02
宿舎の廊下を天井にぶら下がる電光掲示板の『事務室→』という表示に従いしばらく歩くとオフィスとは様相の異なる場所に出る。照明の強さや窓の向きや数はオフィルと変わらないはずだが、屋内全体が若干明るく感じる。
おまけに朝から晩まで騒がしいオフィスとは違い事務室周辺はいつも静かで、47はこの場所を気に入っていた。嫌なことがあった日はもちろんだが、"なんとなく"でここに立ち寄ることもあった。
屋内用のベンチに腰掛け、南側を向いた大窓を開けると、髪をふわりと撫でる程度のそよ風がベンチに座った者の傍に迷い込むのを47は知っている。
ただし今だけはそのベンチに目もくれず、47は事務室へと歩みを進めた。
『事務室』と書かれたプレートが貼り付けられたドアの前に立ち、47は一度肩にぐっと力を入れ一気に脱力。
右手を軽く握り手の甲側をドアに向けた時、
「machina-47、こっちだ」
何者かが声をかけた。
声がした方には、若干猫背気味ではあるが背の高い痩せた男性が立っていた。年齢は四十か五十そこら。切る暇がない、もしくは切りに行くという考えが頭にないせいで滅茶苦茶に伸びた白髪交じりの黒髪は頭の後ろでヘアゴムを使ってまとめている。同僚のmachina-122を見た後だと、清潔感がどれだけ人に与える印象を左右するのか実感させられる。
彼の名前はアンドウ。この会社でアンドロイドたちの管理をしている男だ。47や122を含め、この会社で働いているアンドロイドたちは全員アンドウを相棒として設定している。彼がアンドロイドたちに与える行動の制限は、厳しくも緩くもないため、アンドロイドたちからの評判は「まあまあ満足」と言ったところでまとまっているだ。
アンドウは47を手招きし、事務室ではなく彼の仕事場である作業部屋に来るよう促した。47はそのアンドウの少し後ろを歩くように、彼の後を追った。
「アンドウさん、迅速な対応感謝します」
「礼なら事務の姉ちゃんに言ってやれ。この俺がまとめた汚いデータでも通してくれたんだから。んで、ついさっきmachina-47本人のサインが欲しいっていうデータをもらったのと、仕事を辞めるにあたって相棒設定の解除をしねぇといけねぇから今日は呼んだ」
静かな廊下に、二人の声はよく反響する。
アンドウの作業室は事務室から少し離れた場所にある。作業時に発生する騒音だとかが他の場所に聞こえすぎないようにするための配慮だそうだ。
アンドウが指紋認証で作業室のロックを解除し、重たそうな扉を開けた。
空気の流れに乗って、少しだけ煙草の香りがした。
「煙草は喫煙所で吸うべきでは?」
「いいだろ別に。こまめに窓は開けて換気もしてる。消臭剤も使ってる……たまにだけど。それに、今まで誰かにとやかく言われたこともねぇしな」
不敵ではあるものの人懐っこさを感じさせる笑みを浮かべながら大人げない言い訳を述べるアンドウに、47はそれ以上『喫煙が許可されていない部屋での喫煙行為』について言及はしなかった。
作業室は決して『整理整頓の行き届いた綺麗な部屋』とは言えない場所だった。最後に見たのはいつだったか記憶が曖昧だが、その時と同等、もしくはそれ以上に汚い。ただ、動線上に物が置かれていないこと、メインの作業スペースだけがしっかりと片付けられているあたりを評価し、47はこれを及第点として口を閉じた。
「そこの机の上にもらったデータチップがあるから、中身を勝手にダウンロードして必要な場所にサインしてくれ。その間に俺は別の準備をする」
47は作業スペースの端に置かれた宿舎の物より大きくて広い木製のテーブルに目をやった。それが精密機器であることなど一切気に留めないかのように雑多に置かれたデータチップが転がっていた。
物の隙間を縫うようにして進み、作業スペースに置かれた丸いスツールに腰掛ける。周りの物にぶつからぬよう少しだけ神経を尖らせて歩いただけなのに、47の体にのしかかる疲労感は長距離走の比ではなかった。
テーブルの上のチップを手に取り、首の後ろにあるチップ挿入口に差し込む。内部に保存されているデータを本体の記憶媒体にダウンロード後、早速データ化されている書類の指定箇所に自身の識別番号だとかの記入を始めた。
「『手書きは時代遅れ』という認識が広まったおかげで世の中便利になった」と大半の人間が喜んでいる中、時代を逆行している少数派は「手書きには味がある」「書き手の想いが込められている」と声を大にして叫んでいる。時間が流れるだけではいつまで経っても解消されない小さな対立関係だ。
それからもうひとつ、データの記入を進めながら47は考えてみた。
この会社は、労働者を不当に酷使する前時代的なやり方だけは変えないのに、なぜ書類関連の方針はすぐに変えられたのだろうか。
ただしどれだけ議論を進めたとしても、この些細な疑問の答えが判明することはないだろう。それは問題を持ち出した張本人である47自身も、なんとなくではあるが理解していた。
「そういや47。お前の経歴を見てて思ったんだが、生まれは警備用だったんだな」
昔のことに触れられたせいか、ピクリと条件反射的に指が動く。
47は、あまり自身の過去に触れられることをあまり好ましく思わない。だがどうしても避けられない場合はある。労働用として生きることを選んだ時には「生まれは警備用アンドロイドか……、なぜ労働用に転換しようと?」と嫌というほど尋ねられた。
馬鹿正直に理由を話すつもりは更々ない47は「警備の仕事以外でやりたいことが出来た」と都合の良い嘘でほとんどの場面を乗り越えてきた。その嘘を隠すのに嘘を貫き通さなければならないのが、少々苦痛ではあったが。
「もう随分昔の話ですよ」
「随分昔って言ったってお前、一年か二年前の話じゃねぇか。そんな旧式臭いこと言うなって」
「三年前の機体はもう世間一般では"旧式"です。つい最近"新式"も発表されたじゃないですか。なんでもひとつ前のモデルより、初期状態からでも現在広く流通しているモデルと同等の知能と身体能力を持っているとか」
「新式だからって良いもんとは限らねぇぞ。現に俺は、個人的にアンドロイドを雇うなら旧式を選ぼうと思ってるくらいだ」
「……なぜでしょう? 新しい、という概念は人間にとって都合の良いものだと認識しているのですが――――」
「いやいや、これにもちゃんと理由はあるんだよ。この間、知り合いのエンジニアが新式のテストモデル借りれたっていうから感想を聞いてみたんだ。
そしたら、『学習不足かバグなのか知らねぇけど、体の動きはぎこちなくて何か不気味だし、言葉は通じるけどジョークは一切通じない。人付き合い最悪。流石に腹が立って同僚のアンドロイドと飯食いに行った。アイツの味覚は本物だ。ラーメンマジで美味かった』ってよ」
「その『味覚が本物』のアンドロイドは、いつ頃のモデルなのでしょうか」
「確か……五年前くらいのモデルだったかな。もちろん、今となっちゃ旧式アンドロイド扱いだ、多少ガタも来てるらしい。でも、職場の人間は誰もそれを悪いものだとは思ってない」
47はいつになく真剣な表情でアンドウの話に耳を傾けていた。話に集中しすぎて、自分の『識別番号』を入力する欄に『nachina-47』と記入しているのに気づくのが少し遅れるほど。
「でさ、これは俺が勝手に考えてるだけなんだけど。理想の機械人間っていうのは、『仕事が人一倍出来る』とか『人間には出来ないことが出来る』とか、そういうのじゃないと思うんだよ
例えば……『おはようございます』って気さくに挨拶してくれたり、下らねぇ冗談にツッコミを入れてくれたりとか。それこそさっきの話でいえば、飯に誘えば『美味いラーメン屋を見つけた』って返してくれるような。友達、って感じのアンドロイドがみんなは欲しいんじゃねぇのかな」
「友達……ですか」
それからしばらく雑談を続けた後それまでの会話の流れが噓のようにピタリと止まり、互いに何も喋らなくなってしまった。ただ、47はこの沈黙を居心地の悪いものだとは思わなかった。
「アンドウさん、データの記入が完了しました」
「わかった。じゃあそのデータを保存して、そうしたら今度はこっちの椅子に座るんだ。相棒設定を解除する」
データの保存処理を済ませ、首の後ろの挿入口からチップを取り出すとそれをテーブルの上に戻した。
アンドウの用意してくれた木製の肘掛け付きの椅子に47が腰かけると、ミシリと木の軋む嫌な音がして背もたれに体重をかけるのが怖くなった。
無駄に姿勢よく椅子に座り、自身の背後で何かしらの準備をしているアンドウの気配を感じつつ47はただぼーっと部屋の隅を見つめていた。
「よし、じゃあやるぞ。チクっとするかもしれんが我慢してくれ」
アンドウは47の首の後ろにあるチップ挿入口に何かを差し込んだ。自身の首の後ろから伸びているケーブルの出所を探すと、アンドウのパソコンに行き着いた。47は今までの経験則を基に、あのパソコンでアンドロイドたちの細かな調整だとか設定だとかを行っているのだろうくらいは察しがついているのだが、それ以上は詳しく知らなかった。モニターにはどんな情報が映っていているのだろうとか、担当者はどうやって設定を変更しているのだろうとか。
最後くらい「気になる」と言えば見せてもらえるだろうか、なんて47は考えてみたが、自分の幼稚さに気が付くとハっと我に返ってまた正面に向き直った。
「よし47。たしか、そこの机の上にカッターナイフがあるはずだ、試しに持ってみろ。『安全装置』が効いてるなら持てないはずだからな。
さっと首を動かして散らかった机の上を見渡すと、不用心に刃が出たままのカッターナイフが転がっていた。
カッターナイフを手に取ろうと腕を伸ばし、そのまま指を曲げてカッターナイフを掴もうと――――。
「指が、動きません」
同極の磁石を無理やりくっつけようとしたときの反発力は感じない。動きが鈍くなったというよりも、カッターナイフを持とうと思って動かした指が『動かない』。
伸ばした腕を戻し手のひらをじっと眺める47。そのまま指を折り曲がげると、何の違和感もなく曲がっていく。
「よし、ちゃんと相棒設定は解除されたみたいだな。久々にやるもんだから、これで大丈夫か不安だったんだよ。もうちょっと細かい設定がまだあるから待ってな」
そのまましばらく待たされていると、
「47、仕事を辞めた後はどうするんだ」
アンドウが、何の前触れもなしに尋ねた。唐突ではあるが、『今の仕事を辞めたい』と言っている者がいれば聞いてみたくもなる話ではある。それに、アンドウはここのアンドロイドたちの責任者であり相棒でもあるため、一種のカウンセリングだとかそういう類なのかもしれない。
「――――静かに、暮らしたいです」
47の端的な回答にアンドウは
「そうか、じゃあ、まあ、なんだ。俺もエンジニアの端くれとして長い間色々なアンドロイドたちの面倒は見てきたし、ソイツらの役に立とうとやれるだけのことは尽くしてきたと思ってる。何か訊きたいことがあったら、今のうちに頼む」
と、紳士的な対応で返してくれた。
47は、彼のこの言葉が決して会社が事前に用意していたマニュアル通りの言葉だとは思わなかった。例えマニュアルが存在していてもアンドウ自身が会社のルールだとか規則だとかを真面目に守るような男ではないだろうし。
お言葉に甘えて47は、前々から気になってはいたが誰が教えてくれるかわからないことをアンドウに訊いてみることにした。
「『自主解体』の申請は、どこでするのでしょうか」
アンドウは咥えた煙草をぽとりと口から放した。目標を失ったライターの火が、アンドウの風除けの手の側でユラユラと揺れていた。
ライターの火を消し、落とした煙草を踏んだことも気に留めず、アンドウは先ほどよりも忙しなく狭い歩幅で47の眼前に立った。
椅子に座ったままの47を見下ろすアンドウの目は若干濡れているように見えた。
「お前、その言葉の意味、わかってんだろうな」
震えた声だった。今にも泣きだしそうな子供のように、わなわなと震えた声だった。
「はい」
迷いの一切ない47の返事を聞いたせいか、アンドウはその場に座り込んでしまった。手を組み、顔を伏せ、アンドウほどの年齢の大人がするには余りにも弱弱しい佇まいだった。
「machina-47、よく聞け。自主解体の申請ができるのは地区ごとにある役所だが、『三年目の誕生日を迎えてから』という条件が設けられている。本来は老朽化が進んで今の時代についていけなくなったアンドロイド用の措置だからだ。
そして、お前の次の誕生日まであと三か月ある。それまでは、出来ない。だから、その、まぁ、それまでゆっくり考えとけ」
アンドウはその言葉を言い切っても、47とは目を合わせなかった。顔を伏せたまま床を見つめていた。
47は、今日この部屋に来て初めて居心地の悪さを感じていた。アンドウの言葉を最後に再び沈黙の訪れたこの時間をなんとか切り抜けようと、47は「はい」とだけ言ってみせた。
「質問は、終わりか?」
「……はい」
そこからの作業に雑談は一切混じらなかった。マニュアル通りに事は進み、machina-47はアンドウとの相棒設定を解除することに成功した。
「machina-47、お前は今無所属のアンドロイドだ。制限される行動の数も今までとは違ってかなり増える、しばらくの間かなり生活に不自由すると思うが気を付けて暮らしな」
「ありがとうございました。失礼します」
決して目を合わせようとはしないアンドウに、47は深くお辞儀をした。
「じゃあな」
「お元気で」
たったそれだけの短い別れの言葉だったが、アンドウや47にとってもそれくらいが互いに丁度良い気がしていた。長々と別れを惜しむつもりもないし、何も言わずに別れるつもりもなかった。
作業室を後にしたmachina-47の足取りは、後ろめたさだとかを微塵も感じさせない堂々たる歩みであった。
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