ミステリーにおける第六感の功罪

イノリ

第六感に対する考察

「推理小説を書く際のルールとも言われる、ノックスの十戒というやつがあるだろう?」

「はあ、ありますね。割と破られがちですし、なんなら提唱者のノックス自身もそのルールを破った作品を書いたって言われてますけど」


「よく知っているね。――しかし、実際に破られるのはごく一部だ。十戒の三番目、犯行現場に秘密の扉を作る場合、二つ以上作ってはならない。これは場合によっては邪魔になるルールだろう。七番目、探偵自身が犯人であってはならない。九番目、探偵の助手にあたる人物は自らの判断を全て読者に知らせなければならない。これも主題によっては邪魔となるだろう」

「はぁ。何が言いたいんです?」


「つまりね。基本的には破られないルールが大多数というわけさ。その中でも、六番目、探偵は偶然や勘によって事件を解決してはならない。これが十戒に並んでいるのは大変に興味深いよ」

「そうですか? 普通の事でしょう? 探偵が事件を解けてなかったら、トリックが説明できないじゃないですか」


「確かにそうだけど、違うんだ。僕が言いたいのはね、人は勘――第六感に頼らざるを得ない生き物ということさ。それは探偵も例外じゃない。ミステリー小説をよく読んでみるといいよ。探偵の一人称の作品なんかでは特に顕著だけれど、探偵はよく第六感に頼った捜査をしているよ」

「え? そんな探偵見たことがないですよ?」


「普通はそう思うだろうね。探偵が第六感に頼ることはタブーだから、作者は巧妙に探偵役の思考を演出し、探偵自身が謎を解きながら捜査を進めているように仕立て上げる。でもね、どうしても出てしまうんだよ、現段階ではどう考えても推理不可能であるはずなのに、そこに真実の匂いを嗅ぎ取ってしまう人間の本性が」

「……例えば?」


「ふむ。例を挙げろと言われてもキリがないけれど、そうだな。推理小説を読むとき、こんな文章を読んだことがあるんじゃないかな。なんでもなさそうな道具に向かって『これは重要な証拠である気がする』とか、あるいは後に事件に関わることになる、しかし今は何でもない手がかりを前にしたときの『気のせいか』『ただの○○だ』とかいう、不自然な気づきが」

「……ああ、言われてみれば」


「あるだろう? そう、探偵の第六感というのはね、推理ではなく証拠の提示のために使われているんだ。探偵の第六感さえなければ見逃されていたはずの証拠が、ただ第六感のためだけに議論の場に引き摺りだされ、事件を解決に導く。第六感はタブーとされる推理小説で、だ。面白いだろう?」

「それが推理小説の限界……ってことですかね。探偵といえども、全てをロジックで暴けるわけじゃないっていう」


「いいや? 一概にこれは悪とも言い難いんだよ」

「そうですか?」


「ああ。一見読者を裏切るようだけれど、実際は彼ら探偵たちは読者のために第六感を行使しているんだ。想像してごらんよ。登場する全ての証拠が、何の不自然もなく物語に溶け込んだ推理小説を。その読者は果たして、真実どころか、そこにある証拠に気づくことができるだろうか」

「ああ……」


「つまりね。探偵が第六感を働かせてまで不自然な気づきを演出するのは、読者に対してその証拠を印象付けるためなんだ。読者はそういう振る舞いには目聡いからね。無意識にでも、このシーンは何かおかしいぞ、と気づいてしまう」

「それが謎解きを楽しもうとする読者の助けにもなる、ということですか」


「そういうことだね。ある程度証拠を掴んでいた方が、推理小説は楽しめる。君もやっとわかってくれたか。――推理小説におけるタブーを破ることが、実は読者に利するものでもある。面白いだろう?」

「たしかに、そうですね。ところで、どうして急にそんな話を?」


「いやなに。今、新作の推理小説を書いていてね。証拠品として五本の缶があって、これが犯行に使われているんじゃないかって話になるんだ。でも実は、六本目の缶――第六こそが真の凶器、っていうネタを思いついてね。探偵が第六感でそれを見つけ出してしまうんだ。面白いだろう?」

「本気で言ってるなら、今すぐ全ボツにしたほうがいいですよ」

「ええっ!?」

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