第六感はいつか消える【KAC20223:第六感】

冬野ゆな

第1話 今日は雨が降る。

 雨が降りそうな天気だった。


 空だけを見れば雲ひとつない晴天だ。だが雨が降るのだ。スマートフォンの天気アプリは、この地域の晴天を約束している。だけれど、今日は必ず雨になる。

 僕のこの天気予報はよく当たるということで、会社の人々からは重宝がられている。僕がのっそりと傘を持って出社すると、外回りの営業が必ず置き傘を持って出かけていく。それくらいの精度で重宝がられていた。


「天気の勉強でもしてるんですか」


 毎年、一度は新しい後輩がそう尋ねてくる。


「第六感だよ」


 僕はこの妙な能力について、そう言うことにしている。

 実際そうとしか言えないのだから、しょうがない。


「そのうち消えるかもしれないからなあ」

「ええっ、なんでですか」


 というのも、この第六感は、僕がもともと持っていたものではない。それを語るには、まず、彼女のことを話さないといけない。







 五年前まで付き合っていた彼女は、「第六感がある」、というのが口癖だった。


「第六感って、幽霊とか見えるってこと?」

「んー。そういうのじゃないんだけど」


 当時の僕のなかには、第六感といえば霊感、というどこから仕入れたのかわからない知識しかなかった。不思議ちゃんなのかと思いきや、別に霊感は無いと思うと言う。女性は勘が良いとか、浮気に気付きやすいとかいうから、そういう類のものなのかなと聞き流した。


 実際、彼女は妙に勘が良かった。

 ある日、彼女が僕の部屋で泊まった時。出かけようとした僕を呼び止め、傘を持っていくといいと言ったのだ。今日の空模様は晴れだったし、天気予報も晴れだった。雨雲の動きがわかるアプリでさえ、今日は一日晴れだと言っていた。快晴である。

 僕はなにかの冗談かと思って、笑ってそのまま出かけた。

 ところが帰る頃になると、突然どこからともなく暗雲がたちこめ、出先で足止めを食ってしまった。結局びしょ濡れで帰った僕に、「だから言ったのに」と、タオルと着替えを渡して、お風呂に入るように促した。

 僕はあっけにとられてしまった。

 そういうことが一度や二度じゃなかったし、最後のほうでは僕は彼女の言うことを聞いて傘を持っていくようになっていた。


 無くなったものを探すのもうまかった。大体どこそこにあると思う、というところを探すと、必ず見つかった。

 彼女がやめておこうと言った店は必ず混んでいたし、あとあとパワハラが発覚して潰れた店もある。彼女と出かけた時に赤信号で捕まったことはない。


 一番ひどかったのが、二人でコンビニまで出歩いていたときだ。

 ごく普通に歩いていた彼女が、とつぜん足を止めた。

「行っちゃ駄目」

 そう言って、彼女は無理矢理に僕の手を引っ張って歩みを止めさせた。

「もう、なんだよ」

 僕は最初冗談かなにかかと思って、笑いながら彼女を引っ張ろうとした。

 けれども彼女はすごい剣幕で僕を止めた。

 いったいなんのつもりか尋ねようとしたとき、目の前の横断歩道をものすごいスピードで車が突っ込んでいった。車はそのまま突き当たりで激突し、強烈な音とともに一回転し、大破した。

 耳の痛いのは静寂のせいだったのか、近くで見ていた子供の泣き声で我に返った。

 このときは、さすがに引きつるどころの騒ぎではなかった。


 とにかく彼女の「第六感」とやらが本物だと次第に確信していった。


「ひょっとしたら、母親が狐だったのかも」


 彼女のマンションで小さな仏壇に手を合わせたときに、彼女はそう言って笑ったことがある。額縁の中で笑っている中年の女性は、彼女に似てはいるが狐っぽくは無かった。


 少なくとも彼女の第六感にはずいぶんと助けられた。

 僕は彼女のような力というか、勘の良さがあれば便利だなとは思っていた。

 だからある日。部屋で過ごしていた時に、こんな風に切り出した。


「霊感は他人にうつるっていうだろ。僕にもうつったりするのかな」

「さあ? だって私のこれって霊感じゃないから」


 確かに、いろいろと彼女には驚かされてきたけれど、幽霊を見たとは一言も聞かなかった。なんとか心霊スポットにつれていこうとした仲間に、霊感あるんでしょ、と言われても、無いの一点張り。倒壊や何か出てきそうな雰囲気のほうが怖いらしく、別に霊が見えているから怖いわけではないらしい。


「うつればいいのに。便利だし」

「どうかなー。鈍いからなー」

「なんだよそれ」


 鈍いと言われても言い返すことができない。


「でもさ、第六感のある同じ世界は見てみたいと思うんだよ」


 僕は苦し紛れにそう言った。

 その言葉が彼女の何かを刺激したのか、その目を大きく丸くした。自分でもずいぶんとキザな台詞だなと思った。


 そのころの僕は、彼女にいつ結婚を切り出すかを迷っていた。

 だからきっと、いまこのタイミングなら言えるかもしれないと思った。


 けれど、僕の口からはどうしても結婚を切り出すことができなかった。僕の勇気のなさが、信じられないくらいに僕自身を引き留めてしまったのだ。

 もう一度前を向いたとき、彼女は苦笑いを浮かべていた。タイミングを逃したことくらい、鈍い僕でもわかった。そのときの彼女は、どこか寂しそうにも見えた。


「じゃあもしうつらなかったら、私が死んだ時に、あげるよ。私の第六感」

「変な事言うなよ」


 今度は僕は苦笑したが、彼女の目は冗談ではなさそうだった。

 それから、その話をすることはなかった。


 彼女が交通事故であっけなく逝ってしまったのは、しばらくしてからのことだった。

 僕が病院に駆けつけたときには、彼女はもう息を引き取っていた。信号無視で突っ込んできた車に、巻き込まれるように引きずられてしまったという。


「どうして!!」


 僕は泣きながら彼女の遺体にすがりついて泣いた。

 どうして死んじまったんだ。

 危険なんて、第六感でわかったんじゃないのか。

 どうして――あのとき、結婚しようと言えなかったのか。


 彼女の部屋はひどく片付けられていた。借りていたものはきちんと返され、捨てるべきものはすべて捨てられていた。その日までに話したいことや伝えておくべきこともすべて伝えられていた。誰それに何を渡してほしいかまで事細かにノートに記してあり、まるで死ぬのがわかっていたようだったという。

 あまりにできすぎなので、自殺を疑われたりもした。

 でも彼女には多額の保険金もかかっていなかったし、遺書のようなものも発見されなかった。


 残された父親と、弟だという人たちからは、やっぱり姉ちゃんにはわかってたんだなあ、という言葉が出てきた。二人とも狐には似ていなかった。

 危険が回避できなかったのではなく、自分の死ぬ日がわかったのだろうか。


 僕は彼女の写真を一枚だけ貰って、それをアルバムの奥にしまいこんだ。彼女のことを忘れるように仕事に勤しんだ。

 そんなある日のことだった。


「……。雨が降る?」


 僕は晴れわたる空を見ながら、無意識に傘をとって出かけた。

 近所の人たちからはじろじろ見られたが、帰る時には、雨の中を傘もなく駆け出す人たちをよそに傘を開いた。


 それからだった。

 僕は、天気の変化がなんとなくわかるようになっていた。どうしてなのかはわからない。ただなんとなく、それこそ第六感としか言い様のないもので見分けられるのだ。

 僕の持参した傘は重宝がられ、他の部署にまで有名になってしまった。ささやかな能力だが、僕にとっては彼女の忘れ形見なのだと思う。そして同時に、これは僕の贖罪であり、傷なのだ。


 いつか僕がこの喪失から立ち直ったときに。

 きっと、消えるのだ。

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