彼が見たものは

久世 空気

第1話

「弟、いたんだ」

 先輩がそう聞いてきて、本棚に弟の入学式に一緒に撮った写真を飾っていたことを思い出した。

「そうですね、この写真のすぐ後に死んじゃったけど」

 せっかく先輩が私の部屋に来てくれたのに、湿った話はしたくない。私は立ち上がり、本棚のフォトスタンドを伏せた。今日は一緒にテスト勉強をする予定で我が家に招いた。座卓に迎えあわせに座り、教科書やノートを広げているところだ。

「かわいそうに。事故?」

 先輩は何故か話を続けた。私は少し迷った。本当のことを言うべきか、ごまかすべきか。

「ひょっとして、事件に巻き込まれたとか?」

 先輩は勘が鋭い。曖昧なことを言って、隠し事をすると言う理由で振られたくないから、私は正直に頷いた。

「そう、変質者に殺されたんです」

 先輩の柳眉がピクッと動いた。

「もしかして」

「はい、6年前の児童連続殺人事件の被害者です」

 6年前、小学生の低学年ばかりを狙った殺人事件が起こった。1ヶ月間で二人、小学2年生の女の子が殺され、ゴミが不法投棄されている場所に遺棄されていた。同一犯だとされ、大々的にニュースにもなったし、警察も力を入れて捜査していた。それなのにまた、二人の遺体が河川敷で一緒に発見された。弟と、同じ水泳教室にいた女の子。二人とも小学1年生だった。遺留物があり、それから間もなく犯人は捕まった。

 あの時、私は小学校4年生。家に帰る途中で見た公園にいる弟が、最後の生きている姿だった。お骨はまだお母さんが手元に残したがっていて、家にある。

 私が中学に上がるのと同時に隣県に引っ越した。だから私の周囲の人間で事件のことを知っているのは、両親が念のために伝えている学校の先生だけだ。私は他人に初めて弟の話をしている。

「犯人は捕まって、死刑が決まってるね」

「先輩、よく知ってますね」

「こんなこと、遺族の君に言うことではなかったけど強烈な事件だったから」

 犯人はどこにでもいるようなサラリーマンで、営業職で日中歩き回っているときに小学生を物色していたらしい。スーツで子供を自宅に連れ込み、殺し、休日に車で棄てに行ったそうだ。

「あの頃、私に対してすごく親が神経質になってたんですよね」

 女の子は早く帰りなさい、変な事件が起こってるから、そう言われていた。狙われるのは女の子だから、弟が狙われるわけない。変わり果てた弟が発見されるまで、私たち家族は迷子になっているか、事故に遭ってどこかの病院に運ばれているかと考えていた。

「私が最後に見たんです。公園で弟が男の人としゃべっているの。まさか不審者だとは思わなかったから」

「どうして?」

「え?」

「知り合いだった?」

 先輩に言われて当時のことを少し思い出した。

 あの日、私は学校を休んだ友達の家に、学校で配布されたプリントを私に行っていた。小学生が狙われる事件が続いていたから、お母さんが行くと言っていたけど私は二人で書いていた交換日記を渡したかった。だから寄り道せずに走って帰ることを約束して、急いで家と友達の家を往復していた。途中、公園で弟がいて、何をしているんだろうと思ったけど・・・・・・。

「・・・・・・友達のお父さんとしゃべっているんだと思ったんです」

 でも、実際は違った。全然違う人だった。

「誰だっけ、ハナちゃん? ハンナちゃん? なんか、そういう名前の女の子のお父さんだって。なんでか思ってたんです」

「『カナギ ハンナ』ちゃん?」

 先輩が口にした名前を聞いた瞬間、唐突に吐き気が襲ってきた。この不快感。思い出した。

「『カナギ ハンナ』ちゃんは殺されてた。弟と一緒に発見された子・・・・・・」

 当然私は、大人たちに弟とハンナちゃんのお父さんが一緒にいたと言っていた。でも弟が公園で話している時間、ハンナちゃんのお父さんは娘を探すために警察署にいたのだ。私は嘘をついたことにされた。

「怒られたの?」

「・・・・・・ううん。怒られなかった。勘違いしたんだねって」

 表面的には優しく許された。だけど大人たちの目は冷たかった。被害者の父親を犯人扱いする子供。弟が殺されたのに適当な発言をする姉。

「そもそも君と弟は仲が良かったの?」

「どうして、ですか?」

「だって、弟の友達のお父さんって知る機会ある?」

 仲良いどころか、私は弟が好きじゃなかった。

「変な弟だった。可愛くなかったから、あんまり好きじゃなかった」

 私は一度伏せた、弟の写真を起こした。校門の前で歯を見せて笑う弟と、仏頂面の私。弟のことは、苦手だった。

「変なこと言う子だったんです。お爺ちゃんのお葬式で、白い着物着てる人がいっぱい来たね、って言ったり、道ばたで何も無いところで一人でしゃべってたり。お母さんは『霊感があるのね』って笑ってたけど。私は全然笑えなかったな。怖かったし」

 ふーん、と先輩は考えるように首をひねった。

「じゃあ、なんで君は弟の友達のお父さんを知っている、つもりだったんだろう?」

『ハンナちゃんのお父さんだって』

 忘れかけていた弟の声が頭の中で再生された。そう言ったのはいつだった?

「思い出してごらん?」

 先輩の優しい声が耳をくすぐる。私は強く目をつむった。

『あの男の人誰?』

 私がそう聞いて、弟は答えた。その前に弟がその男の人の元から、私の隣に戻ってきた。あれは下校時。一緒に帰ってた。私から離れて、どうして男の人としゃべってたんだっけ?

「思い出してきた?」

「・・・・・・はい」

 私の隣から駆け出した弟は、親しげに男の人に話しかけた。

「弟が消えた日の、前日に、一緒に下校していたら、あの男、犯人がいたんです。弟は走り寄って、ちょっと話して戻ってきました。その時に『ハンナちゃんのお父さんだって』って」

「なんで弟は男に寄って行ったんだと思う?」

 私は答えられない。確かに弟が駆け出した瞬間は不思議だった。友達のお父さんだと聞いて、納得してしまっていた。

 向かい合わせの先輩の右手が、私の左手を覆う。

「そこに、ハンナちゃんはいなかった?」

「い、いないです。私、ちゃんと見てます。犯人は一人で歩いていて、弟は走り出して・・・・・・」

『ハンナちゃん!』

 総毛立った。弟はそう言って男に向かって走った。驚く男の顔。親しげに、男ではない方を見て話す弟。

「弟はハンナちゃんが見えていた?」

「事件の細かいことは覚えてないけど、ハンナちゃんは弟がいなくなる前にさらわれて、殺されてたんじゃないかな?」

 犯人は休日だけ死体を遺棄する。あの日は平日だった。ハンナちゃんは殺されたけど、遺棄されていない。発見されていない。まだ失踪事件だった。それだってまだ世間には公表されていなかった。

「つまり、弟は『幽霊のハンナちゃんがついて行っている男の人』だから『男の人はお父さん』って勘違いして私に言ったって事?」

「聞いたんじゃない? 『ハンナちゃんのお父さんですか?』って。犯人はハンナちゃんの名前を出されて驚いただろうね。反射的に『うん』って言っちゃったかも。でも後で自分がハンナちゃんを連れ去る現場を見られていたって思ったのかも」

 私の記憶が鮮明になっていく。

 弟が私の隣に戻る。

『あの男の人誰?』

『ハンナちゃんのお父さんだって』

『ハンナちゃん? 水泳教室の友達だっけ?』

『うん、昨日休んでたんだよね』

 私は男に目を向けた。スーツの男。じっとこっちを見ていた。なんだろう。変なの。私は角を曲がるまで、ずっと視線を感じていた。

「えっと、でも、ハンナちゃんが幽霊だったら、弟だってびっくりしますよね?」

「君、『シックスセンス』って映画知らない?」

 突然映画の話を振られて私は虚を突かれた。

「み、見たことはないけど、聞いたことは・・・・・・」

「霊感が強い人には幽霊がはっきりそこにいるように見える、っていうのが分かる映画だよ。さっき君が言っていたとおりだと、君の弟は生者と死者の区別がついてなかったみたいだね」

 何もない空間に話しかける弟の姿を、私は何度も見ている。

 弟はハンナちゃんが生者だと思って声を掛け、取り憑いている男をお父さんと勘違いして挨拶した。一方、犯人は誘拐の目撃者だと勘違いして、口止めのため弟を殺した。

 ずっと不思議だった。それまで女児ばかり狙っていたのに、どうして最後に弟を標的にしたんだろうって。犯人は裁判で心情などは一切話さず、どうせ死刑だろうと開き直っているようだった。

 弟のことは好きじゃなかった。でもこんな理不尽な目に遭っていいはずがないってずっと心に引っかかっていた。

「これって、お母さんやお父さんに話した方が良いですか?」

 先輩に聞きながら堪えていた涙が流れてきた。弟が狙われた理由を、両親だって知りたいだろう。だけどどこまで本気で聞いてくれるだろう?

「そうだね。弟の第六感が関わってくることだから、慎重に、でも君が思うようにしてごらん?」

 先輩に頭を撫でられ、私はしばらく泣いていた。


 泣き疲れて、勉強も出来ず、先輩は「いつでも相談に乗るよ」と言い残して帰ってしまった。時計を確認したらそろそろ両親が仕事から帰ってくる時間になっていた。

 涙を流したせいか頭がスッキリしている。少し、ほんの少しだけ過去の重圧が軽くなった気がした。

 私はもう一度、弟と一緒の写真を見た。私が持っている弟の写真はこれだけだ。他の写真はすべて母がアルバムにして保管している。

 あれ?

 私は部屋を見渡した。他に弟の物はない。弟の死に関する物もない。

『弟、いたんだ』

 先輩は何でそう聞いたんだろう?

『弟、いるんだ』

 じゃなくて、

『いたんだ』

 って言った。言い間違い? それなら「死んじゃった」って聞いて驚くよね? 驚いている様子はなくて「事故?」って聞き返してこなかったっけ。

 もう一度部屋を見渡す。やっぱり私一人。

 シックスセンス?

 第六感?

 まさか、ね?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

彼が見たものは 久世 空気 @kuze-kuuki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ