13
非常階段を降りてすぐにあった扉をぐっと力を入れて前に押し開ける。扉の向こうに広がるのは手前から奥に向かってまっすぐ伸びた廊下、その両端には扉で隔たれたいくつかの部屋。床や壁は淡い緑を基調色にしており、最近付け替えたであろう照明は廊下全体を明るく照らしている。本物の病院の空間を模したそれは、真っ当な医学の道を外れた者たちが「何がどうであれ自分達は医者なんだ」と自らに暗示をかけるようにも見えた。
だがやはり、この場所の事情を詳しく知っているがためにその淡い緑が濁って見える。
ふわりと吹いた小さな風に運ばれてきた嗅ぎ慣れない薬品の香りが鼻を刺す。
騒音対策をしているのか、換気扇の回る小さな雑音だけが廊下に響いているだけで、脇にある部屋に人がいるのか音だけでは全く見当もつかない。
「ひとつずつ潰す。細かい調査は後だ」
カミヤギの言葉を合図に二人は動き出した。
47がひとつめの部屋の扉を蹴り飛ばす。
降伏してくれれば処理が楽で助かるのだが、そう都合よくことは進まない。
カミヤギが容赦無く非殺傷性の専用弾丸を込めた銃を打ち込み対象を無力化。弾丸を受けた者は動くこと、喋ることすら困難な激痛が全身を駆け巡りその場にうずくまることしか出来なくなり、やがてそうなることが決まっていたかのように皆意識を手放してしまう。
命は奪わない。後遺症が残らない程度の攻撃で確実に無力化が出来る。
カミヤギがこの専用弾を好んで使う理由がそれだ。
ただ、「この弾は貴重だから無駄撃ちは控えたい」とカミヤギは言っていたが、今47の目の前で躊躇なく引き金を引き続ける彼は何を考えているのだろうか。
研究員全員を無力化した後、『手術室』と書かれたプレートの貼り付けられた扉を開ける。部屋の真ん中に手術台がポツンと置かれ、その周りに精密機器やら医療機器やらが設置されている。
ここが手術室であることには違いないのだろうが、目の前に広がる光景を見て、この場所で行われていた行為が『手術』であったとは信じ難い。適切な表現は『解剖』だろう。
手術台の上には、かつて人であった何者かが横たわっていた。腹部はメスで切り開かれ、周囲に飛び散った血の具合がこの者の最期を物語っていた。
常人であれば吐き気を催し目を背けたくなる光景をものともせず、カミヤギはその死体に近づき、かろうじて生前の姿を保っている顔を覗き込んだ。
ズボンのポケットから携帯端末を取り出し、ラミさんの画像と死体の顔を見比べている。
「違う」
カミヤギはその一言だけを静かに呟いた。目的の人物ではなかったことに対する安堵、悪逆非道を尽くす闇医者たちへの怒り、そんなものはひとつも混じっていない冷たい呟き。
言うなれば、機械的な反応。
この時だけは、47はカミヤギを「不気味な人間だ」と感じた。姿形は人間に似通っているとはいえ本質的には機械である自分よりも、その一挙手一投足に生命維持活動によって生じる体温を感じられないカミヤギが心底不気味だった。
カミヤギはくるりとこちらを向いて、
「客室に監禁されてる人を助けに行きたいところだが流石に応援を呼ぶとしようか。これ以上二人で戦うのは厳しい」
と言って手術室の隅に移動して誰かに連絡を取り始めた。ポツポツと会話の断片が47の耳に入ってくる。
非常階段の方から敵の増援がやってくる気配はない。手持ち無沙汰になった47は、ふうと息を吐いて肩の力をすとんと抜いた。
その時だった。
カタン、と小さな物音が47の耳に入った。床に物が散らばっているため、ちょっとした動きでそれらを足で踏んでしまったのだろうかと一瞬考えたが、音の出どころがカミヤギや47の立っている位置とはまた異なる場所からだった。
さらに、47の耳にかかる髪の毛を風がするりと後ろから撫でた。風は僅かに開いたままの扉の隙間を縫って、廊下の方から流れ込んできているようだった。扉はその隙間を埋めようとひとりでにすーっと動いていた。
……はて、どうしてあの扉は揺れているのだろうか。
まるで今しがた誰かが扉を開けてそこを通ったかのような……それこそ、47やカミヤギに気づかれないよう隙間風がそうして入ってきたみたいに。
視線を扉から部屋の真ん中へ戻す47。特に変わった様子はないように見える。手術室にいるのは47とカミヤギの二人だけだ。
普段なら気にも留めないような違和感が、まだ敵地にいるという緊張感のせいか思考にこびりついて離れない。
胸をざわつかせるこの違和感の正体を必ずや掴まねばならない、と47は目を凝らした。
電話を終えたカミヤギがこちらの方にゆっくりと歩み寄ってきた。
「朗報だ47。この施設の制圧のために応援を寄越してくれるらしい。5分もしないうちに到着するだろうとさ。まだ上に残っている用心棒の対処や、監禁されている宿泊客たちの救助も彼らに任せてよいだろう」
意識を部屋の隅々にまで向けている極限集中状態の47に、彼の言葉は届いていない。
カタン、とまた音がした。今度は音の出どころをはっきりと捉えた。音はカミヤギの背後にあるキャスター付きの収納ラックから発生した。
何が音を立てたのかというより、なぜ音が鳴ったのかが47は気がかりだった。
カミヤギがうっかり体のどこかをぶつけて音を鳴らしてしまったというのが一番納得のいく可能性だが、音が鳴った瞬間の彼の位置と収納ラックの位置には距離がある。足のつま先でだってぶつけようがない。
47自身、今自分が考えている可能性は普段なら「馬鹿げている」と笑い飛ばしてしまうようなものだが、今だけはそうとしか思えなかった。
――――この部屋に、透明人間がいる。そうだとするならば、
「光学迷彩――――!」
47が確信を持って叫んだ瞬間にはもう遅い。
突如空間から体を丸ごと包み込めるほど広い布のような物を翻し姿を見せたのは、禿頭の白衣の男。彼はカミヤギを背後から拘束し、銃をカミヤギの口に押し込んでいる。「動くな!」と腹の底から叫んだ男の呼吸はぜぇぜぇと荒く、顔には脂汗がじっとりと浮かんでおり、顔中の血管が不自然に浮き上がっている。
先ほどの戦闘で受けた弾丸の痛みに苦しんでいるのは間違いないはずなのだが、それでもなお一矢報いようとする彼の執念は凄まじい。
47は預かっていたハンドガンを取り出しほとんど無意識のうちに白衣の男にむけていた。
「随分と勘のいいアンドロイドだなぁオイ。今にでもバレるんじゃないかと思って冷や冷やしたよ」
カミヤギが振り解こうと必死に抵抗している。自由に動かせる足で男の脛に何度も蹴りを入れているが白衣の男が拘束を緩める気配はない。『痛覚を鈍くする』類の薬剤を投与をしたのだろうか。
「いいか、お前らは今から人質だ。そうすりゃ警察が来ても迂闊な行動は出来ないだろうからな」
そう脅しながら白衣の男は今すぐにでも銃が撃てるよう銃の引き金に指をかけた。さすがのカミヤギもこれには大人しくするしかない。無理に暴れてうっかり弾丸が発射されてしまえばカミヤギは確実に死ぬ。
抑止力になればと47が構えた銃の的は白衣の男の眉間。引き金を引ければ確実に弾丸がそこに当たるようゆっくりと照準を合わせる。
――――手が震えている。
何千何万と訓練を繰り返し実戦経験も豊富な47が、銃を持って手が震えるなんてことはあり得ない話だ。手がカタカタと小さく小刻みに震えるせいで照準が安定しない。
『銃が撃てない』という原因不明の不具合のせいでカミヤギを助けられないこともそうだが、過去の自分なら平然と行えていたであろうことが出来ないことが悔しくて悔しくて……。奥歯の軋む音が頭の内部に響く。
「落ち着け」とどれだけ念じても47の手の震えは止まらない。この状況を打破するには、と47は銃を構えたまま少し考えた。
「……あなたたちの、目的は何ですか」
自分一人の力ではどうすることもできない。ならば応援が来るまでの時間を稼ごう。上手くいくかどうかはわからない。かえって白衣の男を刺激してしまえば最悪の事態を招く可能性だってあり得る。
「お前、自分の立場わかってんのか? 人質だぞ人質。そんな悠長に質問なんかしてる暇があったら、さっさと武器を捨てて――――」
「答えてください。……あなたが今銃を向けている男は、好奇心を満たすためなら法律という名の拘束具を解き、そびえ立つ倫理の壁を越えてでも突き進むような男です。本来であればあなたたちがこの場所で、どんなことをしていたのか聞きたくてウズウズしているに違いありませんから」
言葉を遮られた白衣の男は47の気迫に押されてか彼女の言葉を黙って聞いていた。そして自分が拘束しているカミヤギの方をじっと見る。
視線に気づいたカミヤギは、口に銃を入れられたまま「
だが、白衣の男はふんと鼻で笑って、
「わかりやすい時間稼ぎだな、だがまあいいだろう。自分が何をしていてどんな結果が生まれたのかを発表した時、それを周りはどう捉えてくれるのか気になってしょうがなかったんだ。たった二人でここに乗り込んでくる馬鹿なお前らにもわかりやすいよう教えてやるよ。
それに何より……もし警察の連中が到着しても、人質がいたら手出し出来ないだろうからな」
自分の勝利を勝ち誇ったかのようにニヤニヤと薄気味悪い笑みを浮かべながら、男は要求を呑んだ。
『実験の結果』と彼自身は表現していたが、解剖された人間の死体を背景にそんなことを言われても、と47は眉を顰めた。
表向きは宿泊施設として機能しているこの建物の実態が、宿泊客を監禁して無理やり実験用のモルモットだとかネズミとして扱っている施設だということがわかっている47は、「この話は聞くだけ無駄だ」と彼の話に興味関心など微塵もない。
ゆっくりと、余裕綽々とした態度で、白衣の男は話し始めた。
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