認知的な不協和

海沈生物

第1話

「この世界の人類は、能力において平等であるべきだ」


 時は昔、初の第六感に目覚めた私の祖先ことロク=カーン氏は、そのような名言を残した。ロク氏は仏教・キリスト教・ヒンドゥー教・イスラム教等々、この世界に存在するありとあらゆる宗教を体験した末、その副作用なのかただの妄信なのか分からないが、「第六感」を手に入れた。

 のちにその能力は「その力を独占して然るべき国や企業へ売れば、世界一の大富豪への道は彼の掌中にある」とまで言われた。それほどかつな力であったにも関わらず、彼は無償で「伝染」させることに決心した。


 それはミームのようなものである。まず初めに伝染したのは彼の妻である。正直な話、妻は夫の数多の奇行を金持ちの道楽、あるいは麻薬の過剰摂取オーバードーズによって頭がイカレてしまったのだと思っていた。しかし彼の力が伝染すると一変、ロク氏の第一号の敬虔なる崇拝者となった。妻は彼の指示に従い、友人から見知らぬ人まで、その力を伝染させていった。

 そうして世界中の人々へ能力が伝わっていくと、やがて、ニュースではいつしかロク氏の素晴らしさを称えるものばかりが増えていった。そこでは通俗な通販番組のようなコメントがテレビでは流れ続けていた。


 そのように「過去」の歴史を追ってみると、私の祖先の経歴に傷の一つもない。まさに歴史的な英雄であるし、細かい記録を調べてみても、「気前の良い老人であった」という事実が浮かび上がってくるだけだ。……まるで、彼自身が「神」であったかのように。しかし「今」を見つめてみれば、そのような事実がひっくり返ってしまう。


 簡単に言えば、人々が自殺を起こすようになったのだ。彼らにはお互いにSNSで交流した履歴はなく、生身の身体で会って自殺をしたわけでもない。ただ特定の日にち、特定の時間。一斉に彼らは自殺したのだ。実際に死亡した時間はそれぞれであるし、一部植物人間状態でありながらも、致命傷に至らなかった者もいる。しかし自殺未遂であれ自殺であれ、人知を超えたことが起きているのは確実であった。ここまで来れば分かると思うが、そこで疑われたのが「第六感」である。


 既にロク氏は死んでおり、第六感にそのような能力があるのかは聞くことができない。だからこそ、疑念は世界中に広がった。この集団自殺は一度ならず、月に一回の頻度で、世界のどこかで起きている。人々は怯え、子どもが自分の見ていない場所で自殺を起こさないよう、過保護になる親も増えた。

 勤めている職場の元同僚の子どもが死んでしまっていることもあって、ロク氏の孫である私へのあたりは悪くなった。お前が何か知っているのではないか、お前がこの出来事を起こした張本人なのではないか。クソったれ女、死ね、ゴミ、カス野郎。ドラマのいじめシーンでよくあるような、雑な誹謗中傷や露骨に聞こえるように言った陰口が、私へと投げつけられた。


 何度も死のうと思ったが、同時に一つの逆転の可能性も胸に抱いていた。彼らとて疑心暗鬼の中、不安なのだ。であるのなら、私がその不安を取り除いてあげることができたらいい。そこで数日の有休を取ると、自殺者の家族の元を尋ねていった。多くは酷い言葉と共に門前払いをされたが、何件の心優しい家族は私の調査に答えてくれた。その結果、どうやら自殺者たちは共通の「悩み」を抱えているという事実が浮かび上がってきた。


 例えば、ジュウニオク=カーンという大学生の両親に聞いた話では、彼は元より変わった子だったらしい。事件の二日前も悩んでいる様子だったが、いつものことだと放っておいた。しかし、あまりにもうーんうーんと悩む声がうるさいので、そこで両親が「ジュウニオク、どうかしたの?」と尋ねた。すると目を震わせて「違う!」と言った。両親を突き飛ばすと、突然命を絶ってしまったという。

 一体何を悩んでいたのか。いくら第六感があるとはいえ記憶を見透かせるわけではないので、両親も分からないそうだ。そもそも第六感自体が「分かる」範囲が異なるので仕方がない。それは肝臓のアルコール耐性が人によって違うことと似ている。


 調査をまとめたレポートを眺めながら職場の事務椅子を回転させて悩んでいると、不意にその勢いが止められてしまった。むっとした表情で顔を上げると、眼鏡をかけた理系人間……ジュウイチオクゴセン=カーンがいた。私のまとめたレポートを取り上げると、はぁと溜息をつく。


「よくもまぁ、こんなレポートを作りましたね。自分の仕事は一ミリも進捗が進んでいないのに」


「有給中に作ったものだし、無理な取材も行っていないし。せ、正当な権利だよ! それとも有給があったとして、休んでいる間ですら会社のことを考えて行動しないといけないの? あぁん?」


「”あぁん?”とか、昭和のヤンキーですか。文句を言う暇があったら働く。というか今は有給中ではなく仕事中なので、余所見せずに働いてください。何のための”第六感”ですか?」


「何のため、って。”平等である”ための第六感じゃないの?」


「そういう意味じゃないです。最初はそうだったかもしれませんが、今の第六感は便利な”道具”です。確かに集団自殺事件の疑惑はありますが、そうであったとしても、使えば仕事の効率が上がることは確実なんですから」


「でもさぁ、第六感ってそんなに便利な道具なのか……あっ」


 眼鏡の同僚はくるりと背中を翻すと、「仕事がありますので」と言って去った。残された私はレポートを再度見直すと、溜息をつく。

 さっき、同僚は第六感を「道具」と言っていた。しかし、本当にそうだろうか。洗濯機なんかの新旧三種の神器とは違って、第六感は私たちの肉体に付属した機能なのだ。それが今まで私たちの人格や肉体になんら影響をもたらしてというのは違和感がある。あるいは、全ての人類が気付かない内に、第六感によって人格を書き換えられたのだろうか。


 そうこう考えている内にお昼休みを告げるチャイムが聞こえてきた。大急ぎで職場のあるビルから出て行くと、そのままコンビニへと向かって、葡萄パンとコールスローサラダを買った。職場の仕事はサボっていてもお腹はペコペコなので、食べられる時に食べておきたいのだ。

 ビルの前にある適当なベンチに座ると、葡萄パンの袋を開けた。中から芳醇な香りが……とそれっぽい脳内食レポをしようと思っていると、私の頬っぺたにアイスの棒が当たる。こんな真冬なのにどうしてアイスなんかと顔を上げると、そこには先程の同僚がいた。アイスが大量に詰め込まれたレジ袋を見て「うわっ」と声を漏らすと睨み付けられる。委縮したまま、ベンチの隣をどうぞと明け渡した。

 アイスを異様なスピードで食べている姿に圧倒されていると、三つ目のゴリゴリくんに口をした所でこほんと咳ばらいをした。


「さっきの話の続きをしますが。あれから少し考えてみましたが、あの集団自殺事件を起こす方法が分かりました。ロク氏の方法を応用したんです」


 そういって、私にホッチキスで留めた書類の束を渡してくる。ペラペラとめくっていくと、分かりやすい解説と段落によって証明や考察がまとめられている。私の適当な箇条書きのレポートと違って、ちゃんと大学のレポートっぽい。目を輝かせる私に眼圧を送ってくる。背筋が伸びた。


「読んでもらったら分かると思いますが、SNS上に伝染を誘発する何かを設置したのではないでしょうか。あなたの調査結果を見る限りでは、その伝染に引っかかた子どもたちがその影響を受け、悲惨な結末を迎えたのではないでしょうか」


 その答えにとてもすっきりした。それもそうだ。別に伝染するというのは祖先の不思議なパワーではない。世界には億を超える人間が存在するのだし、その中でロク氏と同じような「伝染の方法」を掴んだものがいてもおかしくはない。ただあまりにもそれが危険かつ有用な力であるため、秘密裏にしているのだ。納得したらとてもすっきりした。いつの間にか昼ごはんが終わる時間まで、あと十分しかなくなっている。いつの間にかアイスを食べ終えている同僚の姿に焦りを感じながら、私もパンを齧りはじめ……の前に、言うべきことがあった。


「ありがとうございます、”ジュウイチオクゴセン=カーン”さん!」


 お礼をちゃんと伝えるというのは、社会人として当然の行為だ。祖先であるロク氏からもよく叩き込まれた。しかしその瞬間、同僚は目を震わせ、持っていたアイスの某を地面に落とした。


「ち、違う……違うわ! そうじゃない、そうじゃなかったのよ! 私たちは……いいえ、私は! そんな、みたいな”名前”じゃない!」


 狂ったように暴れ出す同僚にあたふたとしていると、周囲にいた人たちも集まってきれくれた。なんとか暴れるのが止まったのかと思った時、同僚の口から血が垂れた。まさかと思って口の中に手を入れると、既に舌が嚙み切られていた。右手にべったりと付いた血の痕に血の気が引くと、私もその場で倒れてしまった。


 結局、同僚はそのまま死んでしまった。私はお葬式の場と警察署で、それぞれご両親と警察に会って当時の状況を話した。結果として罪に問われるようなこともなかったが、ご両親からは「お前が殺したんだ! 何かしたんだ!」と叫ばれてしまった。今でも心に傷痕として残る程度には引き摺っている。

 あれから仕事は辞めた。祖先が遺した膨大なお金によって生活に困るということはなかったが、あれから、マスコミや野次馬が家の前に集まるようになった。やかましくて気が狂いそうだ。私は所詮孫でしかなく、それ以上は何も知らないのに。

 今日も布団の中にこもっている。いっそ、この世界の人間なんかになってしまえばいいのに。枕の中に籠りながら、ふと祖先が死ぬ直前に遺した言葉を思い出す。


『認知こそが、世界を変えるのだ。第六感とはつまり』


 その先の言葉を思い出した瞬間、私は舌を嚙み切っていた。

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