case 1 :

01

 自身の喘鳴で目が覚める。眼前に広がるのは宿舎の見慣れた天井だった。

 一人で寝るには丁度良すぎる大きさのベッドと、その横に置かれた膝よりやや下に天板のある広くも狭くもないテーブルの上には『エネルギー補充缶』の空きパックとストローが転がっていた。お世辞にも座り心地が良いとは思えない座椅子の背もたれには、二度と袖を通したいとは思わないのにそうせざるを得ない制服がぶら下がっていた。

 警備用としてこの世に生を受け、現在は一端の労働者として生きるアンドロイド――――machina-47――――は、ゆっくりと呼吸を整えながらお腹の奥で感じる不快感の理由を探す。

 夢を見ていた気がする。懐かしいけど、思い出したくはない昔の夢。

 手を伸ばせば届く位置に転がる目覚まし時計を見るに、現在時刻は朝の九時三十分を過ぎようとしていた。本来であれば、今勤めている会社のオフィスに出勤し自分のデスクに向かい退屈な事務処理をやらされるはずなのだが、遅刻は確定しているにもかかわらずベッドから体を起こそうだとか朝の身支度をしようだとか、そんな気が一切起きなかった。今日に限らずここしばらくはそんな様子が続いている。

 47は以前知り合いのエンジニアにどこか身体の具合が悪いのではないかと診てもらったことがある。エンジニアからは「疲れが溜まっているのは間違いないし、今のアンタは人間で言うところの鬱病だとかそんな感じに近い。必要なのは修理やシステムアップデートではなく、ゆっくり休める時間だな」と診断された。だからこうしてベッドの上に横たわったまま日が過ぎるのを待とうとしている。

 ただ2000年代初頭から変わらず、外見では判断のつかない病、人間の鬱病だとかに理解を示さない者が必ずいるように、アンドロイドの異常を理解しようともしない輩は必ずいる。いくら説明を繰り返しても「アンドロイドが鬱だなんて馬鹿なことを言うな」「溜まってる仕事を片付けてから言え」と聞く耳を持たないくそったれな上司に47は随分前からウンザリしていた。

 静かな部屋に、ドアを三回ノックする音が響いた。


「machina-47、出勤時間は既に過ぎています。早く起きないとまた叱られてしまいますよ」

 

 ドアの向こうから聞こえてきたのは、47の同僚の男性アンドロイド――――machina-122――――の低音の響く優しげな声だ。彼は47の身を案じてわざわざ自分の仕事を放って呼びに来てくれたようだ。

 122と一緒に働いていて47やその他同僚が感じるのは、彼は非常に思いやりのある優しい性格のアンドロイドであるということだ。周囲をよく観察し適切な気配りが出来るし、動物だとか機械だとか、生物だとか非生物だとか関係なく彼は尽くそうとする。そうプログラムされたからなのか、それとも人間社会の荒波に揉まれる中で「こうした方が良い」と学習したからなのか、その答えは122だけが知っている。

 ただ唯一懸念すべき点があるとするなら、彼はどうにも「頼まれると断れない」性格らしくアンドロイド遣いの荒い人間にいつも振り回されている印象だ。おまけに122が目に見えて不機嫌だったり怒りを露わにしたり、そんな彼の姿を少なくとも47は一度も見たことがない。しかもつい最近、122が到底一人で処理しきれるとは思えない仕事を押し付けられていたのを47は知っている。山積みの仕事と周囲からの重圧に潰されることなく、周囲に愚痴をこぼすこともなく、黙々とこなす122の姿を決して47は「すごい」とは思わなかった。

 122は優しい心の持ち主だ。「心配だったから」という有難くも下らない理由を背に、47を呼びに来る可能性はゼロではない。だがそんな暇は今の122には存在しないはずだ。


「戻るぞ122。どうせ寝たふりまた乗り切るつもりだろう」


 案の定、一番嫌いな人間の声がドアの向こうから聞こえてきた。


「良いのですか? これで47は無断欠勤は三日連続ということに――――」

「知るか、あんな役立たず。書類整理もまともに出来ない癖に何が『しばらく休ませてほしい』だ。馬鹿にしているとしか思えない」


 あぁそうだよ、馬鹿にしてるよ。アンタのことは特にな――――。

 47は掛布団の中で密かにそう念じた。あの害獣、煙草と汚物をブレンドしたかのような口臭を撒き散らしながら、いやらしい手つきをちらつかせ女性型アンドロイドの尻を追いかけまわす、肥満体系で、禿げ頭で、ニキビ顔の上司のことが47は心底嫌いだった。


「ところで122、お前さっきなんて言った?」

「『machina-47、出勤時間は既に過ぎています。早く起きないとまた叱られてしまいますよ』と言いました」


 鈍い金属音がドアの向こう側、宿舎の廊下に響く。吐き気を催すほど嫌な音だ。あの上司は『しつけ』と称して、手にした金属製の警棒――――本来の使用用途は護身用のはずだが――――でミスを犯したアンドロイドを殴りつける。それを止めようものなら相手が人間であろうとアンドロイドであろうと"ついでに"殴られるのは自明の理。誰も仲裁に入ろうとはしない。

 47自身も十本の指では足りないほどの『しつけ』を経験しているのだが、元警備用として生まれた彼女の頑丈なボディフレームは、素人の扱う警棒程度で傷がついたり凹んだりすることはない。しかし労働用アンドロイドのボディフレームにダメージを与えることは容易であると同時に『しつけ』によるダメージを薄給な彼らが傷ついたその体を修理するのは限りなく不可能に近い。


「この馬鹿が! もっとマシな言い方はないのか! 叱られることがわかっているのに部屋から出てくる間抜けがいるわけないだろう!」


 鈍い金属音がもう一発。


「それに122、お前には『気が緩んでる』っていう自覚がないのか。仕事の進みも遅いのに小さなミスばかりで、お前のせいで進まない仕事が何個もあるんだ」

「申し訳ございません。今週中には必ず」


 鈍い金属音が今度は二発。


「頭を下げる暇があるならさっさと持ち場に戻って仕事を進めろ! この無能アンドロイドが! ……ったく、俺は煙草を吸ってくる」


 そのやり取りを最後に、47の部屋の前から二人の騒がしい声がすることはなくなった。


 あの上司の脳みそに弾丸を撃ち込んでやりたい――――。


 47はそう願った。右手で作った指鉄砲の銃口を天井に向け、その先が狙う天井のシミをじっと見つめながら。それが絶対に叶わない夢だと理解してしまうと、どうしようもないほどの無気力感に襲われた。

 天井に向けた指鉄砲を下ろしながら47は大きく溜息を吐いた。今日だけでもゆっくり休みたい、毎朝毎朝誰かに請うてもそれが叶った試しはない。どうせ今日も同じだ、と諦め半分で日が暮れるまでの空虚な時間を過ごす。そして街の向こう側に沈んでいく夕日を見ながら「明日は何か変わるだろうか」なんて淡い期待を胸にして部屋の照明を落とす。

 その証拠として、目覚めてすぐにあんな嫌な出来事があったせいか「今日は何か変わるがする」と、47は期待を隠し切れない子供のようにそわそわと落ち着かない様子で乱れた掛布団を整えていた。下半身、特に足の指がもぞもぞとするもどかしい感覚が先ほどから続いているのが47にとっては「何か」の予兆のような気がしてならない。


 ――――メッセージを受信しました。


 ベッドの脇に置いている携帯端末が通知音を鳴らした。

 あぁ、やっぱり。

 47の感じていた「何か」は確かに訪れた。せっかく整えていた掛布団を放り捨て、携帯端末を手に取る。メッセージアプリを開いて、先ほどのメッセージの送信者を探す。

 47には兼ねてより検討していたことがあった。


「machina-47 退職の手続きがほとんど完了した。至急事務室のアンドウまで」


 47はそのメッセージを確認するなり、ベッドから跳ね起きた。あれだけ身体が重くて「今日は絶対に起きられない」と感じていたのに、今では鳥の羽や部屋隅の埃よりも身軽な気がしてならない。椅子の背もたれに部下がっていた制服を、手で雑にはたいて軽くシワを伸ばし袖を通す。ぼさぼさと寝ぐせのついた髪は櫛でさっと整える。

 アンドウのいる事務室は確か――――。

 事務室がどこにあったかをぼんやりと思い出しながら部屋を出ると、出てすぐ目の前にある壁に122がもたれかかっていた。

 顔はよく見る量産型、所謂何のカスタマイズもされていないデフォルト。わずかに茶色身を帯びた髪を整髪料で固めて額がよく見えるせいか、清潔感のある好青年の印象を強く受ける。髪型やお洒落には無頓着な男性アンドロイドが職場に多いせいで、顔が皆似ていても122だけはすぐにわかる。

 122は部屋から出てきた47の顔を見るとホっとしたような様子になり、朗らかな笑みを浮かべて「良かった」と呟きながら47の方に近づいた。


「122? どうしてまだここにいるんですか。自分の仕事をやれとさっき叱られていたのに」

「いやあ、お恥ずかしい話なんですけど、47の様子が気になってあまり仕事に向かう気になれないというか。それに、もしこの事を咎められてもあの棒で殴られるだけで済むなら僕は全然大丈夫ですし!」


 「ほら見てください、触っても大丈夫ですよ!」と、不気味に感じてしまうほど明るい口調で自身の髪を手で避け見せてきたのは、先ほどの『しつけ』で出来た凹みだった。「もしかしたら光の具合とか目の錯覚かもしれない」という希望も、彼の示す場所にそっと指当てただけで消えてしまう。頭部には大小様々に凹みや引っかき傷のようなものがパッと見ただけでも七はある。

 これが彼に出来た「消えない傷」なんだと、凹みの淵を指でなぞる度に47は、悲しみや怒りの混ざった形容しがたい複雑な気分になった。


「痛かったですか?」


 47は当たり前のことを聞いてしまった。

 

「痛かったですね」


 そう呟く122の笑顔は目に見えてぎこちなかった。


「47はこの仕事、辞めるんですか?」

「どうしてそのことを」


 まさか自分の質問が的を得ていたとは思ってもいなかったように、122は目を丸くした。息遣いに若干の動揺が見て取れるが、それ以上慌てることなく122は話をつづけた。


「いえ、なんとなくです。そんな様子は前々から感じていましたから。47は、今日いても明日にはいないとか、お別れも告げずにどこかに僕たちの知らない場所へ行ってしまうようなアンドロイドだと思ってるので。僕の勝手なイメージで」

「……概ね、いや、正解ですね。模範解答と言っても差し支えないです。誰にも『辞める』とは伝えない。『さよなら、またどこかで』と別れの言葉を残すつもりもなかった。だけど、122。あなたとこうして言葉を交わせて良かった。身体には気を付けてください」

「47こそ」


 47と122は互いに差し出した右手を握った。そしてそれ以上何か言うでもなく、二人は背を向けあい廊下を歩き始めた。立ち止まることなく、振り返ることなく。

 足を止め去り行く122の背中に「またどこかで」と声をかけてやれたのに、47はそうしなかった。

 そうした方が、良いと思ったから。

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