# 6. Under My Thumb

 依然としてルカとは連絡がつかないまま、バンドはなにもしないというわけにもいかず、リードヴォーカル抜きでツアーのためのリハーサルを続けていた。

 ルカはバンドのフロントマンとして取材を受けたり、ランキングで音楽を紹介する番組のためコメンタリービデオを撮ったりと、他のメンバーと比べると単独での仕事が桁違いに多い。その他にも映画にカメオ出演したり、ファッション系の雑誌や広告など、音楽以外の仕事も精力的に熟している。だからバンドはリードヴォーカル抜きのリハーサルには慣れていて、それほど問題はなかった。もちろんずっといないままでは困るが、とりあえずセットリストの曲目を固めるまでくらいなら、ルカ抜きでも支障はない。

 かといって、このままルカと連絡が取れないままでいいわけはない。ロニーは頻繁にルカと連絡をとろうと試みていた。しかし一向に応答も返信もないまま、さらに四日が過ぎた。

 これだけ連絡がとれなければ、本当ならもっと心配でいられなくても不思議ではなかった。警察に捜索願いをだすことすら考えていたかもしれない。しかし幸い、ルカの消息ははっきりしていた――エリーが毎日SNSで情報を追い、その足取りは手にとるようにわかっていたからだ。

 ルカはプロヴディフからソフィアへ、そしてソフィアからセルビアのベオグラードへと移動していた。スターのオーラが滲みでているのか、ルカはどこへ行っても目立つらしく、行く先々で写真を撮られているようだった。この様子だとこのまま北上してブダペストを経由しブラチスラヴァかウイーンにでも寄ったあと、プラハまで戻ってくるのではないかと皆は呆れながら云っていた。

 しかし、要らぬ心配をせずにすむというだけで、連絡がとれないというのは厄介なことには違いなかった。足取りは追えるのだからもう少し待ってみようか、それとも誰かに捜しに行ってもらおうか――と、ロニーがそんなことを考えていた矢先。

「はい、ポムグラネイト・レコーズです。……え、ルカ!? ちょ、ちょっと待ってください――」

「え、ルカ?」

 最近は鳴る頻度も減ってきた事務所の固定電話をマレクがとった。はっとして、ルカ? ルカからなの? と、表情と口の動きだけでマレクに確認する。エリーも顔を上げてこっちを見ていた。

 マレクはこくこくと首を縦に振りながら、保留ボタンを押して受話器を置いた。

「ルカからです」

 やっとルカから電話が――しかし、どうしてモバイルフォンのほうにかけてこないのだろう? ロニーは不思議に思いながらも受話器を取り、点滅している外線のボタンを押した。





「――ルカと連絡がとれたわよ! 今まだベオグラードにいるって」

 スタジオに籠もっている皆のため、ロニーはアメリカンダイナー風のレストランでクラシックバーガーとチーズ&ベーコンバーガーをそれぞれダブルで、フレンチフライとオニオンリング、サラダのついたセットとコーヒー――ひとつはカフェラテ、ひとつはミルクティー――を人数分テイクアウェイし、スタジオにやってきた。

 ドアを開けるなりいつもの大音量と、耳慣れない歌声が耳に飛びこんでくる。誰が歌っているんだろう? と、三つのペイパーバッグをぶら下げ中に入ると、ローディのエミルがマイクスタンドの前に立っていた。ロニーは床をのたくっているケーブルに躓かぬよう、注意しながら足を運んだ。

 楽器や機材を繋ぎ、スタジオ中に張り巡らされているケーブルは、まるでバンドという生き物の血管のようだ。処狭しと置かれているアンプや楽器とスタンドの類、エフェクターボードなどを避けながらぽっかりと空いている中心部分まで進むと、ロニーは持っていたペイパーバッグのうちひとつを『Gibsonギブソン』とロゴの入ったスツールの上に置いた。

 エミルはベーステックとしてテディのベースギターやアンプなどのセッティング、メンテナンスを担当している重要なスタッフである。ロニーの顔を見て演奏は中断されたが、少し聴いた限りではなかなかいい声をしていて、悪くなかった。へえ、と意外に思っていると、エミルが両手にスツールを持ち、こちらに運んできた。ロニーは「ああ、ありがと」と云って、まだ手に持っていたバーガーやサラダの入ったペイパーバッグをそこに置いた。

「ルカと話せたんですか? で、帰ってくるって?」

 キーボードの上から身を乗りだすようにしてジェシに尋ねられ、ロニーは「それがね」と眉間に皺を寄せた。

「とりあえず、連絡がとれなかったのはプロヴディフでスマートフォンが壊れたからだって云ってた。なんか、誰かにぶつかられて落としてたみたいって……で、適当な機種を買ってSIMシムを入れてみたけど繋がらなくって、もう帰ってからでいいやって諦めたんだって」

「ルカらしいですねえ」

「電話は滞在してるホテルからだったわ。早く帰ってきてリハーサルに参加してって云ったらそんな気になれない、もうちょっとあちこち周りたいとか云うんで困っちゃって……。で、とにかく連絡がつかないのは困るって、ホテルの名前と部屋番号を訊いたんだけど、そしたらテディと話したいって――」

 そう云ってロニーはテディを見た。テディは愛用しているレイクプラシッドブルーのジャズベースを抱えたまま、ベースキャビネットの傍で煙草を咥え、火をつけている。

「ルカと、話してくれる? テディ」

 切実な思いを込めてそう尋ねると、テディは「いいよ」と短く答えた。ストラップを外しベースを下ろすテディにほっとしながら、ロニーはスマートフォンを取りだした。

 ホテルに電話をかけ、「601のスイートに滞在しているブランドン氏を」と繋いでもらう。ルカがでたのを確かめると、ロニーは「ルカ? ロニーよ。今テディに替わるわね」と、テディにスマートフォンを渡した。

「ルカ? 俺だけど」

 いつもどおりのその淡々とした口調に、先日のあの画像のことはもう気にしてないみたい、とロニーは胸を撫でおろした。これで諸々の心配事もなくなりそうと安心して表情を緩め、ジェシやユーリとも視線を交わす。

 だが――

「バンドのことは気にしないで、ゆーーっくりどこでも観光してくればいいよ。いっそのことファンの子たち侍らせて、スイートで乱交パーティオージィでも愉しめば? なんだから誰にも気兼ねすることないし。あ、ツアーはエミルにヴォーカル担当してもらうことにしたから、安心して。じゃ」

 一息に云い、テディが電話を切る。気を緩めたばかりだったロニーは目を瞠り、はい、と差しだされたスマートフォンを引ったくるように受け取った。

「ちょっとテディ……!」

 テディはしれっとして煙草を吹かしている。なんてこと云うの、嘘でしょう、本気じゃないわよねと思わずエミルの顔を見る。するとエミルは知りません違いますと云うように首をぶんぶんと横に振った。ユーリもドリューも、やれやれといった様子で苦笑を浮かべている。

 バンドの総意ではないとわかって安心するも、しかしテディはルカのあの画像や、プロポーズの撤回のことをまだ根に持っていたのだと頭を抱える。いつも物静かでおとなしい、ついつい庇って護りたくなるようなイメージのテディなのに、偶に怒るとこれほど執念深いとは。

 そんなことを思っていると、ふっと笑みを浮かべたテディと目が合った。

「そんな顔しないでロニー。これで、ルカはもう明日にでもすっ飛んで戻ってくるよ」

「えっ――」

 そう云ってテディは、スツールに置いたペイパーバッグの中からバーガーセットが入った袋と印の付いたドリンク、ガムシロップみっつを抱えると、ずっとドラムスツールに坐ったままのユーリに向いた。

「ユーリ、屋上で食おう」

「お? おう」

 立ちあがり、がさがさと自分のぶんを取りだしてスタジオを横切るユーリをなんとなく見つめていると、彼はちらりとこっちを見てひょいと肩を竦めた。

 過ごしやすいこの時候、ふたりは天気の良い日など、よく屋上に出て休憩するのだ。滅多に誰かが上がってくることなどない場所なので、ゆっくりとジョイントを吹かしたりもしているようだが――ロニーはテディとユーリがふたり揃ってスタジオを出ていくのを見送り、まったくもう、と溜息をついた。

 そして、彼らに倣うようにドリューとジェシがランチを取りに来ると、ロニーはふと思ったことを独り言のように呟いた。

「ねえ、ルカはフロントマンだけど……、ジー・デヴィールのリーダーって誰だっけ」

「えっ、ユーリでしょ? 僕ずっとユーリだと思ってましたけど」

「バンドを作ったのがユーリだから、リーダーもユーリってことにしてたはずだが……うちの要はテディだな。音楽的にも、それ以外の意味でも」

 なにしろフロントマンとリーダー、どっちも尻に敷かれてるからな……とドリューが云う。

 ロニーは思わず、美しい鳳凰フェニックス牡丹ピオニーのタトゥーを背負ったテディが、文字通りルカとユーリを尻の下に敷いている図を思い浮かべてしまい――赤面しながらぶんぶんと頭を振った。




       * * *




 そして翌日の朝。

 いつものとおりツアーリハーサルのため、スタジオ前にユーリ、ドリュー、ジェシ、テディと、それぞれのクルーたちが集まった。ドラムテックのイジーとギターテックのヤンが両開きのドアを大きく開け、ユーリがスタジオ内に入ろうとして、ふとその人影に足を止める。

「おい、フェアウェルツアーってどういうことだよ。いくらなんでも冗談きついって」

 人影――スタジオの中心で胡座あぐらをかいていたのは、ルカだった。

 ルカは真新しいスマートフォンから視線を上げた。そして、不意をつかれて立ち尽くしているバンドメイトにそう云うと、ゆっくりと立ちあがり――

「セットリストは見た。とりあえず通してやるぞ、咽喉のどはできてる」

 きりりとした表情でルカが云った。ジー・デヴィールのフロントマンとして愛想を振りまいているときとも、へらへらとやに下がって写っていた『観光中のセレブスター』とも違う、真剣に音楽に取り組むリードヴォーカリストの貌だ。

「よし、じゃあ始めるか」

「ルカがいるとやっぱり気が引き締まりますね!」

「ったく、戻ってきていきなり仕切ってんじゃねえよ」

 それぞれルカに一言ずつ云って、持ち場につく。エミルやヤンたちもさっと散り、てきぱきと音のチェックなど演奏の準備を始めた。

 そして、マイクスタンドの前に立ったルカの脇をテディが通り過ぎようとしたとき。

「……いろいろ話すべきこともあるけど、まずは仕事優先で」

「うん。俺もちょっと考えてることあるし、今はバンドのことが先だね」

 ルカの言葉にそう返し、テディはベースキャビネットのほうへと歩いた。

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