或ル機械人間ノ噺

柳路 ロモン

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 陽が沈み切ってしばらくした後の夜、突然雨が降り始めた。滝のように降り注いだそれは、アスファルトで舗装された道路全体を瞬く間に底の浅い大きな水溜まりに変えてしまった。

 朝のニュース知らされていた予報とは異なる天気だった。わかりやすい作り物の笑顔を浮かべたアナウンサーが「今日は一日中晴れ、夜は雲に邪魔されることなく素敵な星空が見えるでしょう!」と言っていたのを思い出す。近年は気象予報機器の精度も向上したおかげで街が突然の豪雨に襲われることになっても予測は出来ている。そのため、どれだけ朝が澄んだ青空に包まれていたとしても天気予報で「夕暮れ時に雨が降る」と言われれば、皆恐ろしいくらい従順に傘を持って家を出ていく。

 だから今日のニュースを見た時誰もが「今日は傘を持たなくていい日」だと思い込んだ。しかし今日は偶然「予報が外れる日」だったらしい。ここが昼夜問わず賑やかな都心部の歓楽街であれば、雨に騒ぐ人の声に周囲は包まれていたのであろう。

 ただ生憎、ここはそんなやかましい場所ではない。

 この左右二つずつに分かれた一方通行の道路は、地区同士を結ぶために敷かれた道路の中の一本であることには間違いないのだが、人や車が通る気配は全く無い。「本当にこの世界には自分以外の人間がいるのか?」と、遠くに見える街の灯りすら疑わしく思える。

 激しい雨で視界は霞むばかりだが、それでも目を凝らして周囲を観察してみると、車線は全て即席インスタントのガードレールと輸送用大型車両で強固に封鎖されていた。おまけに有刺鉄線や、姿勢を低くすれば後ろに隠れられるくらいの高さに積まれた土嚢の壁も並んでいる。

 しかし輸送車両のガラスは全て砕け散っており、システムに異常をきたしたクラクションの甲高い不快な音が夜の空に響いている。ガードレールや土嚢の表面には、赤い液体がこびりついていた。その赤い何かの正体は、そこから目線をやや下に落とせばすぐにわかった。

 この場所には死体が複数あった――――。

 雨が作った小川は、死体から零れた血を掬い下流へと流れていく。その赤を追っていくと、雨合羽を羽織りアサルトライフルを背負った女性が片膝をついて座り込んでいた。夜の闇と雨合羽のフードを深くかぶっているせいで詳細な容姿を見ることは叶わないが、「武装し戦う者」とは思えないほど華奢な身体をしているということだけはわかる。

 この女性のやっていることは、"普通の人間"には到底理解の及ばない不可解なものであった。

 これだけ強い雨に打たれてしまえば雨合羽を着ているとはいえ身体が冷えてしまうのは確実だ。そもそもこの雨風を凌ぐ場所、例えば、ちょっとやそっとのことでは吹き飛ぶことのない屋根と壁のある建物は少し歩けばいくらでも見つかる。しかも運の良いことにそのどれもが空き家だろう。この周辺の住民は、デモ隊と警察組織との銃撃戦に巻き込まれるのを防ぐため持ち家を捨て、どこか遠くの方へ避難したからだ。暫くの間雨宿りに使わせてもらっても誰も文句は言わない。例え鍵がかかっていたからという理由でドアを蹴破ったとしてもだ。「戦闘に巻き込まれてしまったようだ お気の毒に」という免罪符が今はある。

 だから、雨に体が濡れることも構わず道の真ん中で座り込むという行為を"普通"は決して理解できない。しようともしない。

 だが、どれだけ自分に都合の良い理由が浮かんだとしても彼女がここを動くことはない。それが"普遍的"でなくともだ。

 彼女がこの場所動かないのには訳がある。

 ひとつめは、彼女が機械人間――――アンドロイド――――だからだ。「ここから先に誰一人通してはいけない」と上司に命令を受けた以上、アンドロイドである彼女が人間の命令に背き勝手な行動を取ることはは許されない。

 もし彼女が「雨に濡れること」を嫌い、どこか雨風の凌げる場所でじっと遠くの暗い空を見つめている間に、この検問所より向こう側の道に誰かが足を踏み入れたら?

 車、自転車やバイク、歩行者、動物や虫、何でもいい。間違いなく彼女はアンドロイドとして失格だ。訓練生時代は同期に限らず上の世代を含めても群を抜いて優秀な成績を残していた彼女に、そんなことは出来ない。

 ふたつめは、彼女の個人的な理由だ。任務中に私情を持ち込むなど、あってはならぬことだが、悲しいことにそれを咎める者はこの場に誰一人としていない。

 座り込んだ彼女の右腕の中。死体――――体つきから女性と推測可能 頭部の七割が欠損 胴体には弾痕が複数――――が抱きかかえられていた。

 アンドロイドは死体が着ている制服の胸ポケットに左手の人差し指と中指を差し込む。指先は「硬い何か」を捉えた。差し込んだ二本の指で「何か」を器用に挟んで取り出す。

 身分証明書だ。

 ただしその身分証明書から得られる情報は、持ち主を識別するための何千何万という大きな桁の数字の羅列が記載されているだけという情報量の少なさに驚かされる。しかし、時代はすでに大きく移り変わっている。

 アンドロイドはその数字をじっと見つめた。

 周囲の人間には「ただじっと身分証明書を見ている」ようにしか見えないが、実際はデータベースに登録されている顔写真、名前、年齢、誕生日、職業、住所……等、身分証明書の持ち主に関する情報が事細かに現実空間に表示される。

 現実世界の空間に文字や画像・映像データが、遅延なく鮮明に映し出されるようになった初期は「ゲームや映画の設定に追いついた!」と世間を大きく盛り上げたものだが、今となっては日常生活に溶け込んで当たり前の技術となっている。

 黎明期、空間表示機能を持たせた眼鏡やコンタクトレンズなどを使用する「ファッションスタイル」がこの技術を人間たちに体験・布教する大きな役目を果たしたが、最近は"肉体を直接改造する"「インプラントスタイル」が流行っているらしい。ただこれは、「そうであった方が便利だから」という理由で既に機能の一つとして組み込まれているアンドロイドの彼女からすれば人間たちの流行の移り変わりなどは至極どうでもよいことであった。

 アンドロイドは全ての情報を流し読みした後、視界の一番下に映し出された一文に目を向ける。


 ――――machina-47の相棒パートナー

 

 machina-47は着ているズボンの尻ポケットに身分証明書をしまい、血と雨で湿る頭部の傷口にそっと左手の人差し指を滑らした。えぐれた肉の瑞々しさが、指を離してもなお残る。それからしばらく、彼女は彼女は自分の指の腹に付着した血をじっと見ていた。

 雨がその血を洗い流すまでずっとそうしているつもりかと思えば、抱きかかえていた死体をこれ以上傷つけぬようそっと地面に下ろし、machina-47は腰を上げた。

 作戦会議であらかじめ決められていた位置に駆け足気味で戻る。相棒が死んだ今、役立たずになったアサルトライフルだとかの武器類は全て放り捨てた。一切の武器を持たず、彼女は配置に着く。

 左手首に巻いた腕時計で現在の時間を確認し、この検問所での任務はいつ終わるのだったか思い出す。

 夜明けまで残り三時間と少し。


「こちらB-6。任務に戻る」

 

 無線は通じているのかどうなのかさえ不明であった。

 無線を切るノイズの後、ひと際強い風が吹いたかと思えばそれに釣られて雷が落ちた。雨合羽のフードを吹き飛ばすほどの風と雷による強力なフラッシュが暗闇に溶ける彼女の容姿を露わにした。

 容姿端麗な顔立ち。首の辺りで短く揃えられた黒髪の正体は人工頭髪で、多少雑な扱いをしても質が落ちることはないのだが「アンドロイドでも中身は女の子なんだから」と毎日のように丁寧な手入れを続けた誰かさんのおかげで、風に揺れても雨に濡れてもなお美しいものであった。

 彼女の青い目玉がどこまでも続きそうな道路の向こう側、果ては地平線のそのまたを向こうを見つめていた。 


 「ここから先は、死んでも通さない」


 彼女の口から独りでに零れたこの小さな呟きは、雨に溶けて消えていくのだった。

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