明晰_

憂杞

I want this to be just a dream.

 眠るときに見る夢は五感の全てを支配する。少なくとも私の場合は。

 現実には起こり得ない光景を見聞きし、触れた感触すらも刺激として脳が誤認する。臭うはずのない臭いを嗅ぐこともあり、味わうはずのない味を舐めることもある。

 さらに普段持っているはずの正常な思考をも手放し、空を飛ぶなどの如何にまともでない事象も自然と受け入れてしまう。


 そんな夏場のアイスのように蕩けた脳で、もし自分が夢の中にいると自覚できたならば、そのことはいずれの感覚をもって判別するのか?

 答えは私自身もよく知らない。だが事実として、自らの夢を夢と認識し、意思をもって操作することは可能だと私は証言できる。いわゆる明晰夢を見られる人はここに実在するというわけだ。

 例えば得体の知れない怪物に襲われるときは、相手が牙を剥いてきたところで夢だと気付くことができる。その瞬間に私は目を閉じて「覚めろ!」と念じるのだ。するとあっという間に脅威は去り、晴れて温かいベッドと我が家に再会を果たせる。


 今も私は恐ろしい夢の中にいる。リビングの壁が爆弾の直撃を受けて瓦礫と化し、奥に硝煙の立ち込める外の景色が露出している。

 なおも爆撃と轟音で地は揺れるが、何のことはない。私は方々からの刺激と恐怖に耐えながら目を閉じて「覚めろ!」と念じた。覚めろ。覚めろ。覚めろ。……覚めろ!


 だが、何かがおかしい。いくら念じても夢から覚めないのだ。

 これが現実であるはずがないのに。いくら覚醒を試みても外からの轟音が臓器を揺さぶり、饐えた臭いと喉を焼く痛みをせり上がらせた。あまりに不快で鮮明な感覚を立て続けに受け、次第に頭が冴えていくのを自覚する。

 妻が瓦礫の中で倒れている。娘が脚から血を流して泣いている。

 私は反射的に娘のもとへ駆け寄った。妻がもう助からないことは、五感のさらに先にある感覚で悟っていた。

 なぜ、これが現実なのか。なぜ二度と温かな場所に戻れないのか。今なお続く暴力が御国の名の下に行われていることを、誰が現実だと信じられようか?


 全て夢にしてしまいたかった。人の不幸も暴挙もこの世の存在も何もかも。だが目の前には懸命に泣きじゃくる家族が実在している。私は彼女のために前を向くより他はなかった。

 きっとこれから先の未来で、今以上の凄惨な悪夢を見られることはないだろう。それがどれだけつらく、苦しいことか。

 誰の理解も得られないまま、私達は地獄のさなかで朝日を待ち侘びている。

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明晰_ 憂杞 @MgAiYK

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