第4話 罰

 おそらく今、析易せきえきは一番お気に入りの部屋で胡琴こきんを弾いているはずだ。

 ミオは胡琴を持ったまま、小走りで殿でんのきざはしをのぼり、その部屋をめざした。

 



 その部屋は、殿の中ではせまいほうで、白い御簾みすがかかっていた。

 御簾のむこうの、緋色ひいろのふかふかとした絨毯じゅうたんの上には、めずらしい品々がひしめいていた。乳白色のりゅうの首の玉。炎をとじこめた橙赤とうせきしょくの皮衣。つばめがうんだという虹色にじいろ子安貝こやすがい。足のみ場もないほどだ。析易が世界中をわたり歩き、手にいれたという。

 胡琴をかかえたミオが到着したときには、部屋にはもうだれもいなかった。さきほどまで、たしかに析易せきえき胡琴こきんの音がしていたのに。いつのまにかやんでいた。


「析易、いる?」


 ミオは御簾みすをあけ、足元に気をつけながら部屋を歩きまわった。返事はない。

 途方とほうにくれていると、横で赤いなにかがきらりと光った。見れば、蓬莱ほうらいから持ち帰ったというぎょくえだに、鳥の卵のような、紅玉こうぎょくの首かざりがかかっていた。析易がいつも身につけているものだ。

 紅玉を見るうち、ある考えがわいた。

 このぎょくの力は絶大だ。持っていけば、あの人たちを助けることはたやすいかもしれない。

 ためらいながらも、そろそろと紅玉のほうへ手をのばす。


「ミオ」


 あと少しで指先がふれそうなところで、不意にうしろから声がした。

 とびあがってふりむくと、析易が真後ろに立っていた。いつものおだやかな笑みを口元のはりつけている。


「析易。たいへんなんだ。下に飢えて傷ついた人たちが大勢やってきてる。早くたすけないと」

「わたしのものを勝手に持ち去ろうとしたな」


 析易はやさしく、しかし有無を言わさずに告げた。ミオは少ししょげる。


「ごめん。怒ってる?」

「ああ」

「ごめんよ。この紅玉が析易の大切なものなのはわかってる。けれどユンの兄貴分もいるんだよ。あたしはどんな罰でもうける。早くその紅玉でたすけてあげて」


 肩にそっと手を置かれた。おだやかに告げられる。


「わたしがなんとかしよう。ミオは殿でん深部しんぶでおとなしくしていなさい。それが罰だ」

「……わかった」


 析易はかがやきを増す紅玉を、ミオの前にかざした。ミオは胡琴をだきしめ、目をぎゅっとつむる。視界が、いつか見た血の色に覆われていった。


「そうだ、ミオよ。殿の深部の御簾の奥は絶対にのぞくでないぞ」



 

 壁をよじのぼり、欄干らんかんから殿でんにしのびこんだユンは、一心にきざはしを駆けあがった。

 妹分のミオが消えたあの日、一座の滞在先の村はよその村の襲撃しゅうげきを受け、壊滅かいめつした。

 生き残ったユンは、傷ついた人々と世をさまよい、この霊山れいざんまでやって来た。そうしたらなんと、死んだと思っていたミオがあらわれたではないか。

 そのミオは、この殿の主を呼ぶと言ったきり戻ってこない。このままではもう二度と会えないように思えた。体の動くまま殿に乗りこんだ。

 しかし高い天井の殿は広く、彼女がどこにいるのかなど検討もつかない。

 走りながらなやんでいると、今しがた通りすぎた部屋から胡琴こきんの音がした。一座にいたころよく聞いた曲だったが、これほど美しい音は初めてだ。いや、どこかできいたことがあるような気もする。

 ユンは眉をひそめながら、部屋に近づいた。



 

 かかった白い御簾みすに、ふたりに人影がうつっていた。

 ユンはまさかと思い、御簾に近づき隙間から中をのぞいた。

 部屋は緋色の絨毯じゅうたんがひかれ、きらきらしいものであふれかえっている。

 部屋の中心では、身なりのよい小柄な男が、黒曜石こくようせきで組まれた華奢きゃしゃな椅子に座り、胡琴を弾いている。見事な音色だ。首には、つやりと光る鳥の卵のような紅玉をかけていた。

 そのわきには、小綺麗こぎれいな娘が、虚ろな表情でひかえていた。

 ユンは御簾の中に飛びこむ。


「ミオ!」


 ユンがよびかけても、ミオはちっとも反応しなかった。生気のない目をしたまま。

 にやついて胡琴を弾く手をとめた男を、ユンはにらんだ。


「おいあんた、ミオに何をした」

「なにもしてはおらぬ。ミオはみずからをみずからで罰しているだけ」


 わらう声。あざけるような目。

 ユンにはおぼえがあった。

 そう、いつぞやミオを探したとき、胡琴の音に惹かれ入った暗闇の洞窟どうくつ。そこでとっくみあい、自分を負かし、ミオをさらったあの化け物。


「まさか、お前はあの時の……」

「きさま、よくもやってくれたな。一生血でもすすっておれ」


 男は首の紅玉をかかげた。目をあけていられぬほど、玉が煌々こうこうと紅くかがやき、ミオと男の姿はゆらゆらとけむりのように消える。


「待て。ミオをかえせ」


 やがて真紅しんくの光が消えると、ユンはなまぐさい暗闇の中にひとり立っていた。足首に生ぬるい、べったりとした液体の感触がした。

 鼻を手で覆う。

 鉄くさい。これがなんのにおいなのか知っている。

 気持ち悪さにめまいがした。


 水しぶきをあげ倒れたユンは、ピクリとも動かなくなった。

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