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街ゆく人間の大半がお腹を空かせたお昼時。そこらじゅうの飲食店では、自分の番を待って店の外で時間を潰している人で溢れていた。
目的のラーメン屋のテーブル席に着いて、ゆっくりと外を眺められる余裕があるのが不思議なくらいだ。店内には47とカミヤギの二人、あとは片手で数えられる程度の客しか入っていなかった。
厨房の熱気がそのまま客席側に流れ込んできているのか、店の外と中でかなりの温度差を感じた。肌寒い風の吹かれ枯葉が舞い始めるような時期に暖房の効いた部屋に入り込んだ時のような感覚に近しい。水滴の垂れるガラスの器に入ったお冷を口に流し込むと、キンと冷えた水が熱を忘れさせてくれた。
47の向かいの席で、カミヤギは既に注文を終えたのにもかかわらずメニュー表を眺めていた。本人曰く「またこの店を訪れた時に何を食べようか考えている」とのことだが、次にこの店の世話になるのはいったいどれだけ先のことになるのか彼は考えているのだろうか。その時までに今日決めたメニューのことを覚えていられればいいが、と47は呆れ半分面白さ半分でふふっと鼻で笑った。
次の目標を決めたカミヤギはメニュー表をパタンと閉じて、47と同じようにお冷やを口に運んだ。
「何も、聞かないんですね」
47が不意に吐いた言葉の真意を、カミヤギは上手く汲み取れなかったのか不思議そうな顔をした。
「なんのことだ」
「ナカムラさんとの一件でなんとなく思ったんです。カミヤギは、私の昔のことをあまり知りたがらないなと。気になることがひとつでも見つかると、睡眠や食事の時間を『無駄』と一蹴するくらい好奇心旺盛なくせに」
「あぁ、いや、聞かない方がいいかなと思ってたんだ。ずっと前からな」
ここでちょうど注文していたラーメンが席に届いた。
脂の浮いた醤油ベースのスープには、ちぢれた細い麺が沈んでいた。その上に乗せられたチャーシュー、メンマ、野菜、大きな海苔。どこか家庭的で、単純明快な見た目ではあるが、具材ひとつひとつをこだわり抜き、長きにわたる研究の結果生み出された味わいに多くのラーメン通を魅了する一品、とこのラーメン店を語る個人ブログに書かれていた。半信半疑な面はあったが、どうやら間違いではなさそうだ。
カミヤギと47は既に準備していた割り箸を割って、スープの中に箸を沈めた。麺をすっと箸先に絡めて持ち上げ、わっと昇り始めた白い湯気に向かって息を吹きかける。頃合いを見てその麺を一気に啜る。もう一口、もう一口。麺とトッピングが満遍なく減り始めた頃、
「どうして、そう思ったんですか」
47が、話を少し前まで戻した。話を振られたカミヤギは一瞬なんのことかわからなさそうな顔をしたが、持ち前の察しの良さで気づいて話を続けた。
「自分の昔を掘り返されたいなんて思ってる人なんてほとんどいないからな。47みたいに昔どんな経験をしたのか周りが想像しやすい訳アリなタイプは特に。
生まれは警備用、与えられた能力は一級品。それなのに、何故か、労働用アンドロイドとして生きることを選んでいる。しかも、原因不明のエラーまで抱えてるときた。これを訳アリと呼ばずしてなんと呼べばいいんだい?」
カミヤギは、手のひらほどの大きさがありそうなチャーシューを箸で掴み、大きく開けた口の中にそれを放り込んだ。何度か咀嚼して喉の奥に流し込むと、また話を続けた。
「だから、聞かなかった。一度気聞いてしまったら、歯止めが効かなくなる気がして怖かったんだ。大切な助手を自分の手で苦しめたくはないからな。
……まぁ、君の口から『話したいことがある』と言われればちゃんと聞くけどな」
カミヤギなりの優しさを今になって知った。
47は他人に「自分は昔こんなことがあった」と話すことはあっても、自身の内に抱えている苦悩を打ち明けたことは一度もない。吐き出せる相手を見つけられなかった、見つけようとしなかった。
あれだけ信頼していたアサクラにも一度も吐き出したことはない。喉元まで来ていた言葉はいつも、腹の底からせりあがってきた吐き気を無理やり押し戻すように自分の内側に抑え込む。抱えたものを外に吐き出す、その重要性は47も理解しているつもりだ。だがやはり、あと一歩が踏み出せない。
話したいことがあれば聞く、というカミヤギの言葉を信じてもよいのだろうか。
47が血反吐を散らすような必死の思いで絞り出した勇気を受け止めてくれる度胸が、カミヤギにはあるのだろうか。
「……少し、いいですか」
真剣な表情を浮かべて食事の手を止めた47を習ってか、カミヤギは運びかけの麺を器の中に戻して「なんだ」と呟いた。
お昼時の騒がしい飲食店に似つかわしくない、静かな迫力を持ったムードが二人の間に流れる。
「私は、自分が今もこうして生きていることが、死にたくなるほど悔しいです。『守りたい』と思ったものを守りきれず、自分ひとりだけが生き延びて……」
手を伸ばせば指先が消えて見えるほど暗い闇の降りた豪雨の夜。抱きかかえた『守りたかった人』の冷たくなった亡骸。雨合羽に当たって弾ける大粒の雨の音。雨の中微かに残る火薬の香り。指先が思い出すのは血の粘りと肉の柔らかさ。
もう少しだけ記憶を掘り起こせば出てくるのは、自分の名前を呼ぶ彼女の叫び声と、自分を突き飛ばした彼女の死に物狂いな表情。「守りたい」と思った彼女の命が自分のせいで途絶える瞬間。
何気なしに再び手に取った箸が作ったスープの波、その上を照明に当たってぎらつく脂が浮いていた。
「『あの時助けてもらえた』『ありがとう』と伝えられても私は素直に喜べないんです。私にとってはただの任務だったのもありますが、その感謝の言葉を受け取る資格は今の自分にはないような気がして」
ちらりと脳裏に浮かぶナカムラの顔。彼が恥ずかしそうにしながら打ち明けてくれた昔話を否定する気は47には微塵もない。彼の子供に対して怪我の手当てをしてやったのも、あの家族の現在に大きな影響を与えたのも全て事実だ。
しかしどうしてか、47は素直に感謝の言葉を受け止められなかった。受け取っておけばいいじゃないかと言われてポンと気持ちが変えられるのなら、どれだけ楽なのだろうか。
「アンドロイドとして生まれたからには『任務』や『与えられた役目』を果たすことは絶対。『なぜ私はこうやって生きているのか』という問いかけへの答えが、それになる。……私は、その答えを見失ってしまいました」
何も言わずに47の零す言葉を聞いていたカミヤギが器に残った一口分の麺をすくって啜った。紙ナプキンで口周りをさっと拭いて「その『守りたい』と思った人、ってどんな人だった?」と、47に問いかけた。
47は少し目線を下げて、彼女のことを思い出していた。
47にとって初めての相棒で、チームの中で一番賑やかで、凛々しい顔つきをしていながら女性らしいところはとことん女性らしくて。
自分の怪我の治療を放って47のことばかり気にしている過剰な世話焼きだった。自分の方が簡単に死んでしまう癖に、その命を私なんかのために投げ出せるくらい。
「アンドロイドが相棒を守るのは当然のことではあるんですが……。本当に、初めてだったんです。『守りたい』って自分の意思で決めたのは」
47の言葉を聞いて満足したのかそうでないのか、カミヤギは「麺、伸びるぞ」と言って47に食事を続けるよう遠回しに訴えた。ハッとして47は止めていた食事の手を動かし始めた。スープの中に漂い続けていた麺や具材を47が食べ終えると同時に、カミヤギは「行こうか。俺が払うよ」と言って、二人は席を立った。
会計を済ませて店を出てすぐ。47は、
「本当に、何も聞かないんですね」
と、愚痴に聞こえなくもないようなことをカミヤギに向かって呟いた。47はカミヤギのそんな態度に対して不信感や苛立ちを特別覚えていたわけではないのだが、あまりにもカミヤギが目立った反応をしてくれないため、そう呟いてしまった。
カミヤギは少しだけうーんと唸って、
「『悩みを聞いてもらう』ことの目的は、答えを見つけることじゃなくて、自分が抱えていたその悩みを外に打ち明けることが目的だと思ってるんだ。
だから、外野がとやかく『ああすればいい』『こうすればいい』と言ってしまうと、相談者にとっては余計なノイズになる。悩みを打ち明けてスッキリしたかったはずなのに、かえって新しい悩みを生み出してしまう原因にもなりかねない。
悩みを聞いてほしい時は大抵、相手には黙っていてほしいものさ。人間もアンドロイドもね」
胸ポケットから車のキーカードを取り出したカミヤギは、そう語った後「あくまで俺個人の考え方だけどね」と先ほどの発言に付け加えた。
「そういうものなんですかね」
「そういうもんさ」
ふと見上げた先に広がる青一色の天井。わずかばかりの白色すらも拒絶する清々しいほどの青空。食事前に見た空には雲が浮かんでいたはずなのに。空模様の移り変わりと自身の姿を重ねた47だったが、「らしくないことを考えてしまった」と鼻で笑い飛ばした。
人間とアンドロイド。その明らかに異なる二つの存在を、カミヤギは同一視しているような気さえしていた。何を理由に、何を基準に、カミヤギが人間とアンドロイドを区別しているのかは47の口からは引き出せなかった。
ただ、彼の言うことは決して間違いではない気がしていた。そうでなければ、自分の体を包む満足感の説明がつかなくなってしまうから。
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