わたしと釣りと焼き魚と
桃波灯火
わたしと釣りと焼き魚と
「...ん、あぁ」
首が痛い。振動が伝わる度に、ズキっとくる。どうやら電車に乗ってから寝てしまったようだ。窓ガラスからは光が差し込み、中を照らしている。朝早いからか、私以外の人はいない。よって、非常に静かだった。
しばらくその時の中にとどまっていた。
「あっ、駅!」
乗り過ごしたかもしれない。小淵沢を過ぎていたら終わりだ。モニターを確認する。幸い、目的地はまだ二駅先。良かった。
「ふぅ」
駅を降りた。ここからは徒歩で行くことになる。
「おはようございます~」
たまにすれ違う人に挨拶する。結構な割合でジジババ。皆畑仕事だろうか。
少しの上り坂を進むと、桃の売店を見つけた。後で買おうと決め前を見ると、コンビニがある。そこの少し手前を曲がり、道なりに歩いた。すると、大きなため池があった。見てみれば、巨大な鯉が見える。
池の淵を道なりにすすめば、看板がある。
「やま吉」
そう書かれていた。友人の情報通りである。
「すいません~」
受付で声を掛けた。しばらくして、一人の女性が出てくる。
「大人で一人です。一時間半お願いします」
「うち、一時間間隔しかできないんです」
女性が申し訳なさそうに言った。
「そうですか。じゃあ一時間で」
財布を取り出す。
「分かりました。貸し出しは必要ですか?」
「じゃあバケツを一つ」
お金を払う。女性からいってらっしゃい~と見送られながら、階段を降りた。
敷地内は森に囲まれて降り、非常に涼しい。木々の間から差し込む光が、体を照らした。
「おぉ」
思わず声を漏らす。凄く幻想的だ。釣り場は主に二つ。下側の区画に腰を下ろした。
釣竿を伸ばし、糸と針を取り付ける。バケツに水を入れ、足元に置いた。餌箱からぶどう虫をつまみ、針に刺す。しかけをゆっくりと、そして遠くに投げ落とした。
ぽちゃんっと音を立て、浮きが水面へ。餌が下に沈んで行くのが見えた。
風と太陽によって、水面がキラキラしながら波打っている。正直浮きが見づらい。
「……それが良いよね」
釣りづらい状況でこそ、釣れた時が嬉しいのだ。
竿をクイッと動かして、餌にイキイキさを与える。その後暫時の静寂。浮きが沈んだ!
「っ!」
その瞬間に釣竿をあげる。水の中で霞んだ浮きが、水を切って浮かび上がった。それに続いて一匹の魚が出てきた。足元に置き、素早くタオルで目を塞ぐ。
動きが鈍くなった魚の口を開け、針を取った。
腹は白く、背は赤茶色。そこに淡い紫、雪のような斑点模様。これはイワナだろう。
「とりあえず食えはするな……」
あとは家族と友人の分。ここから釣れないと悲惨だぞ……。
気合いを入れて釣ろうと思い、しかけを入れた時だ。
「お父さん~。お母さん~。お魚いる~?」
子供の声がした。若い家族が来たようだ。夫婦揃ってレンタル竿を持っている。微笑ましい家族のシーン。子供が可愛い。
「おっ、掛かった」
子供が見れて二匹目も釣れた。今日は得したな。
ピークが終わり、魚が釣れにくくなってきた。そんな時、カランカランと鈴の音が聞こえてきた。若い男性スタッフが大きな容器を持ってやってきた。そしてそのふたを開ける。どうやら魚の追加らしい。
「魚! 魚!」
子供がはしゃいでいる。近くに寄って行って、父親に支えられながらしかけを垂らした。
だがしかし、魚は釣れない。だんだんと子供の顔が不機嫌そうに歪んできた。
「うっ、う~」
とうとう泣き出した。その様子から察するに、まだ一匹も釣ってないらしい。両親が慰めるが、一向に泣き止む気配はない。
そんな時だ。家族の後ろから男性スタッフがやってきた。
「どうしたんだい。何があったの?」
「あのね、あのね、お魚が釣れないの」
スタッフの問いかけに、涙目で返す。
「そうなんだ。じゃあお兄ちゃんが教えてあげる」
「ホント?」
「あぁホントさ。さぁ、やろう?」
スタッフの優しい声に、子供は泣くのをやめた。「うん!」と大きく返事をした。
時計を見てみる。どうやら三十分くらいたったようだ。釣果はニジマスが5匹、イワナが一匹。家族と友人分を含めても十分な量だ。
「……」
そういえば、ここではセルフで魚を焼けると言っていたな。周りをきょろきょろしてみる。
トイレの向かい、張り紙があるのを見つけた。一匹三百円で焼けるようだ。
釣竿を手早く片付けてしまう。魚をつかむために持ってきた雑巾を湧き水で洗ってしまう。とても冷たかった。手が芯から凍ってしまいそうだ。
「すいません、魚を焼きたいんですが」
施設内で巡回していたスタッフさんに声をかける。
「わかりました! 一匹三百円ですが、大丈夫ですか?」
元気なスタッフさんだ。はきはきしゃべっていて気分がいい。
「はい、構いません、よろしくお願いします」
「こちらこそー」
まな板にニジマスを乗せる。六匹の中から選んだのは一番大きいニジマス。文字通り体が虹色に輝いていて美しい。
「よし」
包丁の刃を頭に向け、お尻の穴に包丁の先端を入れる。このまま顎? までツーっと刃を入れれば、はらわたを取ることができるのだ。
腹を切るときに自分の手を切ってしまっては元も子もない。左手でしっかりニジマスを抑える。
とても柔らかい身だ。力を入れすぎるとつぶれてしまうそうなくらい。こいつは今日、自分が釣り上げた中で一番うまくいったものだ。ウキが沈んだ瞬間、間髪入れずに竿を引く。針は口元に引っかかっていて、手で直接抜くことができた。
そしてスカリに入れておけば新鮮な状態を保っていられる。今、食べるにふさわしい最高の状態といえる。
刃を握る手に力を入れる。ハサミで紙をサーっと裁つような感覚。とても気持ちがいい。
顎? のすぐ下に柄杓のような形に折り曲げた人差し指を差し込む。そしてはらわたをこそぎ取るように尾びれの方まで手を動かした。
「ふぅ……」
下準備はもう少しで終わり。一息ついていると、良い匂いがしてきた。これは、炭の匂いだ。
三百円で炭火焼き。たまらない。炭の方はスタッフさんが用意してくれるとのことだったのでお願いしていたのだが、いい匂いがしてきている。
「すいません、大丈夫ですか?」
こちらが匂いに気づいたのを見たスタッフさんが話しかけてきた。風向き的にこっちに煙が来る状態。
「大丈夫です、炭のおかげでさらにお腹がすいてきました」
さて、最後の準備だ。
背骨裏についている血を指先でこそぎ落としていく。ここで力を入れすぎて、背骨周りの身を気づ付けないのがミソだ。
このポリポリ感が癖になるんだよなぁ……。
「炭、準備できましたよ」
スタッフさんがうちわを持ってやってきた。体中から炭の匂いがする。
「ありがとうございます。こちらも準備できました」
さばいたニジマスを持ってスタッフさんについていく。案内されたのはいけす横だった。このいけすはお客に向けて放流される前の魚たちがいる場所だろう。
「よし……」
どうやら立って焼くスタイルのようだ。
炭を見てみる。用意された炭はすべてがオレンジ色に光り輝いていた。熱が少し離れたところからでも感じられる。たった一匹の為にありがたい限りだ。
ゆっくりとニジマスを網の上に置く。水がしたたり落ちてじゅわっと音が鳴った。
短い感覚でニジマスを網から離す。皮が網に付かないようにするためだ。炭火焼きはこれに気を付けないと悲惨なことになってしまう。
「もちろん塩焼き……っと」
ニジマスをひっくり返す。
いい具合だ。黄金色の焦げ感は食欲を増進させる。油がしたたり落ちて輝いていた。
匂いを嗅げば自然の匂い。具体的に何かと言われると答えようがない。とにかく、良い自然の匂いだった。
こちらの面も何回か網から離す。しばらくして身に塩をかけた。
「おぉ」
皮の上で塩が焦げていくのが分かる。焼けたニジマスと同じく、黄金色に輝いていた。
頃合いを見て網からはがす。皿に置けば煙が立ち上り、焼けた匂いがダイレクトで襲ってきた。濃密な匂いだ。おなかがぐぅっとなった気がした。
「いただきます……」
箸でキレイに一口分にして食べる。柔らかい白身だ。繊細な身の味とワイルドさが同居している。ワイルドさは焼けた皮のおかげだろうか。
噛めばほろほろと崩れていく身は儚い。もう終わってしまうのか? という気分になってしまう。罪な焼き魚だ。
箸がどんどん進む。頭をつかんで尾びれの方に引っ張った。背骨が簡単にとれてしまう。気持ちがいい。
背骨裏の上側は特に実が厚い。下側は内蔵部分。今回は抜いてしまったからあの苦みは味わえない。
……家では内蔵アリにするか。
「いただきます」
あらためて、だ。『ソロ焼きニジマス』、罪な響きだね。
「どうでしたか?」
「おいしかったです。ありがとうございました」
スタッフさんが炭の処理をしながら尋ねてきた。こちらは帰り支度をしながら返事をした。同時にあの味を思いだす。
またお腹がすいてきてしまった。もう一匹食べてしまおうか……。
だめだだめ、家族と友人分がなくなってしまう。
「また来ますね、ありがとうございました」
スタッフさんに挨拶をして立ち上がる。
「はい、また来てくださいねー」
スタッフさんの言葉を受けながら出口に向かう。
「釣れなーい、暇ー」
出口の階段近く、あの家族はまだ釣りをしていた。二時間コースだろうか。ファミリー釣りの割には随分と長い。
ふと思い立ち餌箱を見てみる。まだぶどう虫が半分以上残っていた。
……500円で一時間、使い切れる量じゃないんだよな。
その家族の元へ行って話しかける。
「すいません。これ余っちゃったんで使ってください」
声をかけられた父親はびっくりしたようだ。そしてその提案に首を振る。
「そんな、申し訳ないですよ」
「いえいえ。ほら、お子さんのために使ってあげてください」
釣り界隈では割とよくあることだ。管理釣り場で隣になった人とは長時間を共にする。良好な関係と作って暖かい空気をつくることは日常茶飯事だった。なにより楽しいね。
父親は私を見て少し迷うそぶりを見せた。
「えさ? ありがとうお兄さん!」
子供が持っていた釣竿をほっぽり出してやってきた。持ち主不在となった釣り竿を慌てて母親がつかむ。
「ありがとうございます」
その姿を見た父親は、ぶどう虫を受け取った。
あらためて身支度をし、荷物を一式抱えて階段を登る。その途中だ。
「釣れた!」
子供の嬉しそうな声がした。どうやら釣れたらしい。良かったねと、心の中で呟いて階段を登りきった。
「今日はありがとうございました」
と声を掛け、
「お気をつけて」
と男性スタッフの声を背に、歩き出す。さっきより傾いた光を浴びながら、良い釣り堀だったと感じる。
耳に「ぽちゃん」と魚が飛び上がった音が聞こえた気がした。
わたしと釣りと焼き魚と 桃波灯火 @sakuraba1008
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