# 5. Travellin' Man
「みつけた」
その声が聞こえた瞬間、ロニーは一瞬途惑ったように視線を彷徨わせた。
同じくなんのことなのかと首を捻っているドリューと顔を見合わせ、そして声のしたほうを向く。同時にジェシがすくっと立ちあがり、片隅のデスクに向かった。
デスクでは小柄なエリーが、デュアルモニターにすっぽりと隠れながらキーボードを叩いていた。エリーはショービジネスとは切っても切れないウェブに関する一切を引き受けてくれている、ギークな女性である。普段はもうひとり、ロニーの補佐的な役割を担うターニャという有能で温和な女性がいるが、いまは二人めの子供を授かったばかりで大事をとり休暇中だ。
ロニーはなんとなくジェシを目で追った。彼はエリーの背後にまわり、椅子の背に手を置いてディスプレイを覗きこんだ。
「目撃情報ですか? いつの?」
「日付は昨日。でもこれ……どこだろう」
その会話が気にかかり、ロニーもエリーのデスクに近づいた。「えっ、目撃情報って……ひょっとしてルカ?」と、顔をだして画面を見る。それを聞いてユーリも倣うように席を立ち、エリーの背後に立っているジェシに並んだ。
「捜してたのか。SNSで目撃情報が?」
「ルカ、もし遠くに出かけたのなら、目立つからきっと誰かが呟くと思った。当たりだった。でもどこなのかが書かれてない……撮った場所が地元なのかも」
「本当だわ。これルカよね……そっか。確かに私も自分の住んでいるところのことは伏せて呟くわ。これ……商店街かしら。でも、チェコじゃないわね、ハンガリー?」
ドリューもやってきて、反対側から画面を見た。エリーは別にウィンドウを開いて、かたかたとキーボードを叩いている。
「うん? これは……なんだかアジアっぽくないか? ほら、ここに小さく写っている皿とか。こっちのランプみたいなのとか」
「エリー、画像を拡大してみてくれ。……やっぱり。ここに写ってるのは
拡大してみると、アーチ型の屋根の美しさに目がいった。ペイントなのかタイルなのか画像でははっきりしないが、装飾は確かにエキゾチックだ。通路の両側にはなにやら天井近くまで商品が展示されていて、市場らしいその場所は人の往来も多いのだろうと窺える。
するとエリーが、新たに画像を開いた。
「もうひとつみつけた……今日の日付。ルカの服装が違うから、いまのと同じ場所じゃないかも。でも、この景色にはなんとなく見覚えがある……有名な観光地?」
気になったのか、テディもそろそろとエリーのデスクに近づいてきた。ユーリの後ろから覗きこむように顔をだし、画面を見る。小さく開かれたいくつものウィンドウは、最初にみつけた画像とたったいま開いた画像が、左上から並べられている。
画像には澄みきったペイルブルーの空と船の停泊している
「モスク……ああ、見たことのある景色だな。行ったことはないが……どこだったろう」
「なんか手に持って食べてる人もいますね……ホットドッグ?」
「これ、
ロニーは頭に手をやった。有名な場所だとわかっているのに、喉まで出かかっているその地名が思いだせない。エリーは別に開いたウィンドウで、まだなにか検索をしている。ユーリもジェシもなんとなくわかってはいるようだったが、ロニーと同じく都市名まではでてこないようだ。
すると、テディが云った。
「ホットドッグじゃない、鯖サンドだ。有名だろ、ガラタ橋の鯖サンド。イスタンブルだよ」
「それだ!」
喉につっかえていたものがとれたように、皆が一斉に声をあげる。
「そうよ、イスタンブルだわ……えっ、でもイスタンブルでルカはいったい、なにをしてるの?」
「さあ」
「観光……にしか見えませんけど」
「プロポーズを撤回してひとりで観光? このツアー前の時期に?」
なんとなく皆が揃ってテディに視線を集める――テディは困ったように肩を竦め、ゆるゆると首を振って背を向けた。そのとき。
「またみつけた。このアカウント、たくさん撮ってる。プロフィールに『I♥ZDV』って。ファンみたい」
そう云ってエリーがSNSに貼られているその画像のみを開いていき、画面に並べた。どの画像にも観光地らしき美しい景色をバックに、白いスーツを着てサングラスをかけ、トートバッグを肩に掛けたルカが笑顔で写されている。
「建物、カラフルね。なんか可愛い……イスタンブルじゃなさそう」
「いや、旧市街にこんなふうなところがあったはずだぞ」
「バラト地区だろ。でもここはなんか違うように見えるな」
「こっちの画像は同じ場所か? ごちゃごちゃしてるが雰囲気はプラハと似てるぞ」
「それよりもこれ……イタリアにも似たのがあるわ。ローマ劇場の遺跡よ」
そう云うと、エリーが鮮やかなタイピングで『ローマ劇場 遺跡』と入力し、ウィキペディアの『
「これ。フィリッポポリス古代競技場跡……プロヴディフ。ブルガリア」
「ほんとだ。ここですね」
「プロヴディフ……やっぱり観光してるように見えるわね」
「楽しそうだな」
このアカウントの主なのか、ファンらしき女性と一緒に撮った写真もあり、ルカはどれも笑顔で写っていた。テディはなんだか呆れ返ったように「もういいよ」と、溜息とともに呟いた。
「もう放っとけばいいって。あちこち観光して、気分転換してるんだろ。気が済んだら戻ってくるよ」
確かにテディの云うとおりかも、とロニーは思った。何度となく喧嘩ばかりしているふたりのことだ。ルカも収め方は心得ていて、それが今回は旅行だったのかもしれない。プロポーズの件はどうなるかわからないが、やはり外野があれこれ気にかけないほうがいいのかもしれない。
そんなことを考え、テディがやれやれとソファのほうへ歩くのを見つめていると――
「うわあ……」
ジェシが漏らした声に、ロニーはまた画面に向いた。――そして、目を丸くした。
ジェシの声になにかを感じとったのか、テディもまたデスクのほうに戻ってくる。
「……なんだ?」
「なんでもないですよテディ!」
いかにもなにかありそうなジェシの言い方に、ロニーは酸っぱいものを頬張ったような顔をした。ジェシもルカと同じで嘘のつけない性格なのだ。小首を傾げながらテディがユーリを押し退け、さっきの位置に戻る。が、エリーは素早くさっきまでたくさん開かれていたページや画像をすべて閉じていた。だがこれではますます怪しい。
「さ、さあ、もう仕事に戻って! あんたたちも、ヴォーカル抜きでも演奏はできるでしょ、しっかりリハーサルを――」
「いや、なんか今みつけたんだろ? それだけちょっと見せてよ」
「なんでもない。もう閉じた。仕事しないと」
エリーもロニーに調子を合わせてくれた。しかし。
「エリー、テディに見せてやれ。この場だけ隠しても無駄だ」
ユーリが云った。……確かに。その気になればテディも自分で検索して、いまの画像を探し当てることはできるだろう。ロニーももう、なにも云わなかった。
エリーはジェシと顔を見合わせ、しぶしぶといった様子でブラウザを開き、履歴のなかからひとつのURLをクリックした。
――サーモンピンクの建物が並ぶ街並みと、その地下部に見える遺跡。それを背景に、大勢の女の子たちに囲まれているルカが楽しそうに、大きく口を開けて笑っている。ルカと密着しているブロンドの派手な若い女性は、腕に巻きつくように両手を絡めルカの頬にキスをしていて、反対側にいるたったひとりの若い男性も、ルカの肩に手をまわし嬉しそうな顔で
ロニーは恐る恐るテディの表情を窺った。
テディはすぅっと顔から感情を消し去り――そして、にっこりと口許に笑みを浮かべた。
ロニーは思わずひっと声をあげそうになった――中性的で欠点のない美しい顔が浮かべるアルカイックスマイルは、凶悪なほど迫力があった。なにしろ、一見穏やかに微笑んでいるようだが、目が笑っていないのだ。テディは怒っている。彼の静かな怒りが伝わってくる。これはまずい。ルカあなたなんてことをしてくれたの、こんなテディは初めて見るわ、早く帰ってきなさいよああ怖い――と、そんなことを心のなかで唱えていると、テディがこちらを向いた。
「ああああああの、きっとルカ、おねがいされてしょうがなくファンサービスとしてこんな写真を撮らせてあげたのね! ほほほほら、ルカってフロントマンだから! 愛想いいから! それだけのことよテディ、気にしないで――」
「俺はちっとも気にしてないよ、ロニー」
そう云ってテディが微笑む。否、微笑んでいるかたちの仮面を貼りつけているのだ。
エリーはもう諸悪の根源である画像を閉じ、見てません聞いてませんといった態度でカタカタカタカタとひたすらキーボードを叩いていた。気づけばドリューもジェシも、下手に触らないほうがいいとばかりにじりじりと後退っている。
ええぇ……と顔をひきつらせながら、ロニーは助けを求めるようにユーリの顔を見た。だが、ユーリまでもがぼりぼりと頭を掻き、背を向けてしまった。
えっ、私だけ渦中に置いていかれたの? と思いながら、ロニーはテディの表情をもう一度、恐る恐る見たが。
「……もう一枚、ポスター作らないと」
どういう意味かわからず、厭な予感を覚えながらロニーは尋ねた。
「ポスターって……?」
テディは、冷ややかな笑みを貼りつけたまま、云った。
「『ジー・デヴィール、
「せっかくユーリとドリューが仲直りしてくれたのに!」
おねがいだから、それだけは勘弁してちょうだい……と、ロニーは額に手を当て、がっくりと項垂れた。
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