貯金箱

たくみ@もう食べられません

貯金箱

五年ほど前に死んだおばあちゃんは「とにかく優しくしなさいよ」と口癖のように繰り返した。

だから、いつだって優しく過ごしてきた。バス停のベンチの染みを拭いてやる。誰かが買わずに放置したコンビニの弁当を元の位置へ戻してやる。具合の悪そうな虫がいれば指ですくって道端の土があるところまで運んでやる。

子供の頃から繰り返してきた。


人にだって、優しくする。とにかく優しくしてあげる。並び順は譲ってあげる。高速道路の合流は他の人を優先してあげるせいで渋滞をなかなか抜けられない。クレーマーにだって嫌な顔は見せない。



その日からマンションの駐輪場に目立つ赤いスポーツ自転車が駐輪されるようになった。

スタンドがついていないので壁に寄りかかるように置かれているのだが、こちらの自転車に覆いかぶさるように倒れてきていた。

なので、覆いかぶさるその自転車を起こしてやって、バランスをうまくとらせてやりながら壁にハンドルを預ける。ついでに小石を持ってきてタイヤに当てて、タイヤが滑って動いてしまうのを防止する。

これでこの駐輪場の利用者全員と自転車に優しくすることができた。仕事に向かう。


次の日の朝、昨日と同じ光景が駐輪場にある。赤い自転車がこちらの自転車に覆いかぶさるように倒れてきていた。同じように自転車を立たせてやって、仕事へ向かう。

その次の日の朝も同じ光景があった。一週間続いた。少し考える。


もしかしたらこの赤い自転車の持ち主がこの事態に気付く機会を奪っていたのかもしれない。気づくことができないのだから、駐輪の方法を変えられない。当然のことに思えた。


では、気付いてもらうために今日は自分の自転車だけを引き抜いてここを後にしようか。でも、それは赤い自転車が倒れ込んできている他の自転車に優しくないように思える。気づいてもらうためだからと言って、見捨てることになるのだから。それも優しいことではない。


その日は歩いて仕事に向かった。

帰ってくると駐輪場の状態は元通りになっていて、壁には新しい貼り紙がされていた。

「赤い自転車の方、スタンドを装着してマナーを守った駐輪をお願いします 管理者」

なるほど、恐らく別の住人か管理者が今朝の状態を見たのだ。そうして、赤い自転車に乗る人に注意をしているのだ。


部屋に戻る。暗い玄関の電気をつけると靴箱の上の豚の貯金箱が照らされた。ブリキ製で、両手で抱えるくらいの大きさであった。

部屋の奥に進んで、物置を開けて引っ越しの時にしまいこんだ物を探す。しばらくして、ほこりを被ったケースが見つかった。ベッドの組み立て用に買った工具が入っていた。そこからプラスチックのハンマーを取り出して、玄関に戻る。

豚の貯金箱を玄関地面に置いてハンマーを振り下ろす。破片になって砕けたブリキと大量の小銭がばら撒かれた。砂浜の砂粒のように金属が擦れ合う。


優しいことをしたら小銭を入れるという決まりはいつから始めたのだろう。



次の日の朝、駐輪場に向かうとスタンドが付けられて自立した赤い自転車があった。

自分の自転車に鍵を差し込んでいると、後ろから声をかけられた。彼は赤い自転車の持ち主だそうで、知らぬままに迷惑をかけてしまったことを詫びてきた。気にしていないという気持ちを伝えて仕事に向かう。

帰りに雑貨屋で自転車を駐める。空き缶が風に押されて転がっていくのが見えたので、追いかけて自販機横のゴミ箱に入れてやる。雑貨屋の入り口にはサンタの貯金箱が売られていた。

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