雪国より
街中に雪が降り積もる時期。北欧の街でも、一人の少年が遠い異国の地からのプレゼントを待っていた。
所属しているスポーツクラブからの帰り道。コートに身を包んだ少年は、ザクザクと雪道を踏みしめ歩く。薄暗い中、はぁと白い息を吐いた直後、突然起きた風に煽られ髪やコートがひどく乱れた。
「……びっくりした」
コートの裾を直し、短い金髪を撫でるように整えた少年、エドヴァルド。彼こそが長年雄和と超遠距離恋愛を続けているエドヴァルド・ヨハンセンその人である。
北欧の冬は寒い。彼が住む地域は南部の方ではあるが、雪国である以上寒いものは寒いし風も冷たい。それでもこの空気感は嫌いではない。なんてことを考えながら、ざくざくと雪を踏む。
エドヴァルドは、今が2月の半ばを過ぎた頃と思い出し、ふと思う。そろそろ自分のバレンタインデーのプレゼントは雄和へ届いただろうか、プレゼントは喜んでくれただろうか、と。そして雄和から自分へのプレゼントは無事届くのだろうか……色々なことが気になってしまう。発送から大体2週間程は経った。荷物が多少遅れる程度や箱が崩れているくらいならともかく、盗難や紛失などに遭うのは勘弁してほしいものである。
以前、雄和や、別の友人からの贈り物が盗難被害に遭い箱がボロボロになったことがあった。その時はかなりショックを受けたし、その後の対応も大変だった。それを思い出してつい短く溜息をつき、家へと辿り着く。エドヴァルドの家及び庭は、当然のように雪だらけだ。現に、自分の祖父が車周りで雪かきをしている真っ最中であった。
「じいちゃん、ただいま」
「おぉ、おかえり、エド」
声をかけると、防寒具に身を包んだ老人がエドヴァルドの方へと振り向く。雪が積もった地面にグサ、と柄の長いシャベルを突き立て、腰をトントンと叩いた。
「じいちゃんおつかれ。雪かき、あとどれくらい?」
「さっき始めたばっかだからな、まだまだかかりそうだ。よかったら手伝ってくれんか」
「うん、いいよ。じゃあ準備してくるから待ってて」
「おーう。……あ、そうそう、そうだ、エド」
「ん?」
話している間にズレた鞄を背負い直して、玄関に足を向けたエドヴァルドは、祖父の声に足を止め振り返る。その先で、彼は何かを思い出す様な素振りをしながら口を開いた。
「ニッポンの……ユーワくん、だったかな? その子からなにか来てたぞ」
「――えっ」
祖父の言葉に、思わず聞き返し硬直する。今、祖父の口から聞こえたのは紛れもなく雄和の名前だ。そして、このタイミングで届いたということは、バレンタインデー関係のプレゼントに決まっている。そう思うと、祖父の前にも関わらず、ぶわっと顔が赤くなる感覚がした。
「ほ、ほんとに?」
「本当だ。ユーワ……イヒ、イッヒカワ? ……大体そんな感じの名前が書いてあったぞ。箱はちょっと崩れてたが……そんなボロボロじゃあなかったな」
「そっ、そっか……。……あとユーワ・イチカワ、ね。言い難いけど」
「おぉそうか、すまんの」
上手く発音が出来ていない祖父の言葉に軽く訂正を入れながら、照れくさい気持ちで祖父から少し顔を背け、にやけそうな口元にきゅっと力を入れた。
気温は寒く冷たいのに、反して顔が熱くなる。寒さのせいで元々赤い耳が、更に赤くなっているような気がして、慌てて片方の耳だけでもと隠すように手で覆った。続けてほんの数秒間を置き、僅かに気持ちを落ち着かせてから、漸く祖父に礼を言った。
「……えっと、教えてくれてありがとう、じいちゃん」
「いやいや、いいんだよ、仲睦まじいのはいい事だからな。……あぁそう、それ見てからでもいいよ、雪かき」
「あ、いや、大丈夫だよ。雪かきしてから見るから。じいちゃん1人にはさせられないしね!」
静かにこちらを見ていた祖父に力強く宣言をしてから、エドヴァルドは玄関へと向かった。
扉の前で体や鞄についた雪を払い、家の中に入ると温かな空気を感じる。夕方以降の帰宅時間に合わせて母が置いてくれた暖房器具のお陰だった。
「おかえり、エド。寒かったでしょ」
「ただいま。うん、結構寒かった。」
「まだ雪ついてるわよ」
「えっ、どこ」
たまたま玄関近くにいた母親に話しかけられ、ただいま、と口にした。そして母に指摘されて、背中側についた雪を払う。もちろん外で、である。
外靴から室内用の靴に履き替えて、母親と雑談していると、彼女は思い出したように雄和からのプレゼントが来ていることを口にした。
「ユーワくんからプレゼントが来てたこと、お祖父ちゃんから聞いてる?」
「あ、うん。聞いたよ。雪かきしてから見るつもり」
「そう。よかったわね、プレゼント届いて。大事にされてるみたいね」
「うん、そうだね。嬉しいよ」
実は、エドヴァルドの家族は、皆雄和との関係を知っている。数年前にエドヴァルドが家族に打ち明けたためだ。当初は全員に大層驚かれたものだし、中でも祖父はなかなか受け入れてくれず、暫し冷たい態度を取られたこともあった。――だが、祖父も考え方が変わったのか、諦めたのか、やがて受け入れてくれるようになり、現在の態度は先程のように柔和した。他の家族ももちろん驚いていたし、抵抗感を示していた者もいたが、様々なやり取りを経て現在は歓迎し受け入れてくれている。家族の中でもそれぞれ葛藤があったに違いないが、応援してくれているのはとても有難い。
同性の恋人がいることにより絶縁される人もいる中、エドヴァルドは、自分は恵まれているなと感じた。
なんてことを思いながら自室に向かい、荷物を置いて外へと向かう。自室の机には確かにプレゼントと思われる箱が置いてあったが、一旦スルーした。
どんどん真っ暗になっている空の下、防寒具とシャベルを手に、暫くの間祖父と雪かきに勤しむ。積み重なった雪は重く、シャベルで運ぶのも一苦労だ。祖父一人では大変だし、エドヴァルドにも楽なものではない。思えば練習を終えた後の体にまた負担をかけているわけだから、楽でないのは当たり前だ。
結局、雪かきは車周辺だけでなく小屋や屋根の一部まで及んだ。仕事から帰宅した兄も雪かきに加わってくれなければ、もっと体がだるくなっていただろう。そうして、結果的に疲労困憊といった様子の男が3人出来上がったわけだ。
それからシャワーで簡単に汗を流したエドヴァルドは、漸く自分の部屋で雄和からの贈り物と対峙する。机の上に小箱を置き椅子に腰掛け、その箱を眺める。少し角が潰れた箱に、伝票に書かれた『“Yuhwa Ichikawa”』の名前。紛れもなく、雄和からのプレゼントである。
「……ちゃんと届いてよかった……」
以前あった盗難だの紛失だのといったトラブルは、今回はなかったようでほっと胸を撫で下ろす。しかも箱も結構綺麗な状態で。有難いものである。
ふぅ、と息を整えて箱を開封すると、しっかり敷きつめられた緩衝材が目に入る。それらをどけると、その下から出てきたのは数枚のタオルと文房具、そしてマグカップだった。タオルは小さく動物の絵が描かれたシンプルなもので、文房具は日本で有名なメーカーのものである。こちらの文化を尊重してか、ボールペンや修正テープが多めである。
残るマグカップは、エドヴァルドが好きなゲームのキャラクターが描かれているもので、小箱から取り出し手に取り眺める。こちらではなかなかゲットできないグッズなこともあり、こういった機会で手に入れられるのはとても嬉しく、つい頬が緩む。
「あとは……手紙かな」
箱の片隅に入れられた封筒を手に取り、中にあった便箋を開く。紙に記されたのは、エドヴァルドの誕生日を祝うメッセージと、バレンタインについてのメッセージ。更には、丁寧に綴られた彼からの想いだ。それを読んでいると、胸にほんのりと温かさが広がる。――だが、読み進めるうちに妙な気持ちが混ざり、己の顔にあった笑みが、少しだけ鈍くなる。
――……やっぱり、分かりやすく好きとか愛してるとか、書いてないな……。
雄和からの手紙には、陸上の調子はどうだとか、エドヴァルド及び家族は健康かとか、ちゃんと食事は食べているかなど、そういったこちらを気遣う文が多く綴られており、所謂愛の言葉に相当するものが特に見受けられないのである。
思えば、雄和はあまり分かりやすく好意を口にも文にもするタイプではない。電話の際はこちらが言えば返してくれることはあるが、積極的に向こうから言うことは少ない。それは愛されていない訳ではなく、多分、ただ恥ずかしいだけなのだろう。日本人は奥ゆかしいだの奥手だの謙虚だの言われることも多い。……とは、いえ……。
――こういう手紙でくらい、分かりやすく書いてくれてもいいのになぁ。僕以外見ないんだから。
妙に引っかかり、ついつい溜息が零れそうになるが、極力気にしないでおこうと決めて、改めて文を読み直す。分かりやすい好意の言葉はなくとも、こうしてプレゼントを送ってこちらを気遣う手紙を同封してくれているのだから、エドヴァルドのことを愛してくれているのは間違いないはずだ。それに、向こうからのお礼のメールもちゃんと届いており、それには愛の言葉に近いものもあった。ひとまずはそれでいいし、細かいことを気にするよりも素直にプレゼントに喜びたい。タオルも文房具もマグカップもとても嬉しいのだから。
改めて自分の心を確かめたエドヴァルドは、夕飯までお礼のメールの内容でも考えようとメモ帳を取り出した。
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