根無草 KAC20223【第六感】

霧野

リュートの秘密


 ──誰か来る!


 第六感がそう囁き、少年は積荷の隙間に深く身を潜めた。船が大きく揺れ、上に載っていた荷物が一つこぼれ落ちて、音を立てた。


 足音が近づき、貨物室の扉が開く。



「誰かいるのか?」


 少年は首をすくめ、息を殺して船員が出ていくのを待った。

 見つかれば、おそらく殺される。冷や汗が首筋を伝うのを感じたが、少年は神に祈ることをしなかった。神などはなから信じていない。

 盗みや騙し、スリ。生きるために、なんでもやった。周りの人間も似たり寄ったり。そんな環境で生き抜くためには、神頼みなど無駄なこと。身に降りかかる危機を察知する第六感だけが頼りだった。


 船員が部屋に足を踏み入れた。ガサガサと音がして、転がり落ちた荷物を元通りに積み直しているのがわかる。


「まったく、しょうがねえな。しっかり縛っとけよ……」


 そう呟いた船員が貨物室を出ようとした瞬間、少年の腹の虫が「グゥ〜」と鳴いた。

 いくら第六感が優れていようと、腹の虫はどうにもできない。


 少年は荷物の隙間から飛び出し、船員に思い切り体当たりを食らわせると、堆く積まれた荷物の間をすり抜けて部屋を飛び出した。

 狭い通路を音もなくひた走り、階段をかけ上がる。捕まれば殺される。そうでなくても国に連れ戻されれば縛り首だ。


 少年は人を殺していた。街のごろつきとトラブルになり、逃げようと相手を突き飛ばしたら当たりどころが悪く死んでしまったのだ。



 後ろから叫び声が追いかけてくる。


「泥棒だ! 密航者だ! みんな起きろ!」


 上から物音が聞こえ始めた。そして人の声も。


「密航だ? 野良犬でも紛れ込んだか」

「面白え。なんでもいいからとっ捕まえろ」


 少年は物陰に身を隠しながら、甲板を目指す。人の声が多くなり、追い詰められる感覚がある。

 もうすぐだ。空気の動きを感じる。この階段を昇り切れば────



「捕まえた!」


 甲板に出たところで、屈強な男にひょいと捕らえられた。周りを確認したつもりだったが、船の上なんて隠れる場所だらけだ。ましてや、雲の低く垂れ込めた暗い夜。身を隠す場所には困らない。


 男は大声で仲間を呼び集めると、少年の首に回した腕に力を込めた。逃れようと捥がくけれど、細い片腕を背中に回して極められ、動けない。


「逃げんなって。これから時化が来る。船の中の方がまだ安全ってもんだ。その代わり、楽しませてもらうぜ。ちょうど退屈してたんだ」


 あちこちから、残忍な笑みを貼り付けた男たちが姿を現した。このままじゃ、なぶり殺された挙句海に捨てられてオシマイだ。



 捥がくのを止め、少年は体の力を抜いた。諦めたと思ったのか、男が僅かに腕を緩める。その瞬間、少年はその腕に思い切り噛み付いた。向こう脛を蹴り付け、身を翻す。


「てめえ!」


 上着の裾を掴まれたが、ボロボロだったのが幸いし、服はか細い音を発して裂けた。

 少年は後も見ずに海へ飛び込んだ。


「あーあ、逃がしちまった」

「惜しかったが、諦めな。奴さん、朝にはサメの餌になってるさ」


 腕を噛まれた男が海に放り捨てたボロきれは、一瞬にして波に消えた。




 🌊





 夜通し泳ぎ抜いて命からがらたどり着いた浜に倒れ込み、少年はごろりと寝転がった。


 満天の星を眺めながら、荒い呼吸を繰り返す。腕も足ももう動かない。



(……俺、生き延びたんだ……)


 途中、確実に死んだと思った。荒波に溺れ、意識を失ったのだ。

 だが気がつくと海は凪いでおり、身体はぷかぷかと浮いていた。

 破けた上着を海中で脱ぎ捨てたおかげかもしれない。ボロボロの上着のポケットには積荷からくすねた宝飾品が詰め込まれていたから、かなり重かった。せっかくのお宝は惜しいけれど、命が優先だ。


 夜が終わろうとしていた。空はまだ暗く星が瞬いていたが、夜明けの気配を孕んでいる。

 少年は力を振り絞って立ち上がり、踏み出した。街を抜けて、ひと気のない方へ。朝日が昇る前に───





 🌼



 家の建ち並ぶ通りを抜け、商店らしき建物の集まる街を過ぎ、山道に分け入った。この山は街の北側に位置するらしい。民家や小屋などは見当たらないが、用心して身を屈めながら進む。体力が尽きるまでに、少しでも街から離れなければ。

 周囲の様子が木深くなっても、迷うことはなかった。持ち前の第六感が、進むべき方向へ導いてくれる。




 急に視界が開けたそこには、一面色とりどりの花が咲き乱れていた。


 あまりの美しさに、息を呑む。眼前に広がる景色の素晴らしさは、非現実的なほどだった。



「やっぱり俺、死んだのか? ここは天国か……」



 その時、小さな笑い声が聞こえた。


「ここはチランジア。そしてこの場所は、聖なる地。ヒトが踏み入って良い場所ではありませんよ」


 そよ風みたいに優しい声の主が、花の中から身を起こした。その姿に圧倒され、少年はぽっかりと口を開けた。


「やっぱりここって、天国だ。だって、女神さまがいる……」



 朝日を受けて輝く豊かな髪は、朝露を湛えた柔らかな葉のよう。髪と同じ緑色の瞳は、エメラルドみたいな輝きを放っている。透き通るような白い肌に、ほんのり桜色の頬。


 女神さまが、ふわりと微笑んだ。頬の桜色より少し濃い色の唇が割れて、白い歯が覗く。少年はうっとりとその微笑に見惚れた。


「私は、カトレイヤ。この土地を治めるものです。あなたは、新たなリュートね」


「……リュート?」


 少年はぼうっとしたまま、耳慣れぬ言葉を反復した。


「海からこの地に流れ着いたヒトのこと。海辺の街にはそんなヒト達が集まって暮らしているわ。行ってみてごらんなさい。あなたの助けになってくれるでしょう」


 言いながら、女神、いや、カトレイヤがしずしずと歩み寄ってくる。その手には繊細な造りのゴブレットが乗っていた。


「さあ、この水をお飲みなさい。力が湧くわ。でも、ほんの少しだけね。ヒトの身体には効きすぎるから」


 差し出されたゴブレットを受け取り、口に含む。ほんのりと甘みを感じた時にはすでに水は喉を通り、無くなっていた。

 そして体がいきなりシャキンとして、力が湧いてくる。少年は勇気を出して口を開いた。



「……俺、街には行かない。この山のどこかでひっそりと暮らしたい。迷惑はかけません。いけませんか?」


「街の人たちが嫌い? 皆、優しい人たちよ」

「人に優しくされたことなんて無い。いつも酷い目に遭ってきた。だから……」


 差し出された優美な手にゴブレットを返し、少年は俯いた。


「でも、お腹が空いたでしょう?」


 途端に忘れていた空腹が、いや、猛烈な飢餓感が少年を襲った。ぎゅるぎゅるとものすごい音で腹が鳴りだす。

 恥ずかしくて、少年は両手で腹を押さえた。


「一緒に城へ戻りましょう。城には食べ物を置いていないから、街まで送らせるわ」




 🌼




 翌朝、少年はまた、あの花畑を訪れた。



「ここへ踏み入れてはいけないと、昨日言ったでしょう?」


 少年は跪き、頭を垂れた。


「すみません。カトレイヤさま。でも、昨日のお礼が言いたくて」


 カトレイヤは泉の中央へ伸びる足場を戻り、花を踏まぬよう気をつけながら少年の元へやってきた。

 たしなめるような目をして、しかし口調は優しかった。


「私に会いたければ、城へいらっしゃい。この時間以外はたいてい城にいます」

「カトレイヤさまは、毎朝ここで何をしているんですか?」


 一緒にいる時間を引き延ばしたくて、少年はそう尋ねた。


「日光浴。朝一番の太陽の光を浴びて、聖なる水を飲む。私たちチランジア人はヒトほどものを食べないから、それが生きる源なの」


 へええ……と声を漏らしたが、少年はそれを既に知っていた。昨日、街の人に色々聞いたのだ。


「街の食べ物、すごく美味しいのに。食べないなんて勿体ない」

「あら、楽しみのために食べることもあるのよ。それと体の具合が悪い時なんかに」

「そっか。そういえば昨日ご馳走になったご飯、カトレイヤさまのお気に入りなんだって、店の親父さんが自慢してたな」


 城の方へ歩き出しながら少年が言うと、カトレイヤは楽しそうに笑った。


「街の人と仲良くなったのね。皆、いい人たちでしょう?」

「はい! 食べ物も分けてくれて、みんなで協力して家まで建ててくれました。あんな親切を受けたの、初めてだった」

「海辺の街の人は、海から流れ着いた人たちだから。この土地の民は、皆で助け合って生きているの。私たちチランジア人も、ヒトも、分け隔てなくね」


 だからあなたも、とカトレイヤは少年の背中に手を当て、微笑む。


「安心して、ここで暮らしなさい。歓迎するわ」



 胸が詰まり、少年は足を止めた。ポケットの中の物をそっと握りしめる。


「カトレイヤさま。受け取って欲しいものがあります」



 そう言ってポケットから取り出したのは、唯一残っていた宝物。銀細工にエメラルドを嵌め込んだ意匠のかんざしだ。


「まあ、なんて綺麗なんでしょう。でも、いただけないわ」

「昨日のお礼と、こんな素敵な土地に受け入れてくれたお礼で…」

「お礼なんて、必要ないの。皆で助け合って生きている。それだけだもの」

「でも!」


 少年は声を上げた。そして美しいかんざしを差し出す。


「大切なものだから、カトレイヤさまに差し上げたいのです。これは美しいあなたに相応しい。あなたにこそ、身につけて欲しいのです」


 それは本心だったけれど、少年は嘘をついた。本当は盗んだものだなんて言えやしない。

 カトレイヤは簪を受け取り、艶やかな緑色の髪を手早くまとめて刺した。


「それじゃ、遠慮なくいただくわ。どう? 似合うかしら」

「はい!とっても!!」


 うふふ、と嬉しそうに笑って、彼女は言った。


「ありがとう。御守りにするわね」



 その時、少年は初めての恋に落ちたのだった。


 そして、彼の自慢の第六感でも見抜くことはできなかった。

 この数年後、自分が彼女を害することになろうとは───





─────




( これで、よし。第六感のお題、わりと上手く書けたぞ。あいつ、明日こそ読んでくれるといいなぁ)


 職場の後輩あいつに密かに「閲覧数がザコ」と思われていることなど露知らず、神楽坂@リュートは公開ボタンを押した。




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