She Is Too Emotional
常陸乃ひかる
Kleptomania
映画のタイトルにもなった『
ですが、手品のタネはいつも幼稚なもの。これは、スーパーのアルバイターと万引き常習犯との、ちょっとした攻防の記憶です。
わっちが知る限り、アルバイターは戦っていた――!
土曜日、十七時過ぎ。
「昼頃、Gメンに捕まったじいさんが事務所の机に
某スーパーの
「そりゃ今月は多いよ。春は手癖が悪くなる時季なんだよなあ」
へらへらしながら長年の経験を口にする裏店長は、今夜もモップを片手に、治安の悪い店内を巡回している。
「年寄りになって苦労しねーように俺も気ぃつけねえと……」
坊主頭に剃りこみを入れた地元のヤンキーと、頭の上は年中雪景色のビールっ
客がまばらな店内を見渡し、常々思う。スーパーには
【ワンカップ
毎晩十九時に、季節を問わず下駄で来店。カランコロンとワンカップを棚から取ると、それを大事そうに両手で持ち、レジへと消えてゆく。無害。
【便秘薬の人】
月に一度、大量の便秘薬を購入してゆくガリガリに痩せた女性。棚にピンクの商品がないと、高校生のアルバイトにさえ詰め寄ってくる。無害だが、ちょっと怖い。
【
値引対象外の弁当をカゴに入れたまま店内を一時間以上さまよい、値引シールが貼られる時間を見計らい、弁当を棚にリリース&キャッチ。割と有害。
そんな中でも、
「あ、今日も来たっすね。万引き女」
ナチュラルに物を盗んでゆく人物が、最も有害である。
寺腰の目線の先には、極太黒縁メガネをかけたチークの濃い女が、優雅に夕飯の買い物をしている――
「まあ今日はミノさんが店内に居るんで、あの女も悪さしねえと思いますよ」
夕勤は基本ふたり体制で、寺腰のほかに恰幅の良いおばさん――
翌週。
店の万引き被害があまりにも多く、Gメンを雇うにもお金がかかることから、グロサリー部門のアルバイトを集めた小会議が開かれた。
「ということで、怪しい人を見かけたら挨拶! それで犯罪を抑止できるから!」
背の高い店長が万引き防止について力説しているが、誰も彼も『バイト』の表情をしている。店長の背後に
「大変なことになっちゃったわねえ」
と、パートの井手が眉をしかめながら溜息をついた。
「マジっすわ」
寺腰も、大きな吐息をもって仕事量が増えることを懸念した。
「社会問題化してる時点で、わっちたちが解決できるわけないですよ。仮に捕まえてもイタチごっこです」
無表情で悪態をつく美濃和の言葉を皮切りに、小会議は終幕した。
井手は本日、昼勤として入っていたのでそのまま帰宅し、寺腰は美濃和とともに夕勤へとシフトしていった。
二十時前。バックヤード。
「――実はあの女の容姿を見ると、盗む日が大体わかりますよ。例えばパンプスを履いてる日は、まずなにも盗らずに帰ります。逆に、動きやすくて足音を消せるスニーカーの日は要注意」
万引き女の気配を察知したかのように、仕事が
「なにより盗みの日は、ピンクじゃなくて黄色のエコバッグ持ってるよねえ。あの娘の願掛けなんだか、万引きのしやすさなんだか」
すると背後から、ぬっと近づいてきた裏店長が補足を口にした。
「マジっすか? ってことは……今夜やられるってことじゃねえっすか!」
寺腰の目線の先では、黄色いエコバッグとスニーカーを装備した万引き女が、ランウェイを歩くかのように堂々と来店してきたのだ。
「あはは、鬼が出るかスネークが出るか。ちょっくら行ってきますかね」
そうして店に出ていったのは美濃和だった。会議でもあったように、まずは抑止目的である。万引き犯――星とすれ違い様、いつもの倦怠をかなぐり捨て、快活とした「いらっしゃいませー」を放っていた。
あそこまでキャラを切り替えられると、一種の威嚇とさえ感じる。
「お、俺も行ってくるっす」
この店がどうなろうと知ったことではない。初めはそう思っていた寺腰だったが、ただ傍観を決めこんでいるのがもどかしくなり、美濃和を追うように店に出ると、品出しをするふりをして別のポイントから星を追った。
星は購入意思のない物品を手に取り、それを戻す。右へ曲がって、左へ曲がって、通路をウロウロする。それだけで二十分を消費していた。
アクションがないまま、端末が震えた。確認すると、夕勤用のグループメッセージの通知だった。
みの[マークに気づいてれば さっさと撤退するはずですが]
裏店長[包囲網の中でも盗んでやる、って挑戦状かなあ?]
寺[俺、もう少し追いますわ]
あと三十分もすれば、蛍の光が流れ始める。
精算作業が進むレジ、値引作業を終えた惣菜売場――役目を終えた従業員が減ってゆき、客足も減ってゆく。
しかし本当に動きがない。こうなるともう寺腰は現場を押さえるのを諦め、抑止目的で追い詰めようと考えた。
それなのに、まるで別の方向へ誘導されてしまう。棚を挟んだ向こう側に居るはずの星は逆方向に移動していたり、はるか遠くを歩いていたり。まるで遊ばれているようで、心は明らかに
ただ、黄色のエコバッグが来店時よりも少し膨らんでいる。犯行現場は見ていないが、おそらくすでに――
みの[なんでこうも撒かれるんだろ]
裏店長[第六感を使ってるんでない?]
みの[力の無駄遣い]
閉店十五分前。
寺腰が闇雲に店内を歩き回っていると、偶然にも星がエコバッグへ商品を落とす姿を目にしたのだ。ついに時が動いた。
寺[とった、とりました]
みの[うん見た てんちょ出口おさえましょ わっち西]
裏店長[東はお任せあれ]
星の残りフェーズは、エスケープのみ。
幸いにも出入口は東西の二ヶ所しかなく、すでに裏店長と美濃和がマークしている。それを確認するや否や、星は店の最奥でもある北側に歩んでいった。
奴は袋のネズミである。逃げ道なんてどこにもない。余裕が生じ始めた時、星が思わぬ行動に出たのだ。
「なっ……! なにしてんだよアイツ」
アイス売場の
そうして、ふたたび棚が並ぶ売場の中央へと身を隠してしまった。すぐに追おうとしたが、商品を放っておけばカチコチになる。
「っざけんなよ!」
寺腰は冷ケースから常温食品の数々を救出し、すぐに星の捜索を再開した。が、どこを探しても黒縁メガネが見当たらなくなっていた。
寺腰は急いで出入口へ向かい、
「あの女こっち来たっすか?」
両名に確認を取るが、首が左右に振られるだけだった。そうして流れ始める蛍の光は、敗北ソングにちょうど良かった。
「別の客に紛れて逃げたのでしょうか」
「そんな団子の客居なかったけどなあ」
「クソっ、あの女! どこ逃げやがった!」
寺腰は思わず感情的になり、咄嗟に自分が『社会』の中に居ることを認識した。ここは、同級生と一緒に過ごす場所ではないという自省である。
「でもさ、諦めてくれれば任務完了ですよ。寺腰くんと
「そ、そうっすね……」
「しかし、わっちたちの動きはまるで読まれ、最後は手品のように姿を消した。あんなのどう考えても――いや、真実を知ったところで損をすることも……」
美濃和がぼそっとつぶやいた言葉は、通りかかったレジチーフの「お疲れさま」にかき消された。
数週間後。
寺腰は偶然にも、大きな薬局で例の万引き女を見かけた。
関わるのはよそう――目を逸らそうとした時、万引き女に近寄り、談笑を始めた人物こそパートの井手だったのだ。衝撃で体が動かなかった。目線は固定され、すぐに捕捉された。
「あら、寺腰君じゃない」
迷いのないスムーズな無駄話への導入。その間に万引き女は音もなく離れていってしまった。
「アイツと知り合いだったんだな」
「別に隠すつもりわないわよ。あの子は病気だから、感情が不安定になると止められないの。でも捕まったら大変、だって親が呼び出されるんだから」
「事情なんてわかんねーけど、盗みの手伝いなんかしたくねえな」
「あら! お
井手の目には力がなく、口にだけ感情が宿っていた。付近には客が集まり始め、寺腰は鳥肌を覚えながら背を向けた。
あの時、美濃和が抱いた違和感も、真実を知らないほうが良いと言った理由も、すべて理解した。彼なりの第六感だったのかもしれない。
ダミーの監視カメラの位置。Gメンが出動する日の把握。
見知ったグロサリー専用のバックヤード。グループチャット。
点と線がつながると同時に、やるせなくなった。
了
She Is Too Emotional 常陸乃ひかる @consan123
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