男は動揺のあまりカミヤギの口から銃を外してしまった。拘束が若干緩み自由を取り戻したカミヤギは、


「やれ」


 と、唇の動きだけは47にしっかり見えるように、小さく囁いた––––。

 ––––47がハッと気づいた時には、もう全てが終わっていた。床の上に大の字になって寝転がっている白衣の男。生きてはいるようだが、もう立ち上がってくることはなさそうだ。

 47は男が持っていたハンドガンを拾い上げ弾る。弾倉を抜き取り銃のスライドを引いて薬室に残っている弾を外へ出そうとして、47は自身の経験に基づいた知識からその違和感に気づく––––。


「この銃、弾が装填されてないです」


 抜き取った弾倉は空っぽだった。最初からこの銃は使い物にはならなかったのだ。


「やっぱり思った通りだ。……この男、最初から俺を撃ち殺そうなんて考えてなかったのかもな。脅すだけ脅して俺たちが大人しく従ってくれることを期待していたんだろう」


 二人は床の上で気絶している白衣の男に目をやった。

 彼とこの施設の関係者全員は、間違いなく絶対的なルールの下で裁かれ、軽かれ重かれ何かしらの罰を受けることになる。そこでは『医療技術発展のためだった』という言い訳は一切通じない。

 ……しかし彼らの心のどこかで、まだによく似た感情の炎が燻っていたのかもしれない。


「どれだけ腐っても彼らは医者だ。純粋な人殺しにはなりたくなったのだろうな」


 空っぽの弾倉を眺めながら47はカミヤギの言葉に耳を傾けていた。

 武器は持っているだけで圧力になる。カミヤギから武器を渡された時、そう言われた。この男もきっとそれと似たような言葉をどこかで耳にしていたのだろう。

 

「さあ、そろそろ応援も到着している頃合いだ。俺たちも上に戻ろ––––」


 カミヤギが話の途中で膝からがくりと崩れ落ちそうになった。そこを咄嗟に47が支えに入る。「すまない、少し足がふらついて」とカミヤギは申し訳なさそうに47に言った。

 47の肩を借りながらカミヤギはゆっくりと歩き始め、地下室から出るための階段を目指した。


「……良い助手に巡り会えたもんだな。契約を解除しなきゃならないのが勿体無いくらいだ……」

「契約の解除? そんなの初耳ですよ、カミヤギ」

「あぁ––––いや、言い忘れてたんだ。労働用アンドロイドはある一定の期間働いたら一度契約は解除されるよう義務付けられてるんだ。警備用の生まれなら知らなくて当然だったな。

 色々とやるべきことはあるんだが、とりあえず……また一緒にご飯でも行こうか。事務所からそう遠くない所にしゃぶしゃぶ屋がオープンしたって噂でな。肉はもちろんのことだが自家製のタレがこれまた食欲をそそるらしくて––––」

「……私はポン酢の方が好みです」

「参ったな。店主を最寄りの市場に走らせることになりそうだ」


 足取りは重いが、まだこんな冗談を言えるのならカミヤギはまだまだ大丈夫そうだ。ケラケラと笑いながらああだこうだ話すカミヤギの横顔を見ながら、47は小さく笑っていた。

 

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