東野圭吾は積ん読のまま

猿川西瓜

お題 第六感

 僕は毛布がかけられた段ボール製の椅子に座りながら、初恋の女が好んで飲んでいたとされるギムレットを頼んだ。

 いわゆるアングラバーに僕はいた。

 理由はただ一つ。

『アングラ女性』に憧れていたからだ。アングラバーに出入りする女。『理解ある彼』ならぬ『アングラの女』。想像するだけで僕の心はときめいた。「彼女」にできるなんてそんな大それた事は言わない。せめてちょろりと会話がしたい……少し前に初恋に敗れた僕の切なる願いであった。要するに、単に人恋しいだけであった。


 バイセクシャルを名乗り宮沢賢治が好きなマスターが出す酒はすべてが濃かった。四〇代くらいで、好きな男性のタイプは島田紳助という。彼が出す酒は、とてつもなく分量を間違えて濃くなったギムレットだ。飲む前に、香りでその濃度の高さが分かる。ちびりちびりと酒をすすりながら、これもまた初恋の女が吸っていたタバコを僕は吸う。アーク・ローヤル・スイートだ。口の中に、甘い香りが残る。高いタバコは吸っても吸っても吸い終わらない。


 チリン、と音が鳴り、ドアが開いた。秋だと思っていたのに、冬を思わせる冷たい風が吹き込んだ。

 男が入ってきた。太い首に巻き付いたマフラー。ダウンジャケット。巨漢であるが、柔らかな物腰だった。

「数の子ちゃんじゃ~ん」とマスターが言った。

 数の子と呼ばれた男は「くっせえバーねえ。ああ、臭い臭い」と言ってカバンから取り出した香水をまき散らし始めた。

「くっせえ、くっせえ」

 そう言いながら、僕と目が合い「あら、ひさしぶりー」と言った。

「いや……」

 僕がポカンとしていると、「あらやだ、この前寝た子とそっくりだったから」そう言って、数の子が僕の隣に座った。毛布が被せられた段ボールの椅子が、ミシリと鳴った。


 特に見てもいないのに、

「あんた、ノンケのくせにじろじろ見てんじゃないわよ! それともファンタのペットボトルの形なの? あんたのアソコ!」と、いきなり数の子が吠えた。

 どこからどこまでを本気で受け取ったら良いのだろうか。

 しばらく、静かに酒を飲んでいると、さっきは冷たくして悪かったわね、好きなの注文しな! と数の子は言ってくれた。

「じゃあ、アマレットで」

「アマレットってどうやって作るんでしたっけ」

 マスターは苦笑いを浮かべた。

「ええと、牛乳で割ってたような」

「ああ、そうそう」

 冷凍庫で凍らしたような氷に、アマレットが注がれ、牛乳が少しだけ。やはり濃い。とてつもなく甘い。

「そんな白くて濃い、いやらしいもの飲んじゃってさあ!」

 数の子の絡み方はいちいち大声だった。

「かっこつけんなよ! うぉい!」とも言われた。僕はうんざりしていたが、いつの間にかミクシィで、マイミク同士となった。


 そう、これはまだミクシィが全盛期で、日本中がミクシィを使って、誰彼に「あしあと」を付けたりして、遊んでいた時代の話だ。


 バーのあとも、数の子との付き合いは続いていた。数の子と、見事友達になったアングラ女性と僕の三人で、ワタミに飲みに行くことになった。

 数の子は、飲み会の途中にハンドクリームを塗りたくりながらこう言った。

「あこがれるわ~事務仕事って」

「え」

「だって、喋ってたら良いんでしょ。ハンドクリーム塗ってさあ」

 僕はビールを飲みながら、アングラ女性のほうをちらちら見ていた。肌つやは良く、アンパンマンのようだった。数の子よりも肩幅が大きく太っていた。目が四角く、厚い唇をしていた。バーのマスターが好きらしく、もう一人の同じような体格をした女の子と奪い合っているらしい。バーが終わった後、「あの毛布で寝たし」と言っていた。寝るって、あんな薄い毛布で寝るんですか? と僕が言うと、数の子は「あーはははは!」と手を叩いて笑ってくれた。僕は、昼はサラリーマンをやり、夜はバーテンにどうにかしてなれないものか、と考えていた。


 僕がタバコに火を点けると、「あんたにタバコは似合わないわよ」と数の子は言った。それからたわいもない話を続けていると、数の子は「京都いかない?」と言ってきた。

「なんで京都に……」

「いや、京都に美味しいアイスクリーム屋があるから」

「もう、冬ですよ」

「それがいいんじゃない。サーティーワンは真冬でも開いてるわよ」

 数の子の誘いに僕は乗った。週末は何もないし、わりと失恋のショックが大きく、数の子とブラブラ歩くのも悪くないと思えた。それに、アングラ女性が、バーのマスターと寝てるのもショックだった。いや、何もかも十把一絡げに考えるのはよくないが。


 京都河原町で待ち合わせしていると、数の子がなぜか少し緊張気味な顔をしていた。昼だと、なのだ。

 夜、バーや飲み会だけで会っている人に、昼間で会うことの違和感。

 僕も多少は感じていた。

 僕は彼と会う前に、彼が更新しているアメブロの記事にいくつか目を通していた。話題がそんなにないからだ。

 絵文字が多数使われていて、芸能人のブログのようだった。

 東野圭吾への言及が多く、僕はその作家に興味もないし、ちんぷんかんぷんだった。でも、話題作りのために、Amazonで購入することにした。

 ほかに、職場でのあだ名が「細木」になった話や、クロネコヤマトの男が好みで、名前をチェックして、レディコミなら完全に家の中に招待よね、といったことを書いていた。

 最後に、「数の子でした♥」と入れる。記事は7つしか書かれておらず、開始2ヶ月で更新は止まっていた。


 数の子は、バーに来るときと同じようなオフの服装だった。お互い緊張して、わりと早口で話し合う。途中、GAPがあった。

「あ、ちょっとGAP寄っていい?」と数の子が言った。

「パンツ買いたいの。この前、ビリビリに破けちゃって。あーはははは!」

 数の子はGAPにテンションが上がったらしく、腰をくねらせながらセレブのように入店した。

 買い物をしている途中、数の子が鋭い目つきになった。

「ちょっと、待ちなさい」

「え、どうしたんですか」

 数の子が、ごくりと喉を鳴らした。

「あの子、ゲイよ」

 売り場の店員にチラリと目配せしながら、言った。

「そうなんですか」

「そうよ。あたしのゲイダーが反応した。ほら、反応してる。ほら」

 どこを見ても、どこが反応しているのか分からなかった。

 しかし、どんなステルス戦闘機も捉えるレーダーならぬゲイダーは確かにあるようだった。

 男は短髪細身でわりとピッチリした服を着ていて、女性に受けるような清潔感というよりは、男らしさを全面に出している感じだった。胸筋も、はっきり分かる。

「向こうも探ってるわね。ゲイダー、ビンビンに発揮してる。油断してると見つかるわよ」

 店員も、ちらりとこちらを見た。僕と目が合った気がしたが、おそらく数の子のほうを見ていただろう。こちらもバレているみたいだった。

 戦闘機同士の激しい空中戦が見えないところで繰り広げられているのだろう。パイロットとなった数の子が、インメルマンターンを仕掛け、上方にいるGAPの男の後ろを捉える場面まで想像できた。


「あんたと一緒じゃなきゃ、攻撃しかけてたわ」

「撃墜ですか」

「近距離マシンガンでガンヅキよ。……って、あたし、ネコなんだけどね!」

 数の子はアメリカ人みたいな肩のすくめ方をした。

「ネコってなんですか」

「ああ、受け側のことね」

「じゃ、攻め側はなんて言うんですか。イヌですか」

「これが不思議なことに、タチなのよね」

 ぎゃーははは! と二人で奇声を上げて笑いながら、GAPを出た。


 そこから、アングラ女の噂話や、マスターの性癖とか話した。話してから、たいしたことないなと、二人で結論した。マスターは奥さんらしき人が名古屋にいるらしく、別居をしているという。もうすぐ帰るらしく、店をたたむという。

 アングラの女はみんな背が小さくて小太りなの、なぜだろうね。バーが閉まるあと、マスターとしっぽりふけこむのはなんでだろうね。

 目的のアイスクリームのお店で、ジェラートを買った。カップに、小さく詰め込まれたアイスを数の子と交換したりしながら食べた。

「あんまりたいしたことなかったわね」

 店を出た後、数の子は辛口につぶやいた。


 夜が更け始めていた。晩飯は、二人で五右衛門のパスタを食べた。急にまた風が冷たくなった。

 数の子は29歳だった。僕は25歳だった。アングラ女にはもううんざりしていたので、たぶん僕はバーには行かないだろうと思った。

「あんた、どうする、これからもっとあたしと遊ぶ?」

 たぶん、夜の誘いだった。

 僕の股間は、ファンタのペットボトルでも何でもない。

「いや……」

「じゃあ……帰ろうか」

「はい」

 数の子は「あたし、ちょっと難波で遊んでくる」と言って風のように去って行った。「じゃあね」と数の子は言った。去るときの人の顔は、覚えてしまう。僕はもう二度と、数の子に会うことはないだろうという気がした。

 いつも、二度と会うことはないという第六感だけは、良く当たるのだ。初恋の子とも、そうだった。人の心の離れ方は、どうしていつも急なのだろう……。それは、自分から離れていっているからか。

 数の子に、こう言えば良かったのか。

「僕も、ネコなんですよ」と、そしたら、笑ってくれたのかもしれない。


 数の子のミクシィ日記が更新されていた。

 いつのまにかアメリカにいた。

 ワタミでも何度かアメリカに行くことを、夢として語っていた。

 日記を読んでから思い出した。

「アメリカで、イイ男と寝たいわぁ。あんたもあんなバーのおじさんと寝てるんじゃなくて、イイ恋しなさいよ」

 アングラ女性は聞く耳を持たない。

 僕への恋のアドバイスは?

「あんたには特にないわ」

「ですよね」


 ワタミはブラック企業となり店名が消え去り、訪れたGAPは閉業して別店舗に移動した。マスターは名古屋に帰って、アングラ女性のアカウントは消えた。

 アメブロはサービスを停止していないので、数の子のブログは今も残っている。東野圭吾は積ん読のままだ。




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