天津うどん……
宿木 柊花
第1話
昭和という時代が染み付いたような定食屋にいる。カウンター席とテーブル二つの小さな店。壁もメニューも長年愛されてきたという風格を持っている。
なかなか良い店を発掘したぞ。
散歩していて偶然入った路地で見つけた隠れ家的定食屋。
引き返そうとするオレを第六感と【
一瞬入るのに戸惑うほどの隠れ家感。看板も小さく表札、もとい蒲鉾の板サイズ。
友達の家へ初めて訪ねるような緊張を持ちつつ、そっと引き戸に手をかける。すると
「いらっしゃい。好きな席に座って」
という女将さんの威勢の良い挨拶に緊張が吹き飛ばされた。
「メニュー決まったら言ってくれればだいたい分かるから」
渡された年季の入ったメニュー表で【天津うどん】という見慣れない料理名を探すと、すぐに見つかった。この店のイチオシらしい。
単品と定食があるようだ。
周りを見ると皆、定食を食べているようだ。主食副菜汁物お新香。
どれも美味そうだ。
「天津うどん定食一人前お願いします」
久しぶりの発声で想像以上の大きさで注文を読み上げてしまった。
食事に集中していた人たちが一斉に見た。
手を上げて大人しく待っていればよかったと小さく会釈して謝る。
恥ずかしくなって水を一気に飲み干した。氷が入っていなくても水はひんやりとして、恥ずかしさで燃えそうな顔を優しく冷ました。
「大丈夫? 残りは持ち帰り推奨だから言ってね」
女将さんは即座に水を入れてくれる。オレはまだ顔が赤いのかと思い顔を伏せたまま、ありがとうございますと答えた。
待っている間【天津うどん】を想像する。
ただの天津飯のうどん版だろう。天津飯というもの自体がカニ玉を飯にのせたようなもの。
カニ玉乗せうどん。
さて、どう食べようか。かき揚げのようにかぶり付きながら食べるのだろうか?
妄想に耽っていると次々と料理が運ばれてきた。
まずは小鉢は三種類。
琥珀色の煮物、白い肌から朱が透ける温泉卵、星空のようなオクラともずくの酢の物。
そしてサラダに息を飲んだ。
レタスやキャベツなど葉物野菜が細切りにされた上にポテトサラダ、マカロニサラダ、玉子サラダが丸く盛られている。
その周りを小さな白菜のようなものが飾っていた。それはまるで大輪の花のよう。
丼で出てきた味噌汁に伊勢海老が半身浴。
お新香はキムチ、たくあん、ぬか漬け、浅漬け、ガリ、らっきょうの五種盛り。
そして、小さなご飯。
メインを忘れられたのかと不安になったときがようやく登場。
「天津うどんです」
深皿で運ばれてきたその見た目は想像通り、カニ玉乗せうどん。
箸を入れれば上に乗る玉子が抵抗もなくホロホロと砕け、下から細かい具材と細めのうどんが現れる。
すると、ホッとする和風だしの香りが立ち上ぼり胃がまだかと雄叫びをあげた。
一息でちゅるん、と
止まらない。あっさりとした天津うどんはみるみるなくなっていく。
途中速度を落とすために食べた煮物は味が染みまくりで煮物とは思えないジューシーさ。田舎の実家が恋しくなる味つけ。
一瞬で空になり、次に酢の物。トロリとしたうどんからネバネバ、うどんの出汁と酢の物の相性抜群でさらにスピードが上がる。
温泉卵はキープしつつ、お味噌汁。具沢山でもう説明できないくらいの幸せが溢れた。ただ、伊勢海老の香りと甘味プリッとした食感だけは後世まで語り継ぎたいと思う。
残り少なくなったうどんに残しておいた温泉卵を乗せる。
追い卵。あんかけの勢いがなくなった今、温泉卵でまとめてもらおうという算段だ。
〆は釜揚げうどん風。
温泉卵を崩して流れる黄身を観賞してから醤油を少し垂らす。軽く混ぜてまろやかになったうどんを流し込む。優しい。
「ごちそうさまでした」
帰り道、包んでもらったサラダとお新香を手に冷蔵庫に酒があるか思案する。
そしてまたたどり着くことを願った。
一日一度だけオレの第六感は幸せを見つける。今回のように。
多分オレだけではたどり着けないだろう。
オレは方向音痴である。
かれこれ一時間以上歩いている。家は何処にあるのか。
サラダを食べながらスマホを持って出なかったことを後悔する。
ポテトサラダは粗潰しでホクホクとサラサラが味わえてお得感がある。マヨネーズでこってりかと思いきや、塩コショウやコンソメで下味がしっかりしていて寂しさも紛らせてくれる。
「お前チコリって言うんだってな」
小さい白菜に一人呟いた。
パリっとして甘い新しい出会い。
天津うどん…… 宿木 柊花 @ol4Sl4
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