04

 47の頬にはまだ細かな針が肌を刺すような痛みが微かに残っていた。

 彼女は、自分の右頬を右手の平でそっと撫でると、痛みの残る箇所は周りと比べてわずかに熱を帯びていた。頬を撫でたくらいのことで痛みを和らげたり、痛みそのものをべとりと付着した血のように拭い去ることは出来ない。でもなぜか47は、なんとなくそうしなければいけない気がした。


「アンタ、"自主解体"ってモノが何かわかって言ってるんだろうね」


 アサクラの問いかけに答えるのに、47は自分の顎に指を当てて少しだけ悩んだ。

 端的に「わかっている」とだけ言えばいいのか、自主解体に関する知識をちゃんと有していることを示せばいいのか。アサクラの問いかけに対する答えとして思い浮かべたその二択の内、どちらか一方が正解でもう一方は不正解なのか。

 47は自身の理解度を示すことにした。


「自主解体は人間で言うところの安楽死に近いモノ、主な対象者は老朽化の影響が顕著にで始める誕生から三年目を迎えたアンドロイドです。対象者は各地区の役所に届け出を出すことで後日解体してもらえ――――」


 47の説明はまだ途中だったが、アサクラはちゃぶ台の天板が割れるのではないかとひやひやするほど強く手のひらで叩いた。

 

「"自主解体とは何か"をアンタに訊いたんじゃないんだよアタシは! 自主解体を受け入れることがどういう意味なのかアンタはわかってるのか知りたいんだよ!」


 あまりの迫力に、47は自分の体が縮んでいくような奇妙な感覚を味わった。

 質問の意図を汲み取れなかった自分を恥じ、47は口を閉ざしてアサクラの言葉に怯えながらじっと耳を傾けていた。

 言いたいことを言い終えたアサクラは、肺の中の空気を全て出し切るような深い溜息を吐きながら座布団に座り直した。

 

「質問の意図を理解できていなかったようです。申し訳ありません」

「……いいんだよ。答えにくい質問をしてアンドロイドを困らせるのは昔から一緒だからさ」

 

 どんよりと重たい空気が二人の間に流れる。アサクラが身を乗り出した際に零れたお茶が、まだ畳に雫をぽたりぽたりと落としている。

 わずか十秒ほどの気まずい静寂。47がこの静けさを打ち破りたくなるより前に、先に口を開いたのはアサクラだった。


「理由は?」

「理由……ですか」

「人間もアンドロイドも、何の理由も無しに死にたいとは思わないからね。私が知ってるのはアンタの過去。起こった出来事やその時アンタが何をしていたのかは知っているけど、何がキッカケで死にたいと思ったかの理由はわからない。自主解体を希望してるって言うんだ、自分をぶっ壊してやりたくなるほどの理由のひとつやふたつくらいあるんだろう?」


 47が自主解体のことをぼんやりと意識し始めた時、彼女の心を支配したのは"罪悪感"と"無力感"だった。自身が今までに蓄えてきた膨大な知識の中から適切な言葉や表現を探しつつ、このシチュエーションにおける最適な理由の述べ方を47は考えた。

 しかし自分が何を伝えようとしているのかが上手くまとまらない。まとめられない。

 「なんでもいいから何か言わなければ」と焦るにつれて、47の口から出てくるのは「あの」「えっと」という情けない言葉ばかり。その間彼女は「どんなことを伝えようか」について何も考えられていない。

 アサクラがどんな話をしてくれるのだろうと待っている――――。

 アサクラが今どんなことを考えているのかは47には一切わからないのに、目の前にいるアサクラの目線や考えていそうなことを意識した47は余計に混乱してしまう。

 思考の激流に溺れる十本の指が虫の触角のように忙しなくぐしゃぐしゃと動く。

「深呼吸――――」

 アサクラの声が聞こえた、いや聞こえたような気がした。その声は何十メートルも先から聞こえてきたかのように小さく、調子の悪い無線機から聞こえてきたかのように耳障りなノイズが混じっていた。

 自分はいったいどうしてしまったのだろうか。混濁する意識の中、47は自分に問いかけた。この金属製の頭蓋骨の奥を覗いて答えが見つかるのなら、誰でもいいからそうしてほしい。

 胃袋の中には何も入っていないのに尋常じゃないほどの吐き気に襲われる。がしがしと掻く音がはっきりと聞こえるほど爪を突き立て頭皮を激しく掻き毟る47。

 

 ――――死にたい。

 ――――――――なんかもう、とにかく死にたい。


 47が必死に絞り出したその言葉はアサクラの「なぜ死にたいのか」という質問には決して答えていない。過去に犯した過ちによる罪悪感だとか、いついかなる時も感じる自分の無力感に対する自己嫌悪だとか理由や原因はある。しかしそれよりも、間違いなくハッキリとわかっていることがあるとするならば……。

 「なぜ死にたいのか」と問われて「死にたいから」と答えてしまうほど、彼女は死にたいのだ――――。



 ――――――――――――。

 ――――――――。

 ――――後悔。

 これが、人間たちが"後悔"と呼ぶ感覚だろうか。「あの時ああでなければ」と、"後"になって"悔"やむから"後悔"。

 ある日を境に毎日考えていたことがある。

 もしも私が、一切の"感情"を持たぬ機械人間であったならこんなことにはならなかったのだろうか。

 過去の記憶が些細な引き金で蘇る度に罪悪感に打ちのめされその日は一日中吐き気を催す。小さな失敗をする度に、自分が「役立たず」だと罵られる度に私は自分の無力を呪う。暗い部屋の中でベッドに横になり、天井を見つめながら「将来の私は何をしているのだろう」と想像する度に私は底知れぬ恐怖に取り込まれる。

 もし、私にとって害でしかなかったその感覚全てが私がこの世に生まれた時から組み込まれていた「感情」の仕業だと言うのならば?

 私は、感情を持って生まれたことを"後悔"している。

 ああ。死にたい――――。

 ――――――――。

 ――――。


 一定の拍を保つ心電図によく似た電子音が聞こえる。目覚まし時計とはまた違った鬱陶しさに腹を立て、思わず47は音の発生源を叩き割ってやろうかと思ったが、爪先から頭の先までピクリとも動かしたくないほどの倦怠感に包まれているせいで破壊衝動は徐々に薄くなっていった。

 「起きたかい?」とアサクラの声がして、47はゆっくり瞼を開けた。


「悪いね、"鎮静化チップ"を無理やり挿入したからもうしばらくは体が重いかもしれないけど、我慢しておくれ」

 

 テーブルや収納スペースに雑に置かれた工具と電子機器、コンクリートの壁と床を這う配線。ここはアサクラ工房の作業室、そこに設置された患者用のベッドの上で47は眠っていたようだ。

 首の後ろのチップ挿入口に残った異物感。精神に異常をきたし暴走状態になったアンドロイドを落ち着かせるための鎮静化チップを挿入されたのは嘘ではなさそうだ。

 アサクラはベッドの横に置かれた丸椅子に腰掛けて「アンタ、誕生日はいつだい」と訊いた。

 47は未だ覚醒しきっていない頭で自分が生まれた日を思い出し、「ちょうど三ヶ月後です。その日で三年目になります」と弱々しく囁いた。

 

「……三ヶ月か」


 アサクラは遠い未来を思い何かを考えているような目で47の顔を見つめていた。47にはその目が深い悲しみに沈みながらもわずかな希望すら捨てきれない愚かしい未練も抱えているように感じた。

 

「その三ヶ月間、アタシをアンタの相棒として設定する。衣服や寝る場所は貸す、何か食べたくなったら飯も出す。代わりに、アタシの手伝いをしてくれればいい。……どうだい?」


 いつになく真剣な表情をしたアサクラが持ちかけてきたのは居候の提案だった。

 元より47はそれをこちらから提案するつもりでここに来ていたため願ってもない話だった。

 アンドロイドである47にとって『衣』は今着ている服と鞄に入れてある服を着回して、『食』は元々必要ない、『住』も雨風さえ凌げればそれでいいと47は考えている。

 しかし47にとって衣食住よりも欠かせないのは『相棒』。自身が生活する上で重大な障害となる『安全装置セーフティ』を外してくれる相棒を探さなければならない。

 アサクラは47のことを我が子のように大切に扱ってくれるが、甘いわけではない。「居候させてほしい」という提案は断られるだろうと思いながらアサクラ工房を訪ねたのに、むしろ向こうから誘いが来た。

 どうせ三ヶ月後には――――。アサクラの提案を受け入れた時、47がずっと抱えていた今後の不安や心配は最初からなかったかのように消えていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る