【KAC20222】君が変えてくれた灰色

ゆみねこ

君が変えてくれた灰色

 俺はIT企業に務める社畜である轟大耀。今日は大幅に退勤が遅れて疲労困憊。疲れ果てて苦しい。

 何故遅れたのか──まあ、端的にいうとシステム障害だ。


 自分が担当するシステムに障害が発生してしまえば、エンジニアとしては復旧を優先せざるを得ない。それが覆す事の出来ない我が運命。

 今回は一癖も二癖もあり、障害対応は長時間に及び、退勤する時間は滅茶苦茶遅れた。


 まあ、妻なし子なし趣味なしのおっさんである俺にとっては退勤時間が後ろに押そうがそこまで生活に影響はない。疲労がガッツリ溜まる程度だ。

 しかしまあ、そうでない奴は大変だ。結婚記念日だの、アイドルのライブだの、彼女とデートだの、計画に時間が縛られて、こういう時に困る。


 まあ、そっちの方が普段は楽しいのだろうけど……。つまんねぇ人生送ってんな、俺。


 安いボロアパートの鍵を開けて、見慣れた部屋に舞い戻った。

 性能に拘り抜いたパソコンに机と布団程度しかない相変わらず質素な空間がお出迎え。


「あ゙あ゙あ゙〜〜」


 あまりの疲労に思わず声が出てしまう。しかし、大声は出してはならない。

 家賃を渋った結果、極薄壁のアパートにたどり着いたから大声を出した瞬間、隣どころかその隣までに貫通する。


「あ゙あ゙あぁぁぁぁ」


 声が出るほど疲労が溜まった俺はスーツを脱ぎ捨てると布団に入って横になった。

 風呂は明日でもいいだろう……いや、もう今朝か。


 額に手を乗せて目を瞑る。俺はこの時間が好きだ。

 意識が微睡み自分が寝ているのか、寝ていないのか分からない寸前の瞬間が。


──しかし、今日に限って最悪な日を引いた。


 上の階からドタバタという音や叫んでいる様な大声が聞こえてきた。


「チッ……」


 上の階に住んでいる大学生が月一に友達を呼んで、酒を飲み交わす。燥ぐ、騒ぐの大騒ぎ。

 普段はこれが始まるより早く寝るのだが……システム障害てめえ。


 俺は入眠直前に起こされると、しばらく寝られなくなってしまう。よって、今の俺は疲れているのに眠れない生殺し状態。


「畜生……」


 こうなった時の俺は動画投稿サイトで適当に動画を探す。動物やゲーム、自然風景の動画など特に決まりはない。

 最近のマイブームは物をプレスする動画だ。


「ん? なんだこれ……Vtuber?」


 可愛らしいアバターの女の子が歌ったり踊ったりしているが……MMDの類か?

 しばらくは眠れないから暇だと思い、一時間のその動画を気軽にタップした。


──それが沼への入り口だった。


「…………」


 あるVtuberのライブが終わった時、俺は後悔していた。

 何が?──それは俺が今までこの様なコンテンツを発見出来ていなかったことにだ。


 一言で表すとVtuberは素晴らしかった。

 歌声には視聴者に想いを届けたいという熱意が篭っていて、ダンスにはその裏側に努力の結晶が見えた。


 ただ勉強して、ただ大学に受かり、ただ働いている俺とは対極の存在。

 それ故に俺はこの子の事が気になった。この子の活動を応援してみたいと思った。


 この子に着いていけば、その先には俺の見た事のない世界が広がっている。そんな様な気がした。



★☆★☆★☆★☆



「うぅ……ッッ……」


 俺がVtuberと出会って三年と少し。俺はVの沼にハマっていた。

 推したい箱は次々と増えていき、それに伴って推しているVtuberが増えていった。


 しかし、一番最初に巡り合ったアイドル系企業の子、俺がVtuberにハマるきっかけとなった子が今でも一番である事には変わらなかった。

 今まで碌に恋愛感情を抱いたことがなかった俺だが、一般では『ガチ恋』とも呼ばれる状態に陥っている。


 その子のグッツやボイス、CDなどは絶対に購入している。その他にも積極的に上限額でスーパーチャットを送った。

 所謂推しに貢ぐ、という事なんだろう。それにかかった金額は俺にも分からない。


 しかし、後悔はしていない。俺たちファンにとってお金こそが最も簡単な愛情表現なんだから。

 それに俺にだってメリットはある。


 質素だった俺の部屋はグッツが飾られて色華やかになった。限界化して思わず叫んでしまい、隣に怒られる様にもなった。

 人の為に、自分を応援してくれる人の為に頑張る素晴らしさを知った。たった一人の人間の力でも多くの人にパワーを送ることが出来ると知った。


 彼女は多くの変化を俺にもたらしてくれた。


──しかし、それも今日で終わり。


『皆んな、今まで本当にありがとう……ッ』


 今日の卒業ライブをもって、五年のアイドル人生に幕を閉じて卒業してしまうらしい。

 『らしい』というのは俺自身、半信半疑だからだ。


 いつもの様に「嘘ですよ〜。皆んな、騙されました?」って言って撤回してほしい。

 しかし、目の前に広がっている現実は冗談でも嘘でもないらしい。


 最後の歌が始まった。これは俺たち視聴者と一緒に頭を悩ませて歌詞を考えた一番の思い出の歌。

 それを彼女は涙を流して、嗚咽を漏らしながら歌詞を紡いでいく。


 その様子で本当に卒業してしまうのだと否応なく自覚する。

 涙がとめどなく溢れて、彼女の姿が視認出来ないほどの大洪水が発生した。


 出会ってから三年間色々あった。彼女の呆けた姿、泣いた姿、怒った姿、照れた姿──笑った姿。

 様々な彼女の姿が、出来事が脳裏に蘇る。大切な大切な記憶が思い起こされる。


『──大好き!』


 最後の歌詞が紡がれて曲が終了した。

 段々と画面は暗転していった。やがて画面からは彼女は消えて、涙で顔がぐしゃぐしゃになった俺が映し出される。


──終わった。終わってしまった。


 彼女の活動は完全に終了して、もう二度と俺達の前にはその姿を見せてはくれない。

 そう思うと一層涙が溢れそうになってしまう。俺はすぐに天井を見上げた。


「お別れは泣いて終わるんじゃなくて、笑わないとな……」


 天井を見上げる俺の目からは次第に涙が消えていき、代わりに下手くそな笑顔が浮かび上がる。

 俺は彼女に届ける様に小さく、されど想いを込めて呟いた。


「今までありがとう。君のお陰で俺の灰色な生活に色が付いた。君がいたから俺は今日ここに生きている。本当に、本当にありがとう」


 俺はこれからも彼女の事が脳裏に浮かぶだろう。嬉しい時も悲しい時も辛い時も。

 自分がどんな時、どんな状態にいてもきっと彼女は俺を笑わせてくれるんだ。


──彼女の活動が終わってしまっても、彼女はこれからも心の中に生き続けるのだから。

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