5枚のコートの紳士

兵藤晴佳

5枚のコートの紳士

 昔々のお話です。

 ある国の田舎に、タイグという若者が住んでおりました。

 さて、このタイグ、真面目な働き者でしたが、人づきあいはあまりよくありませんでした。

 彼の根性が曲がっているわけではないのです。

 近所でケンカをしている人があれば、割って入ります。

 といっても内気で口下手なので、ただ、こう言うばかりです。

「仲良くしようよ……友達だろ?」

 タイグを友達とは思っていなくても構いません。

 お互いに殴り合いをしていた乱暴者たちであっても、これでやる気をなくします。

 それぞれが立ち去ってしまうと、タイグひとりだけが、ほめられもせず、けなされもせずに取り残されるのでした。

 ただ、タイグが人から相手にされる場合がたったひとつだけあります。

 それは、明日の天気や、牛や馬や羊の子供が生まれる日や、なくしもののありかを知りたいとき。

 聞けば、その場で答えてくれるだけでなく、そのカンが外れたこともありません。

 今で言う、第六感ってヤツでしょうか。

 そんなわけで、誰もがタイグを重宝してはいましたが、誰もまともに相手をすることはありませんでした。

 なぜなら、タイグはいつも夢見心地でどこか遠いところを見ていて、暇さえあれば何かぶつぶつ言いながら、森の中をひとりで歩き回っているのでした。

 何を言っているのかって?

 実はこのタイグ、子どもの頃からずっと、森の妖精ドライアードが見えるのでした。

 彼がものを言い当てられるのは、このドライアードの助けがあるからなのです。

 ドライアードといつもお話をしているタイグを、周りの人々はバカにしたり、気味悪がったりしていましたが、当の本人は気にも留めません。

 妖精の声を聞き、先の先まで言い当てるその言葉を守ってさえいれば、何ひとつ困ることはなかったのです。

 ところが、ある日のことです。

 遠くの街から、ひとりの身分の高いお嬢様が、森へ遊びにやってきました。

 近所の人々がヘコヘコ頭を下げたり、遠くから眺めたりしていた馬車から下りたお嬢様はお供を連れて、森の中の散歩を始めました。

 木の枝や草の葉の間を慣れない足取りで歩くお嬢様が、ハンカチの一枚くらい気づかずに落としたって、不思議はありません。

 それにたまたま目を留めたのが、ドライアードとおしゃべりしながらふらふら歩いていたタイグでした。

 ハンカチに手を伸ばしたところで、妖精はぴしゃりと叱りつけます。

「それを拾っちゃダメよ」

 美しい花を刺繍したハンカチによほど心を惹かれたのか、タイグはこのとき、生まれて初めてドライアードの言葉に背いたのでした。

 そこへ戻ってきたのは、あのお嬢様です。

「あら、そのハンカチ……」

 おどおどしながらそれを差し出したタイグを見るなり、お嬢様は目を背けて言いました。

「差し上げますわ。どうぞ大切にお持ちなさいな」


 さあ、それからが大変でした。

 タイグは自分の住む小屋の中で寝ても覚めても、そのお嬢様のことが忘れられません。

 仕事も手に付かずに森の中をさまよい歩くタイグを見かねたドライアードは、小言が増えました。

「いくら学がないからって、身分違いって言葉くらいは知ってるでしょう? この田舎で暮らしていくのがやっとの知恵しかない、腕っぷしも強くない、金もない。そんな男を、あんなお嬢様が相手にすると思う?」

 それでもタイグは聞きません。

 お嬢様のハンカチ一枚を胸ポケットにしまい込み、わずかな金をありったけ持って、森に棲むドライアードではとてもついてこられないような、遠い街へと旅に出たのです。

 ところが、広い街の中、そうそうお嬢様に会えるわけもありません。

 食事もそこそこに安宿に泊まると、財布は底をつきます。

 どうしたものかと生まれて初めて先のことを気にしながらタイグはベッドへ潜り込みました。

 夜中にふと目を覚ますと、窓から差し込む月明りの中に聞こえるのは、ドライアードの微かな声でした。

「森から遠く離れても、ひと言ぐらいは届けられるわ……よく聞いて」

 耳を澄ますタイグに、ドライアードの消え入りそうな声が語りかけます。

「五重のコートを羽織る紳士になりなさい……そうすれば、あのお嬢様に会えるわ」

 朝になって目を覚ましたタイグでしたが、何の話やら、さっぱり分かりません。

 いままでドライアードに教えられるままに暮らしてきたので、町へ出てきた途端に、あのカン……第六感が働かなくなってしまったのです。

 あまり使ったことのない頭を使って考えたタイグが、ふと思い出したことがありました。


 ……この田舎で暮らしていくのがやっとの知恵しかない。


 タイグは街中へ飛び出すと、なりふり構わず、読み書きを教えてくれるところを探し始めました。

 ようやくのところで見つけたのは、学者の家の下働き。

 もちろん、住み込みのタダ働きと引き換えでした。

 もともと頭は悪くなかったのか、何年も働くうちに読み書きどころか、タイグは学者も舌を巻くほどの学問を身に付けました。

 もう教えることは何もないと言われて、喜び勇んで向かったのは、学者から教わったお嬢様の屋敷。

 訪ねて行ったところで門番に預けたのは、学者の紹介状と、あのハンカチ。

 ところが、門番は屋敷の中から戻ってきたハンカチをつきつけただけでした。

 そこに書いてあったのは、読めるようになった字で書かれたこのひと言。


「学者なんて、理屈っぽくて嫌い」


 目の前が真っ暗になったタイグの頭に蘇ったのは、ドライアドのあの言葉です。


 ……腕っぷしも強くない。


 ぼんやりと眺める先を通っていく兵隊の行進を見て、タイグは心を決めました。

 駆け込んだ先は、軍隊です。

 折しも隣の国との間で、戦が始まろうとしていました。

 タイグは身体を鍛えに鍛え、剣を取ってあちこちの戦場を駆け巡りました。

 たくさんの兵士がその刃の前に倒れ、柄を握る手は血にまみれました。

 それからまた何年も経って凱旋したタイグは、再びお嬢様の屋敷の前に立ちました。

 胸に幾つも下がった勲章の中から一番大きなのを引きちぎって、さらにその奥で肌身離さず持っていた、あのハンカチを添えて、門番に預けます。

 ところが、戻ってきたのはやはり、ハンカチだけでした。

 書き添えてあったのは、このひと言。


「軍人なんて、血なまぐさくて嫌い」


 すっかり気落ちしたタイグの目の前を通って行ったのは、裕福な商人の馬車でした。

 戦の間、人を殺すための剣や槍や鎧、それを振るう兵士が食べるパンを売って大儲けしたのです。

 戦で手柄を立ててきたタイグは、それをよく知っていました。

 そこで蘇ったのは、ドライアドのあの言葉です。


 ……金もない。そんな男を、あんなお嬢様が相手にすると思う?


 タイグはさっそく、その商人を呼び止めて勲章をちらつかせ、金儲けの仲間に入れてもらいました。

 戦が終わった後の街は、何かと物入りです。

 軍隊でいらなくなった食べ物は、どんな高い値段をつけても飛ぶように売れました。

 しまいには、敵を殺してきた剣や槍、それを振るうための身の安全を守ってきた鎧までもが、勝ち戦の記念として金持ちの手に渡ったのです。

 こうして金儲けを始めたタイグは、いつかお嬢様に求婚しようと考えるようになりました。

 やがて冬がやってきて、年を越したら新年の挨拶と同時に、と腹を決めた晩のこと。

 タイグは、とんでもない目に遭いました。

 大晦日に商人が集う宴会から帰る馬車が、ならず者の一団に襲われたのです。

 それは、戦が終わると共に、職を失った兵士たちのなれの果てでした。

「俺たちの苦労も知らずに、こんなに肥え太りやがって!」

 すっかりたるんでいたタイグは身ぐるみ剥がれて、ほうほうの体で逃げ出しました。

 身を隠した路地裏の倉庫で凍えそうになりながら、ふと手に取ったのは床に敷かれた熊の毛皮。

 片端から手当たり次第に引き寄せて寒さをしのぎ、ようやく朝を迎えることができたのでした。

 もう誰も追ってくるまいと安心して、ふと手元を見れば、抱えた獣の毛皮はちょうど5枚。

 タイグの頭に、ドライアドの言葉が蘇ります。


 ……五重のコートを羽織る紳士になりなさい。


 いくら紳士といっても、こんな格好でお嬢様の屋敷には行けません。

 恥ずかしいやらバカバカしいやら、しばらく泣きながら笑ったタイグは、そのまま街から逃げ出してしまいました。

 錦を着るどころか裸一貫で小屋へとこそこそ帰ってくると、そこにはあのドライアドが笑顔で待っていました。

「お帰りなさい……ごめんなさい、あんなことしか伝えられなくて」

 タイグはただ、小さくなるしかありませんでした。

 

 ちょっぴり年を取ってしまったタイグは、田舎で静かに暮らすことにしました。

 ところが、です。

 身に付いた学問と、命懸けで手にした名声は、街から逃げても勝手についてきたのでした。

 知恵を借りに、また、戦で先頭を切った勇気を慕い、さらには、商売の上での人脈を頼ってくる人々は後を絶ちません。

 若い頃はタイグをバカにしてきた人たちも、すっかり見る目が変わりました。

 そうこうするうちに世の中も変わり、働く者たち、苦労を積み重ねてきた人たちがその担い手となって、街中の金持ちはふんぞり返ってばかりもいられなくなりました。

 そんなある日のことです。

 小屋の前に、古ぼけてはいますが、見覚えのある馬車が止まりました。

 気まずそうなタイグを、ドライアドが「お出迎えなさい」と促します。


 ……そうすれば、あのお嬢様に会えるわ。


 こんなご時世に着古したドレス姿で尋ねてきた用件を聞きもしないで、タイグは深々と頭を垂れてお礼を言いました。

「たいへんお世話になりました。今の私がありますのは、これのおかげです」

 そこで差し出したのは、ふたつの伝言が書かれたあのハンカチでした。

「ようやく、これをお返しできます。どうぞ大切にお持ちください」

 ハンカチ一枚を手に、お嬢様は憤然として、再び馬車に乗りました。

 遠ざかっていく蹄の音を追いかけるように、タイグのかける挨拶の声が聞こえます。

「私にできたことが、お嬢様にできないはずがございませんから!」

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5枚のコートの紳士 兵藤晴佳 @hyoudo

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