紫空ちゃん、やめないでね、こーさつを。at first sight

ハギワラシンジ

寒空が冬っぽくて、暖かさがマフラーみたい。


「こーさつ、考察をするのです」

 確かにそう、考察しなくちゃ。周りが変なことになっているし。ラーメンを作る僕の後ろから紫空ちゃんの腕が首に回されて、寒空が冬っぽくて、暖かさがマフラーみたい。最近はやたら寒くて、こういうのが心地よいよ。みんな勝手だとは思うけど、まさかお店に残ったのが僕一人だなんて。他の家族は誰もいない。僕も数日寝込んでいたから人のことは言えないけど。紫空ちゃんが起こしに来てくれたんだよね。それでまあ、なんとか。この考察は正しい。

 家族については紫空ちゃんが教えてくれた。マフラーと言えば手編みだけど、手編み。手編みをしてくれた母はぷらぷら空風に吹かれて、同じようにマフラーをしているらしい。父はメタボだったけど、最近ではずいぶん体重が軽くなって、ずいぶん軽そうだって。健康だ。人形みたいに軽い。妹はまだ見ていない。紫空ちゃんがそう言っていた。

 いずれにしろこれじゃお客さんにラーメンを出せない、とりあえずスープは作るけども。人手が足りないよ。いつもは母さんがホールと会計、僕と父が厨房に立って回していた。たまに妹が手伝ってくれた。仕方ない、スープを作ろう。鍋をかき回す。がろがろ、がろがろ。あれ、ガラが無いな。とんこつ、鶏ガラ。父さん仕込んでなかったのか。

 紫空ちゃんが見かねて僕に具材を渡してくれた。ビニールに入ったたくさんの骨。コミガラといって、色んな部位の骨が入っている。紫空ちゃんはよくわかっている。前にウチに来てくれたことがあって、ラーメン好きなんだ。彼女とはずっと付き合っていて、最近は会えていなかったんだけど、昨日初めてウチに来てくれた。今日初めて会った。骨を金槌で砕いて、髄がスープに染み渡るように、丹念に何度も叩く。

「歩、ダメですよ。考察をしなければ、いけませんよ、考えないと分からないのです」

 あゆみ、あゆみ。と幸せそうに僕の頬を啄んでくる紫空ちゃんとは恋人同士でもうどのくらい一緒にいるか分からなかった。でも最近、彼女を苛めるやつがいるらしい。人間じゃない、化け物だ。僕は虫人間と呼んでる。皮膚に虫が湧いていて、身体から糸のようなものが垂れている。数人でまとまって、彼女を銃で撃ってくる。もちろんエアガンで、彼女にあたっても怪我なんてしない。僕は貧弱だから血が出るけど。彼らは軍人とか警察官みたいな格好をして、本格的に彼女を苛める。彼らは紫空ちゃんを化け物呼ばわりする。おぞましいけだもので、死ぬべきだと。どっちが化け物だ。そんなの間違っている。きっとそういう遊びなんだ。僕にはそれがゆるせないし、かなしい。今だって外で僕たちを待ち伏せている。僕が追い返してやればいいんだけど、いつも負けてしまう。

 紫空ちゃんが何をしたっていうんだ。僕の彼女なのに。この世界はおかしい。ここ最近おかしい。あいつらが現れたのもそのせいだ。虫人間。この考察は正しいはずだ。それに、ほら、電線にたくさんのマフラーを巻いた人形がぶら下がっている。冬の雀みたいに、身体を寄せあって無数に揺れている。あれはなんだ。あんなのはなかった。紫色に膨れ上がって。気持ち悪い。この町の空にずっとぶら下がって埋め尽くしている。金物屋の杉本さん、美味しいコロッケを作る肉屋の安野さん、同級生の三佳ちゃんがやってる花屋さん、その先の先まで。空からマフラーが垂れて紫色の人形が吊られている。何とかしなきゃ、この謎を解かなきゃいけない。紫空ちゃんが幸せに過ごせる世界を作らないといけない。

「そうだね、考察しなくちゃ」

「その通りです、歩。こーさつです。こーさつこそが愛なのです」

 僕はスープを作りながらこの世界を考察する。アクを丹念に取る。取り続ける。閻魔棒を鍋底に突っ込んで、てこの原理で骨をひっくり返す。力強く、でも優しく。鍋底が焦げ付いたらもうおしまいだから、何度もかき混ぜる。いつもは父がやっていたことだ。今日はいないから僕がやる。やり方はあっているはずだ。何十年も見てきたから。

「紫空ちゃんをいじめる奴は僕がゆるさないよ。それは分かる。それだけは分かる。だって僕らはずっと付き合ってきたし、それだけ大切な思い出があるということだし、今日初めて会った時、やっぱりこの人がいないとだめだと思ったんだ。昨日、君に看病されていた時にそう思った。また会えてうれしかったんだ。この考えは正しいよね?」

「うん、うん。そうですね。わかりますよ、歩。ほら、マフラー巻いてあげますね、優しいですよね、わたし、嬉しいんですよ。そんな風に言ってくれた人、初めて。初めてがたくさんあると幸せですね。わたし、学びました。貴方に会えてよかったと、みどりも言っていました」

 くるくると紫空ちゃんは手足を動かして僕にマフラーをまいてくれる。これは暖かい。お店は寒い。隙間風が酷くて、エアガンが貫通したんだ。最近のエアガンは危ない。そんなもの人に向けたら駄目だよ。間違っている。この考察は正しい。

「歩、ラーメン作ったら外に出ませんか? わたし、一緒にいろいろしてみたいんです。恋人みたいなこと、あまりしてこなかったから。ちょっとやってみたくて、おかしいですか?」

 紫空ちゃんのマフラーが恥ずかしそうに揺れた。そう言えば、そうだった。僕なんて、ずっとお店ばっかりで、みどりにかまってやれなかったから。それは後悔している。それだけは今も後悔している。もっとちゃんと話し合うべきだったし、両親にも伝えるべきだった。妹は味方してくれたけど、あんまり仲良くなかったのに、そこは感謝している、有難くて。僕は紫空ちゃんをもうないがしろにしてはいけない。この考察は正しい。一緒にいるべきなんだ。僕たちは好き合っている。その事実を受け入れて、手を繋いで出かけるべきなんだ。

「いいよ。ね、出かけようか。どこに行きたい?」

「ほんと? ほんとですか わたしと一緒に来てくれますか。わ、うれしいな。うれしいんですよ本当に。そんな人いなかったから。わたし、食べるの好きだから、たくさん食べたいんです。食べることって本能じゃないないですか。どうしようもないんです。わたしにはどうしようもできなくて、つらいなって気持ちはわかるんです、わたし、頭いいから。でも、人って愛を育むじゃないですか。わたし、それがあんまり理解できなくて、でもみんなに少しずつ教えてもらって、ちょっと分かってきたんです、それを歩にも知ってほしくて、一緒に、食べられたらうれしくて、それって本能だし、愛育んでるかなって」

 紫空ちゃんは一生懸命、僕に教えてくれた。たどたどしくも、何かを話してくれた。それだけで僕は嬉しくて、彼女が話しているという事実だけで、なつかしさがこみあげてくる。

 僕はスープを混ぜる手を止めて、紫空ちゃんの手を取った。

「いこう、いこう、ね。初めて一緒にいこう。今考察したよ。これは正しい。僕たちは一緒にいるべきなんだ」

「はい、はい、分かります。そうですよね、うれしいな。そう言ってもらえる人、いなかったから。私、待ってたんです。そういう記憶、知っていたから。やっぱり正しいんだって、こーさつが好きで。でもみんなわたしを嫌いって言うから、歩だけなんです、うれしいんです」

 僕らが手を取って外に出ると、銃弾の嵐が降り注いだ。紫空ちゃんは細いマフラーをたくさん出して、その全部を絡めとった。一発も僕に届いていない。僕は空を見ている。人形の数が増えている。ぷらぷら、ぷらぷら。虫人間たちが金切り声を挙げて飛び掛かってくる。紫空ちゃんは全部をマフラーでぐるぐる巻きにして動けなくして、吊るしやすいように軽くした。たぶんそれが彼女の本能なんだ。よくわかる。

「あ、まだ残ってたんだ」

 紫空ちゃんは虫人間の中から一匹、摘まみ上げる。虫人間になって日が浅いようだった。人間の面影がある。そいつは僕の方を見て何かを言った。何かをたくさん言った後、紫空ちゃんが軽くして吊るした。空を見上げる。電線に三つの人形が並ぶ。なるほど、この人形たちは紫空ちゃんが作っていたんだね。この考察は合っているはずだ。実際に目で見て、匂いを嗅いで、耳で聞いた。この上なく正しいはずだ。

「ん、んー。歩、なんだか気分がいいですね。わたし、兄さんって呼んでもいいですか、その兄弟とかいなかったので、そういう概念もあまり知らなくてちょっと恥ずかしいんですけど、今知ったというか、許してくれるとうれしいなって」

「いいとも」

 僕はうれしくなって紫空ちゃんの手を取って店に戻る。厨房に入って、ゆっくりマフラーを巻く。よく分かった。外には出ない方がいい。この考察は正しい。

「紫空ちゃん、僕をこーさつしてくれる?」

「わ、いいんですか。それ、すごくうれしいんです。一番やりたかったんです。わぁ。やったぁ、わたし、食べるのと同じくらいこーさつが好きなんです、あの、秘密なんですけど、ほんとうは」

「いいんだよ。だいじょうぶ、君のことはよく分かっているし、何もわるくないんだ。ラーメンの作り方は分かるよね」

「はい、はい。分かるようになりますよ。だいじょうぶ、任せてください。うれしいなあ、恋人っぽくて、憧れていたんです。すごい、いいですよね、教えてもらいました、こういうの、人から。大切なことだよって」

 紫空ちゃんは僕の首に巻かれたマフラーをゆっくり締めていく。じたばたもがいた後、すぐに酸欠になって、僕は意識を失った。そんな僕の口内に紫空ちゃんは別のマフラーを挿入して、何かを流し込む。身体の中がかっと熱くなった後、内臓が溶ける。すごく気持ちがよくて、頭が真っ白になってしまった。

「下処理はちゃんとしないと」

 満足そうに紫空ちゃんは言って、僕の閉じた瞼をこじ開けて、眼球を舐める。舐めたあと、マフラーを挿入して中身を吸い出す。僕マフラー越しに僕は細分化されて、どろどろになっていくのが分かる。このあとの工程はちゃんとわかるかな。たぶん大丈夫だ。

 紫空ちゃんは僕の記憶に従って、僕の身体を細かく分けていった。僕はモモと肩のチャーシューが好きだということを覚えてくれていたみたい。それはうれしい。そしてきちんと大腿骨、背骨、頭骨を切り出し、寸胴に入れて大量の水で煮込む。するとアクがいっぱい出る。これは雑味に繋がるからなるべく取った方がいいんだけど、やり過ぎると旨味も消えちゃうから難しい。いい塩梅で骨を取り出して流水で洗う。それで、また何時間も煮込む。香味野菜少々と、骨。あとモモと肩チャーシューの仕込み。味玉は別の玉で代用した。麺も手打ちにこだわりたかったみたいだけど、やっぱり難しいので、引っこ抜いた管をかん水入りのお湯で湯がいて、お箸とレンゲ、故障を一振り。出来上がり。

 いただきます、紫空ちゃんはずるずると器用に手足を使いながらラーメンを食べてくれた。こんな風にちゃんと使ってくれると僕もうれしい。うれしいはず。この考察は正しい。こればっかりは正しい。ここにいるということは、そういうことだ。後ろから母が抱きしめてくれた。父がその肩に手をそっと置く。妹が気まずそうに姿を現した。向こうにみどりも見える。考察通りだ。みんな、元気そうだった。ここではみんなげん気そうで、げん気そうだから、それで十分だ。会えてよかった。

「やっぱり、こうしてよかった。あの、本能がつらかったんですけど、正しかった。よかったです、わたし、歩に会えて、うれしかったです。ラーメンの作り方を教えてもらったし、一緒に食べられたし、こんなに幸せで。これが恋なんだと思います。恋が分かってよかった。なんだか、それが分かったとたん、うれしくなっちゃって、もっとこの気持ちをたくさんの人に知ってほしくて。これって正しいですよね。わたし、この店の味、守っていきます。任せてください、わたし、ほんとうにうれしかったから、みんなにこの味を知ってほしいんです、みんなにも食べてほしくて。初めて出会った、本能の味なんです。よく分かりました、こーさつも続けていきます。がんばりますね、うれしいなぁ、一緒だなぁ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

紫空ちゃん、やめないでね、こーさつを。at first sight ハギワラシンジ @Haggyhash1048

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ