第二話
「…お客様。お客様。到着いたしました」
かすかな波の音がする。
後部座席のドアが開かれると、うっすらと潮の香りがすべりこんできた。
おかしい、埼玉に海はないはずだ。
「お客様、ご自宅前でございます」
「…自宅……?」
すっかり熟睡していたようで、体がこわばってしまっている。眠い目をこすると、東の空がうっすらと明るくなりかけている。
東の空。水平線。
ここは…。
「ここって…」
「ご自宅前でございますよ」
大塚五郎が、滑舌のよいアナウンスでそう答えた。
「いや、ここってさ…」
「はい、千葉県銚子市…」
「それはわかってるって、俺の実家の前だからさ」
「ご実家…?」
急に大塚五郎が押し黙った。
「俺、乗り込んだとき、千葉の実家に行ってくれって頼んだっけ?」
「いえ、実は、その…、お手元のデバイスからの信号から、『家に帰る』と読み取れまして、そこで、引き続きその場所を脳波から検索したところ、ここの住所が…」
「なぁ、いまこの状態で、同じ検索してみてよ」
「埼玉県川越市…」
「だろ?」
「…も、も、申し訳ございません!」
AIのくせに、やけに人間臭く言葉につまりながら答える大塚五郎が面白くて、笑わずにはいられなかった。
実家は銚子にある水産加工場だった。どうしても跡を継ぐのが嫌で、反対を押し切って東京に飛び出した。頑固だった父も学生時代に亡くなって、廃業することになった。一人暮らしを続けていた母も、二年前に他界して、空き家のままになっている。今は鍵も持ってきていないので中には入れない。
ただ、この波の音と潮風の香りだけは、昔と少しもかわらない。
「なあ、ここまで、いくらかかったんだ?」
「初めてご利用10%オフキャンペーンをお使いいただいて、32,475円です」
俺はその金額を聞いて、がっくりと肩を落とした。池袋から銚子まで、しかも、深夜料金だ。そのくらいはするだろう。このままタクシーで引き返すとなると、その倍だ。
「あ、あの、今回は、私どもの脳波検知ミスでございます。もちろん、お代はいただきません。もちろん、ここから川越のご自宅まで送らせていただきます。ただ…」
「ただ、何だよ?」
「ここからですと、さらに三時間ほどお時間がかかってしまいます」
「なんだ、そんなことか。まあ、仕方ないだろ。タダで送ってくれるならかまわないよ」
「ありがとうございます!」
大塚五郎のその言葉には、ほんとうにココロがこもっているように聞こえた。
だから、俺はこう続けることにした。
「時間がかかってもいいから、ちょっとお願いがあるんだけど」
「なんでございましょう?」
「あのさ、ちょっと遠回りになるんだけどさ。海岸線を通ってから国道に入ってくれないか?」
「お安いごようです!」
再び後部座先のドアが締まり、タクシーがゆっくりと走りだすと、東の海から顔を出した太陽の光が、車内に射し込んできた。
インテリジェンスタクシー 源宵乃 @piros
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