第六感

朝樹小唄

母と父

「今日、雨降るから傘持っていきなさい」

こんなに晴れてるのに? 天気予報では降水確率30%って言ってたのに? そもそも梅雨明けだって宣言されたばかりだっていうのに。

それでもお母さんは、傘をこちらへ差し出したまま微動だにしない。

仕方ないので、今の空模様と同じ水色の傘を受け取った。

燦々と太陽が照りつける中、折り畳みでもない傘を持って歩くの恥ずかしいのに。


案の定下駄箱に着くなり友達に笑われ、気分だけ湿っぽく、朝のホームルームと授業をこなした。

ところが三時間目の途中には、文字通り雲行きがおかしくなり、ぐずぐずと赤ん坊が泣き出すみたいに雨が降り始めた。昼休みに入った今、手のつけられない程に泣きわめいている。


昼休み、友達と机をくっつけて島を作り、お弁当を広げる。大好きな唐揚げが多めに入っていて、少し気分が晴れた。

「朝はこんな晴れてんのに傘持ってるわこいつ~ってマジうけたけど、雨めっちゃ降るじゃん」

「バカにしてたの謝るわ、ごめん」

私も傘なんか持ってこないつもりだったけどお母さんに言われた、と答えた。

「え、神じゃんお母さん」

「へーへー、どうせすごいのは私じゃありませんよ~」

わざと拗ねたような口調で言って、ケラケラと笑い合う。



いつもこうなんだ。

うちのお母さんの勘は、何故か当たる。

どちらかの手に飴を隠し持って、「どーっちだ」をやって、お母さんだけはいつも答えを知ってる、みたいな状況だ。


かつては売れっ子の分刻みのスケジュールのような指示を受ける事もあったけど、私が成長すると共にお母さんが口を挟む頻度は低くなっていき、今日みたいにここぞ、という時にだけ言うようになった。


正直、今日の降り方で傘無しは絶望していた。

昼休みが終わっても、雨が弱まる気配は無い。

ありがと、お母さん。

眠たすぎる現国の授業を受けながら、こっそりそう思った。



お母さんの異様な勘のするどさは昔からだったらしく、お父さんの口癖が「お母さんの言う通りにしなさい」なくらいだ。父親の威厳ってものは無いのかよ、と思ってしまうが、お父さんがお母さんの反対を押しきると、大概ろくな事にならない。

お母さんの意見を信じず車のナビに従い、最短ルートを通ろうとしたら、なぜかその道が無くて逆に大幅なロスをくらったり。家で休みたがってるお母さんに無理させてまで、今日は皆で動物園に行こう! と張り切ったらその日に限って休園日だったり。

そんな事を続けてるうちにお父さんの心はぽっきりと折れてしまったのかもしれない。なんかちょっとかわいそう。

てかお父さんが単に運無さすぎなだけなのかな。

でもこれだけ勘の良いお母さんが、なんでしょっちゅうケンカ(というかお父さんが一方的に怒られてる)するようなこの人と結婚したんだろ、とそこだけは永遠の疑問だ。


そういや、小学校の頃だったか、「宝くじ買えば良いのに!」と言ったら「そういう風に自分の為だけに使っちゃダメなのよ」と諭された事があったっけ。

皆の為に使うものだから、と続けたお母さんは、なんとなく哀しそうな顔をしていた気がする。

でも、お母さんに「今日は別の道にしなさい」って言われた道をうっかり通っちゃって、派手に転んで白いTシャツを泥だらけにして帰ったら、もう洗うの大変なのに~と怒られた事もあるから、違いがよく分かんないんだけど。

それにお母さん曰く、分かる時と分からない時があって、それは自分で上手くコントロールできるものじゃないらしい。



「今日は絶対お父さんと一緒に帰ってきなさいね」

ある日の放課後、お母さんから連絡が入っていた。わざわざ言ってくるっていうのは、またいつもの勘なんだろうけど……高校生の娘にわざわざそんな事言う?

「あとついでに牛乳買ってきて」

それ言いたいだけでしょ! と苦情を入れたが、あんたらがよく分かんないダイエットプロテインにたくさん使うからすぐ無くなるんでしょ! と逆に怒られた。

たぶん従わないとさらに怒られるので、めんどくさいながらも学校近くのマックで時間を潰し、お父さんの仕事が終わるのを待った。


最寄り駅に移動し、ホームのベンチに座っていると、お母さんから同じく連絡を受けたらしいお父さんが、こちらへ近付いてきた。

「明日海と一緒に帰るなんていつぶりだろうな~」と上機嫌なお父さんを見て、つい、めんどくさ、と思ってしまった。

そんな私と正反対にお父さんはあからさまに浮き足立っていて、駅から伸びたアーケード街にあるドラッグストアを素通りしそうになった。買い物して来いって言ってたよ、と声をかけたら「またお母さんに怒られる!!」と真っ青になって走って戻ってきた。


自動ドアが開くと、夏の夕暮れの街に向けて、魔法みたいなひんやりとした風が流れ込んでくる。

この温度が目に見えるんだとしたらきっと、いつか絵本で読んだ氷の魔女の魔法みたいに、キラキラとした氷の粒がお店の中から飛び出してくるんだろうな。


得意気に「お金はお父さんが出してあげるからな」とカゴをレジに運ぶ父。

そりゃ娘に牛乳代出させる父親ってどうなのよ、と思いながらもその姿を見守った。

「あぁ~……ポイントカード……ないので、いいです」

後日こちらをお持ちいただけましたらポイント加算させていただきますと、判子を押されたレシートを受け取って、お父さんはいたく感激していた。

今日のレジの人は優しそうだった。今までそういう風にしてくれる店員さんいなかったし、ラッキーだったんだろうな。

にしても、お父さんってどういう風に仕事してんだろうなぁ、いつも。

ひょろーっとしてるし、なんかおどおどしてて、「お母さんの言う通り」しか言わないし。


悶々と考えながら歩いて、たまにお父さんの「最近学校どうだ」という質問に適当に相づちを打って、うちのすぐ近くまで来た時だった。

人の叫び声が聞こえた。

とっさに声のした上の方を向くと、こちらを目掛けて建設資材がたくさん落ちてきた。

そういや、最近ここ工事してたっけ。

ああ、たぶん作業員の人、後でとんでもなく怒られるんだろうな。

ほら、すごい慌ててるもん。


なぜか命の危機に瀕した私はひどく冷静で、その瞬間を受け入れるかのようにじっと立ち尽くしていた。


思わず目を瞑って、真っ暗な視界の中で考える。再度目を開けたその時、私はもう違う世界にいるのかも。

そう思いながらおそるおそる瞼を開けたが……、私の目の前に広がるのはお父さんの背中と、さっき落ちてきたはずの建築資材だった。

え?

「大丈夫か?」

そんな私を現実に引き戻すかのように、お父さんの優しい声が聞こえた。


お父さんが、落ちてきた建築資材の山を持ち上げていたのだ。

いや、よく見ると触れて……ない。

皮膚から出ている見えない何かで、お父さんが資材を操っている。

そうとしか説明のできない光景だった。

お父さんは落ちてきたそれらを浮かせて、一つずつ、ゆっくり丁寧に地面に置いた。


作業員さんの悲鳴のような謝罪が聞こえる。私に何もなくて良かったし、何が起こったのか分からないが、とにかく助かったといった類いのものだった。


お父さんは平然と笑顔で作業員さんに「いえいえ」と声をかけると、明日海、行こうかぁ。牛乳もぬるくなってきそうだし、と何事も無かったかのように歩きだした。



あ、だからお母さんはお父さんのこと選んだんだ。

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第六感 朝樹小唄 @kotonoha-kohta

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